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第38話 変化
「――ゆっくり、目を開けてくださいね。」
「はい。」
治癒術師の言葉に従って、そうっと目を開ける。
暗闇だった世界に、薄暗い部屋の輪郭が浮かび上がった。
「目はあけられましたか?痛みや、違和感はありますか?」
「開きました。――暗い、ですか?」
あまりの暗さに思わず尋ねた。
「はい。今この部屋には灯りはありません。陽の光も遮っています。暗くて問題ありません。」
「――ああ、……はい。」
しばらくは、ろうそくの光でさえ刺激になると言うことで、その薄暗い部屋の中で、人影だけの治癒術師と話をした。
「左目は、光にさえ慣れれば、特に何の支障もなく見えるようになります。しばらく、数時間は、眩しいところに出るとお辛いと思いますが。」
「はい。」
それは、すでに聞いていたことだった。
「右目は……。今のところ左右の見え方の違いに、何か違和感はありますか。」
部屋は暗く、人影と物陰の輪郭しか見えていない。
ただ、明確な違和感があった。
「おそらく、――右の方が、ボヤけています。」
「――そうですか。」
人影が立ち上がり、動く。
「隣の部屋のカーテンをあけてきます。こちらの部屋にも、少しだけ光が入りますので、目を閉じてお待ちください。」
「はい。」
目を閉じ、呼吸を整える。
問題ない。右目は――、一度は失われていた。
足音が遠ざかり、カーテンをひく音がかすかに聞こえてくる。
治癒術師の戻ってくるのを待ちきれず、薄く目を開けた。
「――ああ。」
世界は、変わっていた。
「視力の、――著しい低下がありますね。」
アーネストにとってはわかりきった結論だったが、治癒術師は、そう所見を述べた。
「幸い、視界の歪み、光の乱反射などは見られていないようです。損傷の程度を思うと、相当理想的な状態です。」
「――理想的、ですか。」
すでに、部屋はほの明るくなっており、治癒術師の表情ははっきりと見て取れた。――左の目で。
「室長はそうは思えないかと思いますが、視力の低下のみであれば、――例えばこのような」
治癒術師がアーネストに手を差し出した。
受け取ってみると、それは単眼眼鏡――モノクルだった。
「補助器具を用いることで、視界を良好に保つことができます。」
「……これは、例えば接近戦で戦っている最中などでも、装用できるものですか?」
手のひらの中に手渡されたその器具は、金属製の枠の中に、薄いレンズが収められただけの、とても頼りない存在に見えた。
「そうですね……、魔道具の補助を組み合わせることで、簡単に落ちたり外れたりしないよう、工夫されたものもあります。」
「――なるほど。」
手渡されたモノクルを、右目の前にかざす。
向こう側の景色が、くっきりと浮かび上がって見えた。
「それは、――安心できそうです。」
その後、右目の見え具合を慎重に観測され、目の周りの大きさを丁寧に計測された。
それから、こうした細かい補助器具の細工が得意だと言う魔道具師を紹介され、アーネストは医務科をあとにした。
部屋の扉を開き、廊下に出る。
そこに、起立の姿勢で待機する人影があった。
ダートだった。
こちらを向いた灰青色の瞳が、陽の光を浴びて、青く揺れていた。
「――ただいま。」
その顔を見て、笑うことができた。
「三週間ですか。」
「うん。出来てくるのだいたいそれくらいだって。だから、申し訳ないけれど、まだしばらくは現場指揮とかは難しい。」
執務室のソファに腰掛けて、ウィズと今後のことについて話をする。
ダートは、スコットに連れられて宿舎へと戻っている。
この数日、上官の世話で結局休む暇もなかったのだ。
まずは、彼をこそ休ませるべきだった。
ダートも、その判断に異を唱えることはなかった。
「わかりました。現場の方は問題ありません。ただ――、書類仕事や、関連部署との連携は、室長がおられないと難しい部分が多いです。」
「うん。苦労をかけて申し訳なかった。ひとまずこちらで引き取るけれども、――少しずつウィズもあちこち顔出していこう。」
そういうと、ウィズが少しだけ黙り込んだ。
あまり口のうまくないウィズが、これまで対外的な交流を避けてきたことはわかっている。だが、室長補佐である以上は避けて通れない道だ。
「はは、セドリックとかも使ったらいいよ。全部自分でやらなくていいから。」
「――はい。」
不在の間に発生した問い合わせなどは、ウィズが処理したもの、未処理のものに分けられていた。基本的には急を要するものだけが処理されていたが、その中には、統括本部からの共鳴具の使用状況調査が含まれていた。
「ああ、セドリックたち、共鳴具うまく使えたのかな。」
「――そのようですね。」
ウィズの言葉に、頷いて続きを促す。
「遠距離で、雪崩の人為的な誘発と、その制御とを行うことができ、しばらくの危険がない状況を整備できたそうです。」
報告を聞いて、軽く息を吐いた。
「それは、――いい使い方ができたなあ。道具ってのは使いようだね。」
「おっしゃる通りです。我々――、自分たちは、これまで共鳴具をこうして、戦術的な資源として見ることはありませんでした。」
顔を上げると、ウィズは、自分の指にはめられた指輪に目を落としていた。
その様子から、その指輪が、彼の――彼のウルラとの共鳴具なのだろうと察した。
胸元の、共鳴具が気になった。
ダートの、瞳の色の石が収められた、ほんの小さな金属片。
そして、ディッカーとウルラの絆を確かに繋ぐ、証。
その証を、図々しく任務のただ中に引きずり出したことに、ほんの少しの苦味を感じた。
「もったいないことをしていたのだなと、気付かされました。」
「――うん、そうか……。」
ごめん、とは言えなかった。
その日は、視力の落ちた右目の違和感に戸惑いながら、未処理の書類仕事を進め、それから、日が落ちてしまう前に、訓練場で魔力の状態を確認した。
訓練場では、大規模魔法を行使することはできなかったが、魔法を使うことに特に問題や違和感は感じられなかった。
強いて言えば、見えづらさそのものが、制御の精度を少し下げている可能性は否定できなかった。
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