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五十 拒絶の瞬間

紫苑は人間界への道を知っている。 彼の案内で、幸一の魂は幽冥界を離れて、体に戻った。 幸一は旅館で目覚めると、隣に人が横になっているのを見た。 赤紫な衣裳を身の纏い、顔色が白く、繊細な美男子だ。 「紫苑さん?」 その人が紫苑だと気付き、幸一はさっそく彼を呼び覚ます。 「玄、様……」 紫苑は無力そうに目を開けた。 「幸一でいい」 昨夜はいきなり寝ちゃったので、幸一は窓の暖簾を締めなかった。 窓から朝日の光が入ってきた。 「あっ、締めたほうがいい?」 「大丈夫です。陽射しが嫌いじゃないです」 紫苑は感慨深そうに嘆いた。 「人間界に来るのは久しぶりです。おのれが生れた場所なのに、いつの間にか足を踏み入れる勇気もなくなりました」 「あんな大変なことに遭ったから、弱気になるのは当然だ。まずは人間界で静養してください」 幸一は紫苑の肩を軽く叩いて彼を慰めた。 「いいえ、おのれは、もともと弱いです……」 「お坊ちゃま、入ってもよろしいですか?」 扉の外から、二郎の声がした。 「うん、いいよ」 幸一の許可を得て、二郎は扉を開けた。 「昨日はご迷惑を――お、お坊ちゃまああ!?!?」 幸一の寝台で泣きそうな顔をする紫苑を見たら、二郎は思わず大声を出した。 (ど、どういうことだ!修良さんだけではなく、ほかの男とも一緒に寝るのか!!?) (お坊ちゃまは玄天派で、一体何を学んできたぁ!!??) 「紹介するよ、こちらは紫苑さん。幽冥界で知り合った友達だ」 「幽、幽冥界?!」 (お坊ちゃまは、鬼にまで手を出したってこと?!いやいや、何を考えているんだわたし!!) その紹介を聞いて、二郎は更に取り乱した。 「やっぱりこういうのが怖いか……何処から話せばいいのか……」 二郎が混乱した理由を勘違いした幸一は眉間を掴んで、言葉の整理に悩んだ。 「旦那様の魂はそんなことがあったのですか!?」 二郎は幸一から事情を聞いて、驚愕で目を白黒させた。 「ええ、二郎さんや朱執事は何か心当りがあるか?」 「お坊ちゃまが生れた時、わたしはただ四歳で、何も覚えていません……急いで父に手紙を出して聞いてみる」 「手紙は不要だ、俺は伝言の鳥を出す」 「あの、奥様にも聞いたほうがいいと思いますが……」 「そうだね、一応、母にも聞いてみるが、素直に協力しにくれるかな……俺のことが嫌いなのはどうしようもないけど、父を恨んでいないといいな……」 寝台で休んでいる紫苑が幸一の複雑な表情を見たら、大きく息を吸って、身を起こした。 「唐突ですが、お母様と何かあったのですか?」 「いえ、ちょっとドロドロというか、なんというか……」 別に恥ずかしいとか思っていないけど、簡単に説明しきれないので、幸一は返事に困った。 「かつて、おのれは人間界にいる間に、たくさんの女性や母親の悩みを聞きました。お母様との関係に悩んでいるのなら、お手伝いができるかも知れません」 「大丈夫だよ、紫苑さんはこれから玄天派の拠点に行って、保護してもらうから、ほかのことに構わなくていいんだ」 「いいえ、ぜひ恩返しをさせてください――」 紫苑は意志を示すように、拳に力を入れる。でもその端に、体がふらと揺れて、また寝台に倒れた。 「紫苑さん!」 幸一はすぐに紫苑の隣に行った。 「すみません……ちょっと、人間界に慣れなくて、めまいをしました。平気、です……」 「大変だね!俺の霊気を分けてあげよう!」 「いけません、もうこんなにご迷惑をかけています。心配はいりません。おのれは、もともと弱いですから……」 (うわ、これもまためんどくさいやつだな……お坊ちゃまの男関係…いや!人間関係が心配だ……) 二人のやり取りを見て、二郎さんは非常に嫌な予感がした。 次の二三日、幸一は伝言鳥の帰りを待ちながら、二郎と一緒に土地の確認と、売却の準備をした。 龍穴の土地は希少で貴重な商品なので、仲介商人が積極的に幸一たちに売買のことを案内した。 幸一が所有権を持つ土地は、谷川地帯にある。未開発の土地の故に、人造物のない自然の美しさを保っている。 仲介商人が土地の査定をする間に、幸一と二郎はしばらく悩みを捨てて、自然の恵みを楽しむことにした。 「さすが世界中一番風水のいいところだ。清らかな霊気がどんどん湧いてくる」 幸一は新鮮な空気を大きく吸った。 「わたしは霊気のこととがよく分からないけど、本当に心地よいところですね」 二郎さんも久しぶりに気持ちを楽にした。 「あれは……」 幸一は見まわしたら、崖の上に一輪の万年茸が目に入った。 「デカい万年茸だ!」 