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第52話 侵入
「――――!」
誰かの声が遠くから聞こえる。ふと目線をやると、厩舎の入り口からヘイデンが飛び込んできた。
「フリードー、室長知らない?――あっ、室長もいた、よかった!」
ダートが首だけめぐらせてヘイデンの方を見ると、ヘイデンはそのまま言葉を続けた。
「室長、今度の任命式、本部から参加者の通達ありました!執務室に置いてるそうですけど、早めにご確認してほしいそうなんでご連絡でっす。じゃ!」
「――あ、ありがとう。」
にこにこと用件を言い切ると、ヘイデンはさっさと宿舎の方へと駆け戻っていった。
それで、今の自分たちの距離感に改めて気づき、――なんならダートに頬を挟まれたままだ。
「おっ、おまっ、――人が来た時くらい離せよっ……」
「すみません。ヘイデンなので別にいいかと。」
「――――っ、よ、……くないだろ……。」
力が抜けそうになったアーネストの頬を、ダートの親指がすりすりとなでて、それからもう一度、しっかりとアーネストの目を覗き込む。
「俺は、室長のおそばにいます。室長も、俺のことをそばに置いてください。」
しっかりと目を見てそう言われ、なんと返そうかと迷い、アーネストに言えたのは一つだけだった。
「――もう、一番近くにいるよね君……。」
「はい。」
にっこりと笑ったダートが、ようやくアーネストの頬を解放し、そのまま馬の頬を撫でた。
その手に顔をすりつけている馬が面映ゆくて――
まだ指先に残る体温を隠すように、手袋をはめた。
「フリード!探してたんだ。室長どこかわかるか?」
執務室に入ろうとしたところで、そんなスコットの声が聞こえてきた。それで、扉の影から顔を出してやると、そこにアーネストがいたことにスコットも気づいたようだった。
「室長、良かった。本部から通達がきてます。お急ぎみたいで。」
「ありがと、ヘイデンからも聞いたよ」
軽く手を振って感謝の意を伝えてから執務室に入った。
「室長、まだ暖炉の火を入れてないんですか。」
後から入ってきたダートが言うのに、頷いて答える。
「朝イチで本部に呼ばれて、んで叙任式だったろ。」
それで、ダートは無言で頷いて、暖炉に火を入れ始めた。
部屋が暖まるのには少し時間がかかるだろう。
「ありがとう。待機室の方は多分あったかいから、フリードは戻るといいよ。」
そう言いながら、装備を外していく。
まずサーコートを脱ぎ、畳んでスタンドの脇にかける。
手甲を外してから左手の手袋を抜き、右の手袋は、中指の先を噛んで抜き去る。
「室長、手袋痛みませんか、それ。」
いつの間にかダートに見られていたようで、一瞬手が止まった。
「――まあ、うん。でも右手はついやっちゃうんだよな……」
外したものをスタンドに置いて、それから剣帯を外した。
室内に留め具の音が広がった。
ふと気配に気づくと、ダートがすぐそばに来ていた。
「鎧外しますよね、お手伝いします。」
マントの下、胴回りの鎧を見下ろしてから、執務机に置かれた通達の文書にも目をやる。
「――や、まだいいかな。まだ寒いし。」
「わかりました。」
何かを意識したわけではないけれど、――思わず部屋の寒さを理由にして、断ってしまった。
座りづらいのは、わかっていたけれど。
結局、ダートは執務室を出ていかなかった。
スコットから任された整理があると言うので、そのまま作業をするのだと言う。
正装の装備からサーコートなどを外し始めたダートに、何かいたたまれないものを感じて、アーネストはさっさと本部の通達を確認することにした。
封書を開封し、中身をあらためて、――もう一度あらためた。
「――宰相が……?」
ウィズの任命式は、それから二日後に執り行われることとなった。
任務で出ていた室員が帰投した翌日、突貫で予定が調整され整えられた。
それもこれも、――宰相閣下の任命式参席通達があったためだ。
室員全員が本部前の広場に整列し、アーネストとウィズがその前に、アーネストの斜め後ろには宰相閣下と書記官が控えていた。
宰相閣下がおいでだと言うのに、自分が任命を代行することには、アーネストの中にまだ大きな葛藤がある。
さすがに宰相閣下がおいでとなると、その存在感は桁違いだからだ。
それでも、宰相閣下ご自身の口から、ご自身の立場はあくまで参席であり、任命の代行はアーネストに授任されていることを言明されれば、それ以上もはやどうしようもなかった。
任命状を確認し、内容を読み上げる。
そして、陛下の御名でこれを任ずることを述べれば、ウィズの副師団長任命は、正式に形になった。
ダートへの叙任の時とはまた異なる感慨があり、任命状を手渡した後には、つい安心した心地になってしまったほどだ。
室員全員の顔を見渡し、それから後ろを振り返って、宰相閣下と書記官殿へ参席への礼を述べた。なぜなら、この二人の正式な参席により、ウィズの任命がずっと格式高く、正当性のあるものとして意味づけられたからだ。
「宰相閣下、本日のご臨席誠にありがとうございます。」
「いや。陛下も気にかけておいでだったので、私がくることができてよかった。このような良い日に立ち会えたこと嬉しく思うよ。――さて、」
朗らかな笑顔を見せた宰相閣下が、――いつもその朗らかな笑顔のまま、さまざまな判断をなさるお方である、室員たちの顔を見回して、言葉を区切った。
「今日僕は、君らに伝えなければならないことがあってね。」
――きた。
ただのご臨席で済むはずがないことは薄々予感していたが、思いがけないタイミングでそのような事を言い出され、思わず息を飲んだ。
宰相閣下は、ぐるりと顔を巡らせて室員たちの顔を眺め、それからそのほかにも多く集まった見学者たちの顔も眺めた。
今日の任命式に宰相閣下が訪れるという噂は思いの外広がっていたようで、他団の騎士達や、騎士団長らさえも数名混じっていた。
これほど大勢の目の前では、宰相から何を言われようともうどうしようもない。覚悟はしていた事だが、はっきりと顔から血の気が引いた事を自覚した。
「まず、――アーネスト・ブリュージュ室長」
宰相閣下にそう名指しされ、それから
――少しの違和感に、すぐ返答することができなかった。
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