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第44話 あたたかさ
アーネストはそのまま、踵を返して宿舎から離れ、厩舎に向かっていた。
事故のあった日からしばらく、目の見えなかったアーネストは厩舎に近寄らせてもらえなかった。
だが、視力を取り戻した日、自分の馬に久々に会い、首を撫でてやって、その温かさに心底ほっとしたのを覚えている。
今、あの安心感にもう一度触れたかった。
「――――、――?」
誰かの話し声がした。
低く、優しい声で、馬に語りかけている。馬の歯ぎしりも、小さく聞こえる。
誰かが馬の世話をしているようだった。
双方の落ち着いた雰囲気を感じて、邪魔にならないように静かに進む。
「――大丈夫。室長、また来てくれるからな。」
馬が低く息を吐き、その言葉に返事を返した。
――ダートだった。
足元で、藁がかすかに鳴った。
その音に、近くの馬が静かに息を吐く。
今、気づかれるのが怖くて、アーネストは小さく息をつめた。
そっと、足を引く。できるだけ音を立てないように、慎重に体の向きを変えて、アーネストは厩舎を出た。
あの温かさに触れたかったのに。
あんまりだ――。
そう、思ってしまった。
「室長さん、怪我すっかり治ったようで何よりです。娘を助けてくださって、本当にありがとうございます。」
翌朝、師団の厩舎を訪れた馬具職人――グスタフ・バロウズは、アーネストの顔を見て開口一番そう言い、深々と頭を下げた。
慌てて頭を上げさせながら、目がまた見えるようになって、本当に良かったと、そう感じた。
あのまま見えなくなっていたら、この職人も、娘も、大きな傷を抱えることになっただろう。
「頭を上げてください、バロウズさん。我々としては当然のことをしたまでです。
それに、お嬢さんがしっかりとフィン……でしたよね、フィンのことを支えてくれたから、我々も安全に助けることができました。
……僕の怪我は、――不可抗力です。」
誰にも、あれは防ぎきれない事故だった。そう思ったので、笑顔を作って見せた。
それにもう、見えるようにもなった。
「こちらこそ、ご心配をおかけしてしまったこと本当に申し訳なかったです。……ああ、いや。
――ご心配くださって、ありがとうございます。」
この日バロウズが師団を訪れたのは、今後の専任契約のこと。
それから、それを踏まえての師団の馬の状態確認が目的だった。
「室長さん、かなりの大怪我だったと思いますが、世話は厩番にお任せだったんですか?
――かなり丁寧に世話をしてくれる人がいるんですね。」
アーネストの馬の様子を見たバロウズの言葉に、首を傾げる。
確かに、厩番に世話は頼んでおいたが、この職人にそう言われるほど丁寧にやれていたとは思わなかった。
それで、昨日の声が、蘇った。
なぜだか、ときめきに似た胸の痛みが蘇り、たまらず息を吐く。
馬が、静かに首を揺らした。
――ああ。
「自分がお世話していました。」
背後から、ダートの声がした。
「ああ、ありがとう。フリード、……とても助かった。」
右足を下げて、少しだけダートの方を向いて答える。
それからまたバロウズに向き直り、彼のおかげです。そう伝えた。
「そりゃあ、……あんだけいい馬を選んでもらったんだ。それくらいの恩は返さないとな。あんた、若いのにしっかりしてるよ。」
バロウズの言葉に、ダートが少しだけ動いた気配がしたが、アーネストからは見えなかった。
バロウズは満足げに頷くと、アーネストの馬の背を軽く叩いた。
アーネストも、そっと馬の首に触れた。
温かかった。
「それで、毎回の遠出――演習の前に、一斉に点検してやることでいいですかね。」
「はい。毎回、演習の前はできるだけ全員集まれるようにしていますので、このタイミングが好都合かと。」
それで、バロウズはぐるりと厩舎を見渡し、少し離れたところで備品の確認をしていたスコットに声をかけた。
「騎士さん、えーと」
「カーターです。スコット・カーター。よろしくお願いします。」
スコットは顔を上げて微笑み、フルネームを名乗った。それでピンとくる。牧場に行きたいのだろう。
だが、この職人のところへ行かせるのはダートだ。しばらく馬具のこまめな点検が必要だった。
「ああ、カーターさん。ここの馬達は全部で――――」
バロウズには、実務的なところはスコットと話をするよう伝えてあった。なので、馬のことを気にかけてくれたあとは、軽くアーネストに頭を下げると、そのままスコットと話をし始めた。
あとは、任せておいていいだろう。
アーネストはそう判断した。
「じゃあ、――バロウズさん、書類ができたら、上で。」
バロウズと二人が頷いたことを確認し、アーネストはそのまま厩舎を後にした。
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