「あっ本当!紫色って珍しいですね!」 「体と霊気の回復にとても役に立つ薬材だ。よし、紫苑さんにあげよう!」 そう言って、幸一はさっそく崖に向かって飛んだ。 その勢いで万年茸を手にしたら―― 「痛っ!」 指が茸の後ろに凸凹の岩にぶつかった。 「お坊ちゃま!」 「大丈夫、かすり傷だ!」 旅館に戻ったら、幸一は万年茸を厨房に頼んで、汁を作ってもらった。 そして、自分で出来上がった汁を紫苑に運んだ。 「おのれのために、わざわざ……!?」 紫苑は幸一から万年茸のことを聞いたら、信じられないように目を大きく張った。 「紫苑さんは俺の霊気を受けたくないだろ。ちょうどこれを見つかったので、代わりにこれで霊気を補ってください」 「受けたくないなんて、とんでもございません!おのれは、幸一様の高貴な力を受けられるような身ではないなから……コッホン、ホン……」 慌てて説明をしたら、紫苑は息が継げなくて、何回も咳をした。 「紫苑さん、大丈夫!?」 (被害者なのに、その劣等感はどこからのものかな……) (もしかしたら、生前に何か悪いことでもしたのかな、そうは見えないけど……) 幸一はいろいろ疑問しながらも、腕で紫苑の背中を支えて、汁の茶碗を紫苑の前に送った。 「さあ、冷めないうちに飲もう!」 「……では、お言葉に甘えて……」 紫苑は両手で茶碗を受け取って、一口飲んだ。 「あつっ!」 汁の温度が高かったのか、紫苑は舌がやかれて、手が滑った。 幸一は茶碗を受け止めようとしたら、熱い汁が胸にこぼした。 「も、申し訳ありません!」 紫苑は慌てて幸一の外着を脱く。 その時―― 「幸一――」 部屋の扉が開かれて、修良が入り口に現れた。 「先輩!?」 幸一は驚いて嬉しかったが、修良の笑顔が素直な喜びではなかった。 「幸一、その方は?」 ニコニコの修良から溢れ出るとんでもない暗い気配を感じ、紫苑の震えが止まらない。 「幽冥界で知り合った紫苑さんだ。どうした、紫苑さん?寒いのか?横になって布団をかけよう」 「い、いいえ、いいんです、自分で、やります!」 紫苑はビクビクと幸一を押しのけた。 修良は窓を開けて、外に向けて一度深呼吸をした。 すると、外から人々の驚きな声があった。 「あれはなんだ!?竜巻か!?」 「牛が飛ばされたぞ!」 その雑音を窓の外に遮断して、修良はさわやかな笑顔で幸一に向ける。 「先輩、体はもう大丈夫?九香宮で待っていればいいのに!」 「ええ、もう大丈夫だ。幸一が心配だから急いで駆け付けてきた(正解だった)」 「俺は全然平気だ」 「へぇ、幸一は、私がいなくても平気か……大人になったな(面白いものも連れてきて)」 修良の笑顔がわざとらしいものになった。 「そういう意味じゃなくて!俺は自分を守れるって言いたいんだ」 「じゃあ、その手はどうしたの?」 修良は幸一の包帯が巻いている手を指さした。 「ちょっとしたかすり傷だ、二郎さんは大げさに巻いただけだ」 「見せて」 「うん」 幸一はいつものような自然な動きで手を修良に任せた。 修良は丁寧にその包帯を解き、まだ血痕が残っている傷を観察した。 「なぜ治癒術をかけなかった?」 「術を使うほどの傷じゃ……」 幸一の話は途中で止まった。 修良が彼を見ている眼差しは、苦しくて、悲しそうなものになったから。 「私がどれほどあなたを大切に育っていたのか、分からないのか?」 「先輩……」 「かすり傷とはいえ、毒の侵入口にならないとは限らない」 修良は目じりで布団の中で震えている紫苑を覗いた。 氷柱にでも刺されたように、紫苑はひくっと布団をきつく締めた。 「はい、もう、分かった。分かっている……」 修良の悲しそうな目に見つめられ、幸一は言葉が出なくなった。 修良は頭を下げて、幸一の指先を軽く咥えた。 淡い水色の光が幸一の指先をやさしく包む。 「!!」 幸一の心がドキッとした。 指先から伝わった感触は暖かくて痒い。なぜか、幽冥界で見せられた幻を思い出させた。 修良の吐息はやさしくて、懐かしい匂いがする…… 顔の温度が急上昇しているのを感じて、幸一は思わず手を引き戻した。 「大丈夫だ!放っといてもすぐ治る!」 「っ!」 小さな行動だけど、修良は驚いた。 幸一が彼の接触を拒絶するのは初めてだ。 「……そうか。じゃあ、お大事に」 修良は寂しそうに軽く笑ったら、身を翻して、部屋を出た。 「あっ、先輩!」 幸一はまだ何かを説明しようとしたが、修良は振り向かないまま幸一を止めた。 「二郎さんと話したいことがあるから、幸一はその方の世話でもしていて」

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