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第36話 余白
書記官は一度資料に目を落とし、簡潔に言った。
「本件について、現場判断そのものを即座に是非で断じることは致しません。未確認であった伏流の存在、決壊による急激な増水、岩壁の崩落――いずれも想定外の要因が重なっています。」
一拍置いて、続ける。
「一方で、組織として今後に反映すべき課題が明確になったことも事実です。本件は、その整理と検討を目的として、統括本部および管理課に持ち帰ります。」
妥当な判断だと感じた。
書記官は続けて、本件事例から見る、今後の運用に反映しうる学びについて述べ、また、事故の前に行われた状況確認での、伏流の指摘についても触れた。
今後の災害予測精度向上のため、本件の調査を急がせることについては、書記官の裁量で師団に約束された。
その約束は、師団長代理であるウィズが、確かに受け取った。
「――室長」
書記官が立ち去った後の会議室で、スコットがそばに立ってアーネストに話しかけた。
「うん?」
「――先程は、勝手な発言を、申し訳ありませんでした。」
「んー?ああ、えへ。あんな風に持ち上げられたら、後がやりにくいじゃん。」
少し笑ってみせると――そう見えているといいのだけども――、スコットがなおも言い募った。
「いえ、――書記官殿も、室長のことをどうこうとおっしゃっていたわけではなかったのに……、自分が、黙っておられませんでした。」
あの場で、アーネストの資質を問われていたわけではなかったはずなのに、そう聞こえてしまった。
そう言うことだ。
今、周囲の人間から、室員たちに向けられている――、自分に向けられている「目」が、どのようなものなのかを、痛いほどに感じた。
「――うん。ありがとう。……ありがとう。」
スコットたちに、なんと言えば良いのか、わからなかった。
「――――。」
ふと、背後に気配を感じた。
手を伸ばして、――ダートの腕を掴む。
「戻ろう。」
「――はい。」
来た道を、ゆっくりと戻る。ダートの手が、いつもよりひんやりとしていた。
「今日は、冷えるねえ。」
歩みを止めず、口を動かす。
「――はい。北部では、本格的に冬になったと報告があったようです。」
「ああ、……じゃあ、セドリックたちもそろそろ帰ってくるかな。」
「はい。室長代理が、そのようにおっしゃっていました。」
「うん。」
――お前、いい師団作ってるな。
ヴァリオ先輩の言葉を思い出した。
この師団を、大切にしたかった。
部屋へ戻り、アーネストはソファに座り、ダートをその隣に座らせた。
正面の暖炉には火が入っており、ぱちぱちと薪のはぜる音がしていた。
「フリード。――道のことについて、話をさせてほしい。」
ダートは、身じろぎも、息を整えることもなかった。
一呼吸だけおいて、落ち着いた声で応えた。
「はい。自分も、――この話をさせていただきたいと思っていました。」
アーネストは、話すべきだと理解はしていたが、何から話せばいいのかはわかっていなかった。
火の音に耳を預け、それから続ける。
「フリードも想定外だった……、と思う。これは、完全な想定外だった。」
あの時。うっすらと、でも確かに、ダートと繋がったという感覚を覚えた。道が、できたはずだ。そう感じた。
「あの状況で、ここに、道ができるだなんて、誰も思わない。」
ゆるく握った拳を口元に当てる。
ふいと空気が動いて、それから、ダートが長く息をはいた。
「――自分には、心当たりが、あります。」
――何の。
反射的に口にしそうになって、飲み込んだ。
アーネストの代わりに、薪がはねる。
「二つあります。まず――、道の本質は、想いをのせて触れることで、こころの障壁をとかすことだ。と、そう、管理課の方に聞いています。」
こころの障壁を、とかす。
口元から拳を下ろし、胸元を掴む。
いつも、この共鳴具が、震えた後に訪れる感覚を思い返す。
――顔を、背けたくなった。
「そうであれば、自分には、十分心当たりがあります。」
それであれば、アーネストにも、十分心当たりが、あるのかも知れなかった。
こころのうちを覗かれるのが怖くて、目を閉じた。
「――もう一つは。これは、確証はありませんが。」
ダートが一度言葉を切り、それから言った。
「室長、少し、触れてもいいですか。」
「――どこに」
口にした声は、ちゃんとしていた。少し、ホッとする。
「お口元です。」
少し考えて、目を閉じたまま、顎をあげた。
「うん。」
「――っ、……触ります。」
ふいと、ダートの指先が唇の右下に触れ、離れた。
――あぁ。……噛みつき虫の。
引き結んでいた口元から、力が抜ける。
それで、何もかも腑に落ちた。
皮膚より粘膜が「通りやすい」のならば、粘膜より傷口の方が、もっと「通りやすい」のかもしれない。
ダートが考えているのは、――そう言うことだ。
触れられた場所を、自分の指でなぞる。
傷口は、すぐに塞がってしまったが、確かにそこにあった。
「道の場所は、――わかった?」
今のが、ダートの道の確認だったのだろうと気づいて、尋ねた。
「――いいえ。触れればわかるかと思っていましたが、すみません。」
「いや、いいよ。」
手を下ろし、目を開いて、そのまま少し考える。
「室長、――あの」
「ん」
すみません。そう声をかけられ、顔の向きと、肩の向きを正された。なるほど、無遠慮に見つめていたようだ。
「ごめん」
「……いえ。」
薪のはぜる高い音がして、何かを思い出した。
「――あ」
ふたたび手を口元に持っていきそうになり、止める。
聞いていいことなのか、わからなかったが、止められなかった。
ダートの方を向かずに、そのままの姿勢で、口を開いた。
「あの時、――口をつけたのは、道があると分かってやったことなのかな。」
口から滑り出た言葉は、静かにアーネストの暗闇を広がっていった。
「……いいえ。」
耳の奥、心臓の音、自分の呼吸が震えている。
「何も、分かってはいませんでした。ただ咄嗟に――」
その先は、言わないでほしい。
「すみませんでした。」
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