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百七 仮初の姿
昔から敏腕で強気の婉如は彼女らしくなく、おどおどと幸一たちに幸銘のことを説明した。
「旦那様がいなくなった後、幸馨と幸香を誠義さんの養女にしたくて、お願いの手紙を送ったの。その時に来た返事にこう書かれていた。誠義さんの家の一人息子の幸銘が数日前にいなくなって、ぜひ幸馨と幸香に来てもらいたくて、皆さんの心の支えになってほしいって……」
「でも、二か月前に、あの『幸銘』がいきなり現れて、誠義さんの息子の幸銘だと名乗って、私と幸世を助けに来たって。私は戸惑って、いろいろ家のことを質問したけど、彼は全部完璧に答えていた……」
「どうしても怪しいと思って、試して誠義さんに手紙を送ったの。前日、やっと返事が来たわ。やっぱり、幸銘はもういないって……」
確かに変な事件だけど、幸一はこれまでにいろんなことを経験したので、これくらいのことで動揺しなかった。
「じゃあ、あの幸銘は誰かのなりすましか、それとも何かが化けたのか――」
自分が種族の分別ができないと知っているから、幸一は|修良《しゅうりょう》に答えを求めた。
「私の目で見れば、普通の人間だ」
「じゃあ、やっぱりなりすまし?幸銘の名を騙って、名門の|玄家《げんけ》の人の身分を利用し、不正利益を企んでいるのが一番分かりやすい目的だけど……」
「お願い、幸一、この件を調べてくれないかしら。幸世はまだ何も知らなくて、彼のことを熱心な従兄だと思っているの……」
幸一が生れてはじめて、婉如は彼に願いことをした。
「もちろんです。俺も幸銘のことが気になるから、調べてきます。本当に不届き者だったらすぐ官府に突き出します」
幸一は快適な返事をした。
「お母様と幸世は気を付けてください。何かあったらいつでも知らせに来て。俺に話をしたくなくても、誠鶯叔母さんや二郎さんに相談してください」
「あ、ありがとう……お邪魔して、本当にごめんね」
婉如は恥ずかしそうに一礼をして、母親らしくない言葉を口にした。
幸一は平静な目で婉如の退室を見送ると、一度部屋を出た婉如は扉の隙間から、ほんのう少しだけ顔を見せて、一言を添えた。
「あなたも、気を付けてね、幸一……」
「!」
その一言を聞いた幸一は、心のそこから温かさが湧いてきた。
母との関係は、前世を知ったのをきっかけにすっきり清算したつもりだけど、母の些細な気遣いにやっぱり嬉しく思う。
婉如が仙縷閣を離れたのを確認したら、修良は話を続けた。
「幸一、私の判断は絶対ではないよ」
「ああ、分かっている。あえて普通に言ったのは、母に安心させるためだ。鏡花さんは朝廷に認定された救世主候補だ。いきなり現れて、鏡花さんに付きまとう幸銘は普通のはずがない」
幸一は表情を引き締めた。
「玄家より、幸銘は明らかに鏡花さんを目当てにしている。俺は鏡花さんに知らせてくる」
「鏡花さんときたら、幸一はやっけにせっかちになるね」
修良は意味深そうに嘆いた。
「俺は誰だって……」
思わず誰だって心配すると反論したかったけど、幸一はなぜか後ろめいたい気持ちがあって、その言葉を言えなかった。
「鏡花なら無事だろう。普通の人間じゃない」
「鏡花さんの正体、分かったのか?!」
「……」
言葉が走ったら、幸一は気付いた。
言っている傍から、また焦った。
でも修良はただ淡々に微笑んだ。
「いいえ。でも、救世主だったら、すくなくともあの太陽太歳に相当する力を持つのだろう」
「鏡花さんをあの太陽太歳と一緒にしないでくれ、きっと何か間違ってる!」
「……」
幸一はまた、沈黙した。
