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第45話 預ける
執務室で契約の最終確認をしていると、スコット達がバロウズを連れて戻ってきた。
はじめの一年は、頻度をやや高めに、翌年は原則演習前のみ。万一馬の入れ替えがあれば、そのタイミングで臨時契約を確認。
ごくシンプルで、だが、過不足のない契約だった。
「バロウズさん、内容を改めて確認してみて、いかがでしたか?」
向かいのソファに座って契約の内容を確認したバロウズは、少しだけむず痒そうな顔をしてから、口を開いた。
「――いやあ……、こういうことを騎士団の偉い方に言うのも何なんだが……。ずいぶんと親切で、羽振のいい契約なんで、正直まだあんまり実感がないですよ。」
そのセリフに、思わず苦笑がこぼれた。
騎士団といえども、予算が十分取れていなくて、何とか体裁を保っているだけの組織もあるし、逆に中身が伴わない、ハリボテの組織もある。
アーネストは、師団の中も外も、そんなふうにはしたくなかった。
「それは、――羽振がいいわけじゃないですよ。僕だって、無駄なものにお金をかけられる余裕があるわけじゃない。
でも、――うちの騎士が命を預ける馬を、世話してもらうんです。
これはあなたの腕に対する正当な対価と、信用です。」
だから、逃げずに答える。まっすぐ、バロウズの顔を見て、笑顔でそう答えた。
「――室長さん。あんた、実はずいぶんおっかない人ですね。」
「はは」
自然と笑い声がこぼれた。ダートの馬のことでしっかり叱られた時の顔を思い出す。
「バロウズさんほどじゃありません。」
スコットが手際よくインク壺などをテーブルに運び、契約締結の準備が整った。
バロウズが署名をしたため、アーネストもその後に署名する。
小箱を手に取り、蓋を開けた。普段ほとんど使うことのない師団の印章がそこには納められていた。
印章を手に取り、――小さな印章は、今のアーネストには少し扱いづらいそれを、印泥に沈める。
皿の淵を掠めた印泥は、少しだけ朱の滲みに偏りがあった。
「悪い、スコット、――ありがとう。」
アーネストの右後ろに控えていたスコットから乾いた紙を受け取り、一旦印章を拭った。それで、もう一度印章に朱をつけて押印した。
「では、これで。――これから、どうぞよろしくお願いします。」
二枚作成した契約書の片方をバロウズに手渡すと、少し渋い顔をしたバロウズがそれを受け取った。
「――室長さん、あんた。――怪我、目、治ってないんですか?」
「あ、……ばれちゃいましたか。片方だけですけどね。」
改めて印章を小箱にしまい直す。
蓋をして、左脇に置こうとしたところで、スコットに声をかけられた。
「お預かりします。」
「ん、ありがとう。」
手を持ち替えてスコットに手渡す。そこで、スコットがここにいたのだということに気がついた。
「――カーターさん。次の遠出、……演習。いつだって言ってました?」
バロウズがスコットに尋ねた。
「は、え?……明後日ですね。」
「それ、室長さんは馬車にでも乗ってかれるんですか?」
言われたことに驚いて、思わず否定した。
「いやそんな。騎乗で向かいます。」
言ってから、しまった、そう感じた。
この職人の、言わんとしていることに、気がついた。
「あの」
すい、とバロウズが契約書を差し戻してきた。
「署名までして申し訳ないですけどね。すみませんが、私は室長さんとはお仕事はできません。あんた」
バロウズが大きく息を吐いた。
「騎士のくせに、馬に乗ることの何が危ないのかもわかってない。そんな人と、私は仕事はできません。」
「バロウズさん」
騎士として。そして、この師団の指揮官として。
今ほど自分の至らなさと、自覚の足りなさを噛み締めたことは、なかった。
そして、こうして自分の足りないところを指摘してくれる人のいることが、どれだけ貴重なことなのかを感じた。
「――すみません。僕は、その、お気づきの通り、片方の目はあまりよく見えていません。それがどれほど危ないことなのか、あなたに言われるまで気づきもしていませんでした。」
そこまで言ったところで、バロウズがまた大きく息を吐いた。
それで、少し黙ってバロウズの様子を伺う。
「全く見えないわけじゃないんですか。」
「あ……、はい。見えづらい。そう言うところです。」
そう言うと、バロウズが額をこすりながら、もう一度契約書を眺め、
そして、言葉を続けた。
「――それじゃあ、もしかすると、分かりづらいのかも知れませんが。――人間が片目が見えづらい。それだけで、馬は違和感を充分感じるんです。」
一息入れて、バロウズが鼻をすすった。
「あんたが誰に気を許してるのかだって、馬は全部わかってる。そんな馬が、片目が見えづらいあんたを乗せて、不安にならないと思いますか。
あんたをまた怪我させるかもしれない。
そういう危険があること、考えてくださいよ。」
――ああ、そうか。
自分が受け止められるなら、それで、全く問題ない。そう思っていた。
だけど、そうは思えない存在も、あるのか。
それが、あの温かい安らぎの正体なのか。
そう思うと、自分のこれまでの考えが、どれほど馬にとって報われないものだったのかがわからされて、
アーネストは、唇を噛んで、瞳を閉じた。
「おっしゃる通りです……。僕の、考えが、全く足りていませんでした。」
目を開けると、バロウズが、こちらを見てじっと待っていた。
それで、ようやく自分の言うべき言葉に思い至る。
「まだ、学ぶべきことが多いですが、だからこそ、バロウズさんに支えていただきたい。そう思います。お願いです、この師団を、僕のことを、支えてくださいませんか。」
そう言うと、バロウズはもう一度鼻をすすって、契約書を改めて手に取り、
それから、一言、告げた。
「――練習ですね。」
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