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余韻17 見透かされて
「なんか今日師団長ご機嫌ですね」
珍しくアーネストの執務室で書類仕事をしていたノアが、顔を上げて言った。
「――そう?」
確認した書類に署名を入れて、脇机のトレイに入れた。
このままなら、今日は少し余裕をもって仕事を終えることができそうだ。
立ち上がって、腰を伸ばす。
「まあ、そうかも」
心当たりは、ある。
ちらっとアーネストを見上げたノアは、何枚かの書類をまとめて、執務机の前にやってきた。
「じゃあ、そちら俺が本部まで届けておきますよ。久しぶりに部長の顔も見ておきたいですし」
「わあ、ありがとう。遠慮なくお願いするよ」
トレイごと手渡すと、苦笑したノアがまとめて受け取ってくれた。
任されました。そう言って執務室を出ていくノアを見送り、アーネストは早速支度を始めた。
朝のうちに、タウンハウスに滞在中の父へ訪問の連絡を入れておいたのだ。
ひとまず、ダートが聞いてきたという縁談のことについては、話を聞かなくてはならなかった。
マントを肩にかけ、アーネストは執務室を後にした。
「お前の耳にまで入ったのか」
執務室のソファで、のんびりと茶を飲みながら子爵は言った。
「ということは、俺の縁談ってわけではないのですね」
父の返事を聞いて、軽く息をはいた。
少し姿勢を楽にして、カップに手を伸ばす。
「そうは言っていないさ。ただ、話の回るのは思ったより早いのだと驚いただけだよ」
「父上。――俺は結婚はできませんよ」
カップに手を伸ばしかけたまま、アーネストは子爵の顔をひたと見つめた。
「どうしてだ?いっぱしの男で、継承権は放棄しても騎士で、陛下直轄という、誉れ高い師団長の肩書きもある。
――世間が放っておくと思うか?」
子爵の顔はいたって平静で、声のトーンも普段と何も変わりなかった。
この父の底知れない胆力は、アーネストの土俵ではない。
アーネストはさっさと戦場を変えることにした。
「世間が放っておかないとしても、婚姻は一人でするものではありません。
俺の知らぬところで俺の縁談の話が進んでいるのなら、それは話が違います」
「――まあ、そうだろうな。本来お前がやるべきことだ」
子爵はそこまで言うと、ソファを立ち上がり、執務机から木箱を持ち上げた。
アーネストに差し出して、開いてみるように促す。
受け取って開けてみると、数枚の封書が納められていた。
「今月の分だ」
「――は?」
子爵の言葉をすぐには理解できずに、乾いた声が出た。
「お前宛の縁談の申し入れだよ。全部で八通あるんじゃないか」
縁談の申し入れ。
アーネストは、木箱のふたをそっと閉めた。
「本来お前のやるべきことだ。お前と縁続きになりたいと言う家や、お前に婿に来て欲しい家。
もしかすると、純粋にお前に惚れているお嬢さんもいるかもしれない。
結婚しないのはお前の自由だが、私もいつまでもその世話ばかりはしていられないよ」
顔を上げた先の子爵は、少し口の端を上げてアーネストに言った。
「結婚をしないなら、せめて家を出なさい。ニコラスにまでお前の縁談の処理を押し付けるような真似はよしなさい」
「……おっしゃる通りです」
ニコラスの――弟の名前に、口をつぐんだ。
どれほど家に助けられていたのか、こんなところで実感することになるとは思ってもみなかった。
手にした木箱が、とてつもなく重たく感じた。
「まあ、決まった人がいるんだろう。今のお前なら平民のお嬢さんだって構わないんだ。さっさと身を固めてしまえばいいだろう」
子爵はアーネストの心持ちに気づいた風もなく、カップを手に取って口に運んだ。
確かにそうだろう。
いまのアーネストは、平民の娘でも、上は侯爵令嬢にでも求婚できる立場だ。
家を出ることもできるし、陛下直属師団の師団長の肩書きさえ持っている。
