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百十二 退屈な若頭

幸一はもう少し意識を取り戻して、状況を整理した。 そうだ、今の俺は、「癸黙」だ。 目の前にいるのは母親、若くて、美しく、育ちのいいお嬢様……だった。 この世は乱世、母の国、寧国(ねいこく)の軍事力が弱く、何度も虎視眈々の隣国に襲われていた。 母は寧国の辺境にある要塞――定山郡(ていさんぐん)郡守(ぐんしゅ)の娘。 母が十八歳の年、定山郡が隣国の軍隊に破られそうな危機に遭った。 そこで、付近の山を巣食う盗賊団が郡の守備に手伝ってもいいと提案しに来た。 交換条件の一つは、郡守の娘が、盗賊のお頭に嫁ぐことだ。 母は強く反対していたが、最後はやはり大義名分の元で盗賊のお頭――癸黙の父に差し出された。 だから、この結婚も、息子の癸黙も、母にとって屈辱の証にしかならない。 それでも、癸黙が生れたばかりのころに、無垢な彼は一時的に母の心の拠り所だった。 その小さな安らぎを嘲笑うように、意外がすぐに訪れた。 ある日、母は癸黙を連れて山から逃げ出そうとしたが、癸黙は途中で泣き出した。 結果、二人が見つけられ、逃亡が失敗した。 あれから、母の癸黙を見る目が完全に変わった…… 幸一は一度目を閉じた。 再び目を開けると、場面が変わった。 「またやられたのか?やれやれ、さすが俺の嫁、気性荒いな。息子にも容赦しないな、ハハ」 目の前にいる人はたくましい中年の男になった。 「許してやろう、お前のおふくろだ。女は弱いから、そうやって男に甘えているんだ」 この常に邪気の満ちた笑顔を見せている人は癸黙の父だ。 聡明で器用な癸黙をかわいいがっていて、自分の後継者として癸黙を育っていた。 頬がひりひり、癸黙は思わず、砕かれた玉の欠片で頬を冷やした。 「まだ痛いのか?」 「爪先が掠った」 癸黙は無表情に父の質問に答えた。 「いい解消法があるぜ」 父は手を二回叩いた。 「連れて来い!」 すぐに、手下盗賊の二人がぎっしり縛られた痩せた男を連れてきた。 その男は、父にもっとも近い部下の一人だ。 父は一本の大刀を癸黙に渡した。 「痛いなら、別の何かにぶつければいい」 「!」 癸黙か幸一か、心臓が小さく跳んだ。 「こいつは裏切り者だ。俺たちの情報を延国軍に売ろうとした」 延国、それは寧国を何度も侵攻した国。 いわゆる、寧国と定山郡の守備に手伝う盗賊団の一番の敵だ。 「許してくれ!家族、家族が脅かされたんだ!」 痩せた男は懇願した。 「家族?お前の妻と子は全員この山にいるだろ。本当は、向こうが出した『百人長』と『金千両』という条件に目がくらんだんだろ」 父は一蹴りで男を倒した。 「そ、そんなことない……!」 父は弁解しようとする男に構わなず、ニヤニヤと癸黙に言った。 「あいつにぶつけろ。そうすれば、お前の痛みはあいつのものになる。すっきりするぜ」 「……」 癸黙は視線を男に移すと、男の叫びはいっそう高ぶった。 「俺は兵役を逃げて延国から逃亡したんだ!延国に家族がいるのは本当だ!」 「従うふりをして偽りの情報を渡すつもりだけだ!」 「信じてくれ!お頭!若頭!」 (なんか、うるさいな。) 男が必死すればするほど、癸黙は彼の話に興味を失う。 (兵役が嫌のくせに、なぜ盗賊に?戦うことは変わらないだろ。) (偽りの情報を渡すつもりだったら、なぜ事前におやじに知らせしなかった?) (今更何を言っても、嘘しか考えられない。) (うるさいだけだ。) ! 心の声を聞くと、幸一は驚いた。 癸黙は最悪だったのは覚えているが、まさか、この年から、こんな冷酷非情な人間なのか! 「お願いだから信じてくれ!」 「若頭、助けてくれ!」 「死にたくねぇ!!」 (ああ、うるさい……) 癸黙は刀を持って、縛られた男に歩いた。 さりげなく刀を上げて、その刃で男の首を切った。 小さな顔に鮮血が飛び散った。 頭の中にブーンと音が響き、一瞬眩暈がした。 「どう、痛みは飛んだ?」 父の声を聞いて、癸黙の少し首をかしげる。 「静かになった」 「アハハ、確かに。さすが俺の子だ!」 父は豪快に笑った。 普通の七歳の子供なら、一振りで大人の頸を切ることはできない。 だが、癸黙は生まれつきで格別な力を持っている。 それも父に気に入られた理由の一つだ。 