だめだ、どうしたのか、自然に鏡花を庇う。
修良は爽快そうに笑った。
「それでは、私は幸一が気になる鏡花さんのことを知るために、朝廷の人を脅迫しに行こう」
「ちょっと待って、なんで脅迫!?」
「脅迫でもかけないと、素直に救世主のことを教えてもらえないだろう」
修良は当たり前の表情を返した。
「せめてまず協力で試してみないか?」
自分が言えばあんまり説得力がないけど、幸一はやはり提案した。
「私にとって、協力より脅迫のほうがやりやすい」
「自分を悪く言わないと約束したばかりじゃないか?」
「悪く言っていないよ。力を持たないと、脅迫という行為が成功しない。むしろ自分を賛美している」
「……何処の理屈なんだ」
修良の詭弁に敵わないと知って、幸一はある程度諦めた。
修良のことだから、口でああ言っても、きっと自分より物事を穏便に運ぶはずだ。
戻ってきたばかりの二人はまた仙縷閣を出て、手分けで行動した。
***
鏡花は今夜も外出するつもりだ。
だけど、家の裏扉を出ると、そこに彼の行く道を遮る者がいた。
「幸銘様、夜中に他人の家の裏扉からのご来訪は、例え友達でも礼儀ではありませんよ」
鏡花は冷い口調で幸銘に言葉を投げた。
鏡花の冷淡に気にもせず、幸銘は近づいてきて、笑っているよう笑っていないような表情を見せた。
「今夜月がない。鏡花さんは人気俳優だ。この時間の外出は控えたほうがいいと思う。運が悪く、悪い人に遭ったらどうする」
「ご心配なく。私は一応、一人で遠い欽州からここまできました。自分の身は自分で守られます」
鏡花は幸銘に構わず去ろうとしたが、幸銘はなにかおかしいことを聞いたように笑い声を噴出した。
「プッ、一人でここまで?そのよそよそしい態度、いつまで装うつもり?」
幸一たちと一緒にいる時の遠慮ぶりと違い、幸銘は鏡花の腕を掴みとった。
「鏡花さんは知っているだろ?その悪い人は俺のことだ。鏡花さんの今夜の運が悪い。だから、じっとしたほうが身の安全のためだ」
いきなり暗い雰囲気を見せた幸銘だけど、鏡花は動じるどころか、更に落ち着いた口調で言葉を返した。
「あなたこそ、約束違反ではないですか?この柳蓮県に入ると、私たちは赤の他人になると約束したのでは?」
「鏡花さんが先に俺の行動を邪魔したからよ」
幸銘は鼻で吹いた。
「幸一への贈り物、なぜ止めたんだ」
「結局送ったから、私がしたことはもう意味ないでしょう」
幸銘はもう一度鼻で笑った。
「おかしいな鏡花さん。俺たちは手を組んで、やつらをやっつける関係なのに。なぜか、鏡花さんを先にやっつけないと、俺はなんにもできなくなるような気がする」
「私を殺したいならご自由にどうぞ。どうせ、私はあなたに勝手に選ばれただけのものですから」
「……」
鏡花の目は泉ような静かで、何の未練もない。
幸銘は無言に半歩を後ろずさった。
だが瞬く間に、凶悪と言えるほどの笑顔に変えて、片手で鏡花の頸を掴み、鏡花を壁際に逼った。
「そう、お前は俺がいなかったら、特に荒野の雑草になったんだ。幸一の影すら見えない。お前を殺す手間など要らない――」
幸銘は手の力を緩め、鏡花の頸についている模様をなぞりながら、少しづつ鏡花との距離を縮める。
「この印が消えるのを静かに待てばいい……その前に、一緒にこの仮初の姿を楽しもうじゃないか」
「!!」
不意に、幸銘は鏡花に口づけを押し付けた。
この完全に予測外の行動に、鏡花は反応を忘れた。
鏡花の頸についている模様から、薄い金色の光が浮かんでくる。
ちょうどその時――
「鏡花さんっ!」
横から幸一の声が届いた。
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