アーネストには、確かに自由な選択肢が与えられていた。
本当にそうなら、困ることなんてないはずだった。
「――父上。共に生きると決めた人はいます。
ですが制度の形に当てはめるのは、……難しそうです」
木箱を、一度脇によけた。
これは確かに処理すべきことだが、処理できることでもある。
「どういうことだ?」
父に、伝えるべきことかどうか、少し迷った。
アーネストはこれまで、自分のセクシュアリティのことを両親にはちらりとも匂わせたことはない。そのつもりだ。
同性同士であることが、世間からそれほど後ろ指さされる関係性とは思わない。
だが、アーネストは長子だったので。
伝えたとしても、アーネストが妻を迎えることに変わりはなかったはずだ。
妃殿下のご慈悲をいただくようなことさえなければ。
だが、今となっては――
「結婚することはできません。――男ですから、お互い。」
隠し立てすることではない。
ダートのことを、ただ一人の相手として尊重するためにも。
子爵の手に、なんの力も入っていない様子を見て、少しだけほっとする。
「結婚しようと、約束はしましたが。制度として形にすることは難しいです。ただ、父上のおっしゃることも」
「アーネスト」
名を呼ばれて、言葉を遮られた。
目線を上げると、子爵は少しだけ目元に笑みを浮かべてアーネストを見ていた。
「覚えていないか。以前、ここでお前に見せた陛下からの書簡を」
言われて、少し首を傾げる。
それは、継承権放棄に関わる通達のことか。
「妃殿下の、ご連名で頂戴した通達ですね」
手振りでうながされ、アーネストはカップを手に取った。
少しぬるくなってしまった茶を口に含む。
「名誉爵位の叙任について、打診を頂いていただろう」
少し思い返して、確かにそうだったかな、と考えた。
つまり、爵位を頂戴しろということか。
ゆっくりと茶を飲み込んでから、口を開く。
「――ますます、縁談が増えてしまいそうです」
「いいや。お受けしなさい。そうすれば、お前は自分の家を持てるようになる。――血統さえ考えなければ、準結婚ができるだろう」
子爵の言葉に、アーネストは目をまたたいた。
――準結婚。
考えてすらいなかった言葉に、しばし時が止まった。
「制度の存在くらいは知っているだろう。貴族なら時々そうしたご夫婦にお会いすることもある。習ったはずだ」
「……はい」
正式な奥方や伴侶が、その身分や適正において、家の内向きのことを取り仕切るのに不都合がある場合のために、
貴族家の当主は、その立場を任せる者を据え、その者に伴侶としての法的な権利を与えることができる。
性別は問わず、しかし、重婚は認められないため、正式な奥方はあくまで内縁の扱いとなる。
家庭教師から教わった知識が、アーネストの記憶の奥底からまろび出てきた。
「その、この制度は、そういうことのためにあるわけではないのでは……」
「いつからだ?」
子爵の言葉の意味をつかみかねて、アーネストは口を閉じた。
「その、お前が共に生きると決めた人とは。いつからお付き合いしているんだ?」
つい、最近。とも言えるし、番った時には、すでに捕まえてしまっていた気もする。
答えられずにいると、子爵は面白そうに口の端を上げてから言った。
「陛下方のご慈悲なんだろうな。お前が、お相手と共に生きたいと思うなら、ただ継承権放棄するだけでは足りないから。爵位授与の打診をくださっていた」
「俺がそう決めたのは、まだそれほど前ではありません」
アーネストの言葉に、子爵は息をもらして笑った。
「お前な。色恋ごとになると、多分思っているよりも顔に出ているぞ」
――つまり。
アーネストのあれこれは、色々筒抜けだったということか。
力の抜けた息をはいたアーネストに、子爵の押し殺した笑い声がかぶさった。
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