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第40話 祈り

「フリード、少しいいか。」  夜勤のため出勤してきたダートを、待機室に入ろうとするところで呼び止めた。 「はい、ご用事ですか。」 「ああ。」  首を傾けて、ついてくるように促す。  途中ですれ違ったスコットにも、ダートを少し借りることを伝えた。  執務室に入ろうとして、無意識にドアノブを探る。  ダートが動こうとした気配を感じたが、そのままドアを開けた。  日勤の終わり時間を迎えた執務室に人はおらず、暖炉の火も小さくなって冷え始めていた。  アーネストは執務机の前に腰掛け、ダートを前に立たせた。  上官と、部下の立ち位置だ。  これからダートにいう言葉が、この立ち位置で伝えることが間違っていないかどうか、アーネストには自信がなかった。 「フリード、勤務前にすまないが、聞きたいことがある。」 「――はい。なんでしょうか。」 「君の、ディッカーとしての、――責務の履行状況について確認させて欲しい。」  窓の外はやや暗くなっており、室内の空気も薄暗く静かだった。 「責務、――ですか。」  言い淀む様子のダートに、確信めいたものを感じとった。  腹の底が、わずかに震えた。 「ああ。つまり、魔力譲渡の実施状況について。」    ――何かが、ある。    その予感の手触りを感じながら、言葉を続ける。 「なにか、――自分一人で解決できない問題や、困難に直面していたりはしないか?」  薄闇の中、ダートの口が少し開いて、――言葉が出てこなかった。 「僕に言えというわけじゃない。――ただ、何か困っていることがあるのならば。  君は、管理課を頼ることができる。」 「――室長は、」  そう言ってから一度ぐいと口を食い締めたダートは、アーネストをまっすぐに見て、言った。 「室長は、管理課を頼られましたか。」  思いもよらない言葉に、アーネストは一瞬、呼吸を忘れた。  こめかみの奥を、血流が走っていくのを感じる。  ――自分が?  自分が、何を管理課に頼ると言うのか――?  答えられないでいると、ダートがさらに言った。   「室長は、管理課を頼ることはできましたか。」  ようやくのことでダートの言葉の意味を咀嚼して、言葉を返す。 「僕には、――頼るべきことは、そうしたことは特にないよ。」 「嘘です。」   「え?」    その言葉を即座に否定され、アーネストは思わず聞き返してしまった。 「――室長には、お困りのことがあったはずです。」  自分が、管理課を頼るべきだった場面に、何があったのかを思い返してみる。    確かに、想定外の道について、それから、それを形成した可能性のあるもっともらしい理由について。  それは、自身だけの手に負えることではなかった。    だが、すでに管理課には共有されている。そのことは、ダートも知っている。 「悪い、――僕には、フリードがなんの話をしているのかがわからない。」  ダートが、ぴくりと目をすがめた。眉根を寄せ、口をくいしばる。  大きく息を吸って、――それから、吐いた。  ――――――。  咄嗟に、胸元に手をやる。  共鳴具だ。 「っフリード、」    言いかけたアーネストを遮り、ダートは、自分の胸元をゆっくりと叩いた。  ――三回。  止めてほしければ、そう、しろと伝えてきた。  その、ダートの目を見ながら、共鳴具を服の上から握りしめた。  小さく、震えている。    自分の呼吸の音が聞こえる。  手は、共鳴具を握りしめたままで、アーネストは小さく首を振った。 「やめろ……」  思わずこぼれ出た声は小さくて、ひっそりとした室内に転がって消えた。 「やめてくれ……、フリード。」  今、もう。  ダートの前で、その自分を見せるわけには、いかなかった。    それでも、アーネストは、胸元を叩けなかった。    やがて、共鳴具の震えが、止まった。    思わずもう片方の手を机について、椅子を引いた。  体が後ろに下がり、ダートとの距離が離れる。 「み、――見るな……。」  ダートは、動かない。 「――頼む!」 「やりません。」  落ち着いた声で返され、何度か、短く息を吐いた。 「そんなふうに自分のウルラに怯えられて。  ……譲渡なんて、できません。――自分には、無理です。」  怯えてなどいない。とは、到底言えなかった。  ただ、何に怯えていたのか、何を恐れていたのかが、わからなかった。  だが――。 「嫌だ、――フリード。俺を、」  ただ一つ、はっきりしているのは。 「俺を、ちゃんと、――使ってくれ。」      ――はあ。    いつのまにかうなだれていたアーネストの頭上から、ため息が降ってきた。 「……なんでですか、室長。」  足音がして、視界の端に靴が入り込んできた。 「俺のこと、……そんなにも頼りないですか。」  衣擦れの音がして、ダートの声の位置が低くなった。 「頼ってもらえませんか。」  何かを言いたかったが、喉がひくついているうちに、言葉が形を消していった。 「触りますね。」  頬に手を添えられて、顔の向きを変えられる。  右頬を親指でなぞられて、口元がわずかに震えた。 「室長の持ってるもの……、俺の前くらいでは、下ろしてもらうことできませんか。」  少し、困ったような顔で、自分を見つめるダートと、目があった。    こんな顔のダートを見るのははじめてだった。  いつもは、逆だった気がする。  ダートの顔が近づいてきて、唇――の、右下に、唇を押し当てられた。    それは、祈りのようなかたちだった。

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