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余韻03 欲しがる

 ――今のは、まずかった。  厩舎を去るダートの背を見送り、それからヘイデンとの話を反芻し、アーネストは自分の失態をはっきりと自覚した。  それでも、まだ日は高く、今はまだ、自分は師団長であるべきだった。  モノクルを外して、ダートの馬のたてがみに顔を埋める。  馬が鼻を鳴らした。  執務室に戻ってみると、ウィズが黙々と資料を読み込んでいた。過去の演習の、フィードバックの書き付けだ。 「何か気になることでもあったか?」 「――あ、お疲れ様です。いや、――俺ももう少し師団のことを勉強しないとと思いまして……」 「――ああ、いいね。」  言いながら、お前そこはもう十分だから、他部署との顔繋ぎを頑張れよ。とも思った。  まあ、副師団長としてもっとやれることがないか、と考えて行動しているウィズの鼻面を、いきなり殴る必要もない。  ただ、今のアーネストにとって、ウィズのこの心境の変化は喜ばしいことではあった。 「――じゃあさ、ウィズ――」  ひとまずアーネストは、演習と市街巡回の取りまとめをウィズに任せてみることにした。  普段実際に関わっている「外部」から、順に外部対応に慣れていけばいい。そう考えたからだ。  そして、ウィズの苦手な文書化については、筆耕を専門に請け負う事務官を師団に迎えることで話をつけた。元々想定していたことなので、本部がそろそろ目星をつけている頃だろう。  この手の管理や処理は専門家に任せる方がずっと効率がいいはずで、結果的に今のアーネストの仕事も楽にしてくれるはずだった。  その日はそこまでの段取りをつけるところまでで仕事を終え、アーネストはいつもより早い時間に執務室を出ることにした。    そのまま待機室に向かう。  早番のダートももう仕事を終える頃だ。 「なあ、フリードいる?」  待機室の扉を開け、顔を覗かせて師団員たちに問うと、室内の顔が一斉にアーネストの方を向いた。 「――っえ、なに君ら。ちょっと怖いんだけど。」  ほぼ全員が無の表情でこちらを眺めるものだから、さすがのアーネストもつい怯んでしまった。すると、中でも唯一拗ねたような顔をしていたヘイデンが口を開いた。 「――や、俺のせいでもあるんですけど……。しつち、師団長がフリードにひどいんすもん」  ヘイデンの言葉が、アーネストの心にぐっさりと刺さる。  確かに、さっきのはひどかった。  そこまで考えてから、違和感に固まる。 「――――え?」  え、なんで知ってんの?  浮かんだ疑問は声にならず、ドアノブを掴んだまま止まっていると、アーネストの後ろからウィズの声がかかった。 「そりゃ師団長……、あんだけしょぼくれた顔して帰ってきたら、だいたいなんかあったってわかります」  ――返す言葉もなかった。  それでも、自分の仕事をある程度振り分ける算段を今日中につけたことについては、師団員たちから一定の評価を得たようだった。  それでアーネストは、ダートの居場所をようようスコットから教えてもらうことができた。 「――ダート」  足元で川原の石が軽い音を立てた。  まだ番いになる前、ダートと二人で水魔法の練習をした川原だ。 「師団長。――どうして、ここに」  パッと振り向いたダートは、少し驚いた顔をして石から腰を上げようとした。  それを手振りを使って押しとどめ、アーネストはダートの近くまで歩み寄った。  ダートの前にしゃがみ込んでから、座っていいか?と尋ねる。 「――っ、いい、ですけど。」  目を、そらしてダートが答えた。  それで、ダートの隣に座るのは少し待つことにする。  代わりに、そのままのかっこうでアーネストは口を開いた。 「あの、――昼間は、ごめん。」  自分が、悪いことをしたかどうかではなく、ダートの心を傷つけたかどうか。  それが、昼間の出来事だった。  いつもダートから言われていた言葉を思い出す。  ――室長は、いつも、何も悪くありません。  悪いことをしなくても、――間違ったことをしなくても。人の心は傷つくことがある。そしてそれは、アーネストとダートのように、心の柔らかいところを繋げあった間柄では、想像よりずっと深く傷つくこともある。  自分がずっとダートにしてきた過ちを、今日アーネストはまた繰り返してしまっていた。  そう気付かされた。 ダートはまだこちらを見ていなかったが、アーネストは少し黙ってから、また言葉を続けた。 「俺、今まで、――お前に会うまで。あの師団が全てだったんだ。」  まだディッカーたちが、各隊の中でたった一人、負荷を飲み込み続けていた頃。  周りの無理解と、過剰な期待とで疲弊していたディッカーたちを集めて作られたのが、特殊師団だった。  まだ二十歳の若造が、ディッカーを取られた隊長たちと渡り合い、ディッカーの特性を見極めるために演習を組み……、そうしてなんとか足場固めをしながら作ってきた師団だった。  いつか、手放すべき場所だと分かっていても、大切だった。 「それで、――俺の全部は、師団のために費やすのが、俺には当たり前になってた。」  だから、師団ごとひっくるめて、ダートのことを守りたかった。なぜなら、アーネストの誇りは、ダートに預けると決めたのだから。  その差し出し方がどれだけ独りよがりなやり方だったのかは、ダートが丁寧に教えてくれたけれど。 「――知っています。」  ぽつりとダートが言った。 「師団長にとって、どれほどあの師団が大切なものなのかは、自分だけじゃなくて、師団の全員がよく知っています。」 「あ、……ダート」 「ただ」  目線が絡み合った。 「それでも、俺は少しだけ、あなたのことを欲しいと思ってしまう。それだけです。」  その、静謐な眼差しに、アーネストはしばし言葉を忘れた。  我知らず呼吸が浅くなり、それから―― 「ダート、――欲しがって欲しい」  気づけば、体の震えがそのまま、言葉になってこぼれ出ていた。  ダートの瞳孔が一瞬開き、それから素早く腕を掴まれた。 「――いいんですか。」

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