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第55話 立つ
アーネストは、つまり師団長のままだった。
噂話がすぐさま消えるものでないことも、アーネストのことを面白おかしく言う者がいることもわかっている。だが、それがどうした、と言える強い後押しをいただいた以上、アーネストにできるのは、この場所で立つことだけだった。
その後に行われた団長会議では、アーネストと師団への祝福を団長達からいただき、師団の任命式への参列もお約束いただけた。
師団と比べて少し波紋があったのはアーネストの実家の方だった。
一応後継者を残すべき立場の人間であり、将来誰か妻を迎えるつもり……ではいたので、アーネストは家族に自分のセクシュアリティのことについて、ちらりと匂わせたこともない。
しかし、アーネストはもう、自分が父の後を継いで子爵家を繋いでいくことはできないとわかっていた。
道のことはもちろんある。
だが、それ以上に、自分の帰る場所がそこではないと、はっきりわかってしまったので。
結婚の形で人生を定めるつもりがないこと、また、師団長として団員たちをしっかり率いていきたいので、家を継ぐことができないことを認めた手紙を送り、何も気にするな、という短い返信を受け取った時には、父の真意をにわかには信じられなかった。
「あら、アーネスト様、おかえりなさいませ。」
久々に顔を合わせたメイドが、アーネストの顔を見つけて朗らかに笑った。子爵様なら、執務室でお待ちですよ。という言葉を受けて、軽く挨拶して奥へ向かう。
気にするなと言われはしても、アーネストも何も気にしないでいられるものではない。そのため、父親と話をしに、久しぶりに実家のタウンハウスを訪れていた。
「父上、アーネストです。」
入りなさい、と言う応えを受けて扉を開けた。それほど裕福な家ではないが、応接室に執務室はしっかりとした設えをしている。
アーネストは、師団の執務室を用意する際、いつもこの部屋のことを思い浮かべていたことを思い出していた。
「久しぶりだな。師団長ともなると忙しいだろう」
まわりくどい挨拶などを抜きに、子爵がアーネストに声をかけた。
「しばらく音沙汰なしで、不義理をしておりました。」
「親子の間に不義理もないだろう。今日はどうした?先日の件か?」
子爵は、少しだけアーネストの顔に目線をとどめた後、そのまま何も言わずに視線を外し、何事もなかったようにアーネストへ用件を問うてきた。
アーネストの父親は、基本的に合理的で、貴族的な物言いをあまり好まない。
「はい。家にとっての大切なこと、便りの一つで終わらせることではないと気づきました。申し訳ありません。」
「別に構わないよ。書いた通り、お前は気にしなくていい。……もっと早くに言ってやればよかったな。」
そう言って、子爵は机の上から一枚の書類を取り上げた。
見てみなさい。そう言われて手に取ると、王宮からの書簡であった。日付は半月ほど前。
「さすがに、子供を取られて嬉しい親はいないからな。――少し前から動きがあることはわかっていたし、断れるものでもないが、二つ返事で受ける話でもないと思っていたんだ。」
内容は簡潔なものだった。
曰く、子爵家長子であるアーネストについて、優秀な師団長であり、また末永く団で任官されたい人材であるため、名誉爵位叙任の上、爵位継承権を放棄されることを期待している。とのこと。また、アーネストの弟への爵位継承について、本来嫡男以外に継承する場合に課される高い税率を、今回に限っては免除するとのことが記されていた。
「王妃殿下……?」
「うむ、陛下だけでなく、王妃殿下の署名まである。アーネスト、よほど気に入られているのか?」
これは、ウルラとなり、この先自分の番い以外の人間とは口付けもできない体質となった自分への、王妃殿下なりの気遣いなのだろう。アーネストは思った。
ディッカーとウルラにまつわる詳細なことが、国の機密事項であることはアーネストもよく承知している。だから、この体質のことがどうしたって説明が難しいこともわかっていた。
立場が弱くなりがちなウルラのことを、あのお方はいつも慈しんでくださる。
「そうですね。王妃殿下には格別のご配慮をいただいています。」
にっ、と笑ってみせると、子爵も薄く笑った。
「そうか、我々の母たるお方がそうおっしゃるんだ。受け入れるしかないだろうな。」
アーネストから書類を受け取ると、子爵は早速、継承権放棄の手続きをしようか、と書面を用意し始めた。あとはアーネストの署名を入れるだけのそれに、そうとは気付かず呼び出されたのだなと察する。
こうしたところを尊敬していたから、団で地位を得ても、いずれは後を継ぐことを納得し、覚悟もしていたのだった。――そう思い出す。
「父上」
「うん?」
ペン先をつまんで、少し丁寧に整える。
「ありがとうございます。」
「……うん。」
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