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第41話 進む
やがて唇が離れ、ダートから、見上げるように見つめられた。
「――譲渡は、怖いわけじゃない。」
なんとか言葉にすると、ダートが沈黙で応えた。
唾を飲み込む。
喉の奥が熱かった。
「ただ、自分が、自分でなくなるのは、――怖い。」
息を、吸い込む。
「怖かった。」
ふいと柔らかい顔つきになったダートが、小さく頷いた。
「はい……、俺もです。」
少し、沈黙してから、ダートが言葉を続けた。
「室長が、自分のせいでこれ以上どうにかなるのが、怖かったです。」
――そんなもの……、
思いかけて、止まる。
この、目の前の青年が大切にしたがっていた、自分自身の価値を思い出していた。
「――うん。ありがとう。」
目を閉じると、ひとすじ涙がこぼれた。
それで、深く、穏やかに息を吐くことができた。
少しの沈黙のあと、ダートがためらうように言った。
「今夜は……夜勤なので、室長がお休みの頃に、譲渡します。」
「――うん。」
「もし、も、周りに誰かいたら、とめて下さい。」
ダートに、ハンカチを手渡された。
「怖がらせて、すみませんでした。」
「……うん。」
頬に流れた涙と、目のふちを拭うと、そのハンカチを、そのままダートに奪い返される。
まるでダートが保護者だった。
「室長、この後、官舎へ戻られますか。」
「うん。あぁ、悪い、――思ったよりも時間をとってしまった。」
そう言うと、ダートから手を差し伸べられて、思わず握る。
「室長。――室長は、いつも、何も、悪くありません。」
――ああ、ダートは、いつもそう言ってくれていた。
線を引いていたのは、自分。
「うん。――時間をとってくれて、ありがとう。」
「――はい。俺こそ、ありがとうございます。」
この子を怯えさせていたのも、自分だった。
手を引かれ、立ち上がる。
「――官舎まで、お送りします。」
「うん。――ありがとう。」
すっかり暗くなった部屋の中、小さく微笑んでみせた。
その晩、おそらく魔力譲渡は行われた。
共鳴具の震えも、ときめきの奔流も、何もアーネストを起こさなかった。ただ、こめかみを伝った涙の跡が、それを物語っていた。
「室長、モノクル来るの待たなくていいんです?」
ヘイデンに問われ、うん、と返す。
「モノクルはあくまで補助だからねー。ない時に自力でどう動くかくらいわかっておかないと、困っちゃうでしょ。」
「あ、非常訓練ってことですね。」
腑に落ちた、と言ったふうに返されて、そうなのかな?と少しだけ思った。
「うーん?まあ、そう言うことかな。」
そうか。
モノクルなしの方が、非常事態になるのか。
不思議な感覚に見舞われたが、これも変化の一つなんだろう。
この日、思いたって訓練場を訪れ、深夜勤明けの一日休暇を取っていたヘイデンと行き合ったので、頼み込んで今から手合わせをしてもらうところだった。
本当は、戦い方も引き方もうまいダートに頼めたほうが安全ではあったかもしれない。
だが、お客さんがいつでも自分のコンディションを気にしてくれるわけではないのだ。それよりも、今の見え方を早く自分の感覚にしてしまいたかった。
「では、「お願いします。」」
――率直に言って、右目が見えづらいと言うのは、想像していた以上に戦いづらいことだった。
距離感――間合い、剣先の軌道、タイミング、相手の呼吸……。
今までどれだけ視覚の情報に助けられていたのか、改めて思い知った。
「はぁっ、はっ、――っ、キツいな……。」
「いや、しつちょ……っ、右目実は結構見えてるんですか?!けーっこう普通に防ぎますよねっ」
意地だよ。――とは言えなかったが、やや手加減してくれているヘイデンに、それなりに食らいついている自負はあった。
ふと、ヘイデンが気を逸らした隙に攻撃を仕掛ける。
「――っ!だっ!」
「おしっ、はっ、ふーーっ、取った。」
胴に打ち付けた剣先を引いて、膝に手をつく。
慣れない動き方で戦うのは、さすがに体力の消耗が激しかった。
「もーっ、室長ズルいっす!」
騒ぐヘイデンを無視して、呼吸を整える。
それから、ニッと笑ってみせた。
「そりゃヘイデン、相手に隙を見せた自分が悪い。」
「そうですけどぉー。」
そうして踵を返して、ヘイデンが気を取られたものに気がついて足を止めた。
ダートだった。
「……お疲れ、今夜深夜勤だろ?」
眩しそうにこちらを見たダートは、一つ、頷いてから、「はい」と返事をした。
「室長は、相手の隙を読むのがお上手なんですね。」
「ん、今の?――あれはヘイデンに隙がありすぎただけだよ。」
そうでもなければ、最後の一手はいれられなかっただろうと思う。
そう返すと、ダートはヘイデンの背中をみて、アレは自分のせいだったと思います、と小さく笑った。
「室長!自分は制御の訓練してきますんで、これで失礼します。ありがとうございました!」
木剣を弓矢に持ち替えたヘイデンが、そのまま訓練場の隅にある的の方へと走っていく。
ダートの目線がヘイデンの背中に移ったのをみて、――知らぬ間につめていた息を、吐いた。
手すさびに木剣の先を揺らし、ダートに尋ねる。
「鍛錬か?」
言いながら、用具入れの方を見やる。そろそろ備品の確認をさせなければ。
「――はい。体を動かせればと思ってきてみました。」
「そっか。」
それから、うまく言葉が続かなくて、首の後ろを撫でる。
「あー、じゃあ。僕はそろそろ戻るよ。――付き合えなくて悪い。」
言ってから、チラと見ると、ダートがこちらを向き直って頷いた。
「――いえ、とんでもないです。見学させていただきありがとうございました。」
空は、透き通るほど晴れていた。
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