要領がいい、力もずば抜け、癸黙は十六歳の若さで盗賊団の一番の武人となった。 次期頭領として、慕われていて、よく略奪の先頭に立っていた。 盗賊団の目標は大体寧国以外の国の運送部隊、商隊、鏢局(ひょうきょく)(*1)、裕福層…… *1 中国古代の運送と警備を商売として従事する組織 だが、景気の悪い時に、寧国のものも免れない。 相手が国の部隊や、有力な鏢局の場合、激しく抵抗を受けるが、癸黙が先頭に出る場合、盗賊団は負けたことがない。 大仕事を成し遂げる度に、盗賊たちは歓声を上げて盛大にお祝いをするが、彼らを勝利に導いた癸黙本人は勝利にも、お祝いにも関心がない。 彼はなんの楽しみも感じない、なんの意味も感じない。 ただ漠然として乱世の流れに従うだけだった。 盗賊団の騒がしいこと以外に、自分の人生にほかの何かがあると勘づいたが、それはなんなのか、全然わからない。 分からないから、流されるままでつまらない日々を繰り返していた。 ある日、癸黙は盗賊団を率いて、いつものようにとある商隊を襲った。いつものように、順調に抵抗を制圧した。 降伏しないものが全員殺された後、残ったのは恐怖に落ち、逃げることもできない老弱と女子供だ。 盗賊なら皆殺しをしたり、女を攫ったりのが普通だけど、この盗賊団は一応定山郡と手を組んでいる。やり方がひどすぎると郡の人々から協力をもらえないので、無力者に手を出さないのが規定だ。 特に、癸黙の場合、めんどうくさがっているから、残局に一目もくれずにその場を去る主義だ。 でも今回、彼を呼び止める者がいた。 「待って!私を、私を連れてってください!」 声を出したのは、下僕の衣裳を着ている二十代の若い女性だった。 「私を仲間にいれてほしい!」 癸黙が反応する前に、ほかの盗賊たちは不思議に声を上げた。 「どういうこと?俺たち、盗賊だぜ?」 「もちろん知っている!」 女は老弱の陣から立ち上がった。 「私の親は読書人だった。だけど、弟の学費のために、嫁に行きたくないを私を青楼に売った。青楼がつぶれた際に、私はまたこの異国の商隊に売られた……親も青楼も盗賊も、私にとって全部一緒よ!売り先だけで論じると、青楼の選択が親の選択よりましだったわ。この世はおかしいじゃないか!」 「どうせなら、強いものについていくほうがお得よ!私は喜んで盗賊になるわ!」 女の発言はいきなりすぎ、場面が静かになった。 全員ではないが、彼女と同じように理不尽に遭って途方に暮れて盗賊になったものもいる。 女の気持ち、分からなくもない。 女に興味があって、癸黙に判断を催促する盗賊もいた。 「なかなか骨のある女だな。どうする?若頭」 「……」 癸黙は小さくフンをして、女の前まで歩いた。 「お前、何ができる?」 女の目を直視しながら、冷静極まりな口調で質問した。 「文字を読めるわ」 女は胸を張って答えた。 「俺も読める」 「いっぱい働ける!」 「女の腕力が弱い」 「『女』ができるわ!!」 「……女?」 癸黙は意味が分からなかった。 彼の疑問の表情を見ると、女は大胆に癸黙の肩を囲んで、彼の頸元に熱い吐息を吹いた。 「青楼でいろいろ女らしいことを覚えたわ~若頭が望むなら、なんでも教えてあげるわ~」 「……」 「……」 くすぐったい以外に、癸黙はなんの感想もなかったが、盗賊たちから笑い声が爆発した。 「ぷははは、すごい女だぜ!」 「『世間知らず』の若頭を目当てにするとは、この女、頭があるぜ!」 「やれやれ、若頭も女に突っ込まれる年になったのか!」 「いいじゃねぇか、若頭!盗賊の女は貴婦も娼婦も関係ねぇ、面白い奴は最高だ!」 「若頭がいつも退屈を言ってるだろ。女との遊びを知らないからかもしれねぇ!」 勝手に盛り上がった手下たちを一度見て、癸黙はまた女に注目した。 「……」 女は強い視線で睨み返した。 やっぱりわけが分からないが、その必死なまなざしから、癸黙は何か懐かしい匂いを感じた。 思わずくすっと笑った。 「女に興味はない」 「!?」 女も、盗賊たちも驚いた。 「若頭、ま、まさか……!?」 「そっち!?」 「ぎゅ!俺、そっちじゃねぇから……」 「お前なんかに聞いてねぇ!」 だが、癸黙の返事は拒絶ではなかった。 「ついてくるなら止めはしない。だが、決めるのはおやじだ」

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