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百十四 母殺し

心臓が飛び出そうな衝動を抑えて、癸黙は震える手でゆっくりと扉を開くと―― 「っ!樹梨!?」 向こうにいるのは、全身に涸れた血の跡と泥がついてる樹梨だった。 「若頭っ……!やっと、見つけた!よかった……」 癸黙を見ると、樹梨は力を失ったように倒れていく。 癸黙は手早く、樹梨を受け止めた。 「お前、なんでこんな姿に!?」 「……山は、破られた、定山郡は、延国に降伏した」 樹梨は声を絞って、癸黙に驚愕な情報を伝えた。 「!?」 「お頭も……捕まれた!」 「!!」 信じられない。 十数年間、延国は何回も挑発してきたが、毎回も盗賊団と寧国の共同作戦にしりのぞかれた。 癸黙が戦場に出る前からそうだった。彼一人が抜けたくらいで、父が率いる盗賊団が負けるはずがない。まして、敵軍に捕まれるなんて……ありえない! 「裏切り者が、いた……」 敗因を詳しく聞くと、樹梨が悔しいそうに唇を噛んだ。 「誰!?」 「……」 「……」 樹梨の息が弱く、話が続かなかった。 彼女がここまで来れて、どれほど苦労をしたのか、その衰弱している姿から想像できる。 癸黙はそれ以上聞かなかった。 「俺はすぐ戻る。その前、お前を医者のところに預ける」 「だめよ!」 虫の息の樹梨は必死に癸黙の服を掴んだ。 「今、みんなが隠れている場所は、とても隠蔽なの。若頭でも、見つからないわ……」 「みんなに約束した……一刻も早く、若頭を連れ戻すって……」 樹梨の目に宿っている必死の光は、盗賊団に入ると願った時のよりも強い。 何処かに置かれていても、追ってくるのだろう。 仕方がなく、癸黙は樹梨を後ろに乗せて、馬を飛ばした。 「死ぬなよ、樹梨。俺は救いの方法を知らない。殺ししかできない!」 出発の瞬間、癸黙は祈りのように念を押した。 「……」 「馬鹿若……殺しは……」 後ろからの樹梨の細い声が激しく響く馬蹄の音に埋もれていた。 樹梨の話によると、九割以上の盗賊が延国軍に掴まれたか、戦死した。逃げ出した数の少ない盗賊たちは、今定山郡付近のとある洞窟に隠れている。 そこへ向かうには、定山郡の前を通る。 一目だけ、状況を確認するつもりで、癸黙は定山郡の城門前を眺めた。 すると――城門の真上にかけている、死人の頭に目を奪われた。 「!!」 「どうしたの、若頭……」 癸黙が動かなくなったのに気付いて、彼の背中に伏せていた樹梨も視線を上げた。 「っ!お頭……」 城門にかけているその頭は、癸黙の父のものだった。 思考も体もその場で動かなくなった。 しばらくして、馬が戸惑うように頭を左右に揺らしたら、癸黙はやった我に返った。 敵城の前で長く止まると怪しまれる。 癸黙は多く言わず、先を急いだ。 癸黙が身隠れの洞窟に入った途端に、驚喜な盗賊に囲まれた。 「若頭……!」 「若頭だ!!」 「やっと、戻ってきた!」 「待ってたぞ!」 癸黙は彼たちの熱情に答えず、ただ抱っこしている樹梨を盗賊たちに渡した。 「樹梨は衰弱している。治療を頼む……」 「は、はい!!」 二人の盗賊が樹梨を奥のほうに運んで行くと、場面が静かになった。 どれくらい経ったのか、とある年配の男は切り出した。 「若頭、その……」 「おやじのことなら、もう知っている」 「……」 薄暗い洞窟の中で、盗賊たちが嘆きを交わした。 「別に嘆くことはない。盗賊で喰っている以上、おやじもいずれこんな日が来ると覚悟したはずだ。自業自得だ」 癸黙は無表情に続けた。 「むしろ、名を響いた大盗賊に相応しい結末だ。喜んであげよう」 「……」 彼の目に焦点がない、言葉にまるで感情がない。 最後の希望として期待していたこの若頭が今一体何を考えているのか、盗賊たちは理解できない。彼の言葉にどう返せばいいのか、まったく見当がつかない。 「……」 間をおいて、癸黙はさりげなく質問した。 「で、誰だ?その裏切り者は」 「……」 「……」 沈黙が再び訪れた。 「誰だっておかしくない、言えよ」 癸黙は静かに催促した。 「……」 年配の男は、癸黙の覚悟を理解して、喉から答えを絞った。 「奥様、だった……」 「……」 やっぱりそうだったな。 樹梨が母のことに一言も触れてない時からおかしいと思った。 「わ、若頭!来てくれ!」 突然な呼び声が静寂を破った。 「樹梨がっ!」 「!!」 寝台まで駆け付けるのは数歩だけだったけど、樹梨はもう届かないところへ行った。 「力尽きだ……もう、手遅れだった……」 医者は悲しげな顔で頭を下げた。 「樹梨!」 「樹梨姉!」 「――」 盗賊たちの叫びが洞窟を充満した。 癸黙の頭のなかで、さまざまな音が響いて、さまざまな声が叫んでいる。盛大な共鳴が止まらない。 (ああうるさいな……頭が炸裂そうじゃないか。) だけど、そんな騒音の中で、だんだん鮮明になった声もあった。 出発した時、樹梨がくれた答えだ。 「馬鹿若……殺しは……時に、救いよ」 癸黙は平静に盗賊たちに質問した。 「おふくろは、今、どこに?」 *** 情報によると、癸黙の母は一部の捕虜となった盗賊と一緒に、延国占領中の小さな城に収監されている。 城の守備状況を確認してから、癸黙はほかの盗賊を外に待たせて、夜に乗じ、自分一人で牢屋に潜入した。 癸黙はまず眠りの煙を牢屋に吹き込んで、牢屋にいる全員を眠らせた。 それから母が収監された牢屋に入り、目覚め薬で母を呼び覚ました。 「!!」 癸黙を見る途端に、母がまるで悪夢を見たように震えた。 「なぜっ、ここに!?」 「おふくろを助けに来たんだ」 癸黙は淡々な表情で手を伸ばした。 冷たい月の光が牢屋に差し込む。 癸黙の肌色がいっそう白く見える。 「う、嘘よ!」 母は後退った。 「私を盗賊のところに連れて、清算するつもりだよね!」 「そんな。おふくろだって、こうして裏切りの教訓をうけたから。ちゃんとみんなに謝罪すれば、死んだおやじや俺の顔に免じて、命くらいは拾えるはずだ」 「馬鹿言わないで!」 母は癸黙の手を打ち払った。 「私は裏切りなんてしていないわ!私は、私の人生をめちゃくちゃにした盗賊たちに復讐しただけよ!あなたたち盗賊、一人も残らず全部死ぬべきだったわ!!」 「もっとものことだけど、ここから逃げないと、おふくろだって盗賊の妻として処刑されるよ」 「そんなはずがないわ!お父様は、お父様はきっと私を助けてに来るわ!」 「お父様……?」 癸黙は気付いた。母は何かを胸に握り締めている。 「きっと、きっと、何処か手違いなのよ……延国人は、間違えたの。私は盗賊の妻なんかじゃない、定山郡郡守の娘よ!この手紙と証を事情の知っている方に見せれば、私の潔白を証明できるわ!」 小さく泣き始める母に対して、癸黙はあっさりと彼女の希望を否定した。 「爺なら来ないじゃない。定山郡はもう延国に占領された。たとえ爺が動けるとしても、おふくろを助けに来くはずがない」 「盗賊の子のあなたは何が分かる!お父様は、お父様は私を可愛がっていたの!」 「そう、俺は分からないよ。生れてから十八年、爺からなんの頼りもなかったから」 「!!」 癸黙の平然とした一言は、氷の針のように母の心に差し込んだ。 「官吏が盗賊と手を組むのは極めて不名誉なことだ。彼にとって、盗賊の巣にいるおくふろはもう娘じゃない、俺も孫じゃないだろう」 「嘘よ!絶対、あなたたち盗賊が邪魔したのよ!お父様やお母様からの頼りを、全部隠したのよ!」 必死に真実を抵抗する母を見て、癸黙はおかしいと思った。 それでも母と言い争いをしなく、ただ平静そうに問い続けた。 「そんなに実家のことを信じているのなら、あの時、なぜ帰らなかったの?」 「あの時って何なの!?逃げる機会は一度もなかったわ!」 「おふくろは小さい俺を連れて、山を逃げ出したあの夜のことだ。おふくろは山を降りたのに、道辺の茶屋に手紙を頼んだだけだった。なぜそのまま定山郡に行かなかったの?」 「!!」 「その後、俺たちは近くの草むらに隠れていて、俺が泣き出したせいで、おやじに見つけられた。俺は覚えている。あの時、おやじは言った、『実家帰りなら護衛を付けてあげる』って。断ったのは、おふくろのほうだった」 「……!!」 母は全身が凍ったような寒さを感じた。 憎々しい盗賊との子だけど、息子は息子。 この嫌な息子に怒りや不満をぶつかるのはあたりまえのようなことだ。 報復や仕返しなどを心配しなかった、怖いもしなかった。 なのに、今目の前にいる癸黙から、凄まじい恐怖を感じた。 母は体を縮めて、壁際まで退いた。 「だ、誰が盗賊の護衛と一緒に実家に帰るのよ……」 そんな母が逃れないように、癸黙は前に迫る。 「おくふろは、一体何が怖い?盗賊?それとも、実家?」 「!!」 「本当は、自分を道具扱いした実家に帰りたくない。また道具にされるのが怖い。口で帰りたいって言いつつも、心のなかでそんな実家を許さない、憎んでいる……」 癸黙の氷のような目が母の目を直視し、母が認めたくない考えを暴く。 「!」 母は強く震えながらも、最後の足掻きのように叫んだ。 「そっ、そ……そんなことないわ!私は実家を憎むはずがないわ!だって、私は幸せだったわ!私は、家族を愛していた!家族に愛されていたのよ!そうよ、全部、全部あなたたち盗賊のせいよ!あなたの父が現れなかったら、あなたが生れてこなかったら、私は、私はいつまでも幸せだったのよ!――ああ、あなたたちのせいよ!!」 癸黙の硝子のような目に号泣で崩れた母の姿が映す。 おふくろは、いつもうるさい。 でも、おふくろはおふくろだ。っておやじはいつも言っていた。 でも、もとで言えば、おふくろはおやじのせいでうるさくなったんじゃない。 おやじは言っていた。おくふろは定山郡一の美人。 とある春の市で、彼はおふくろに一目惚れをしたそうだ。 でもね、その美人は、もうどこにもいない。 やはり、おやじは最低なクズだな。 自分が惚れた「美人」を自分の手で壊した。 今のおふくろには、もう「美」でもない。そして「人」を失っていく。 癸黙は静かに一歩を出て、もう一度母に話をかけた。 「帰ろうよ、おふくろ」 「ああ、ああああ――!!」 彼に答えたのは母の悲痛な叫び。 だが、その叫びがピンと止まった。 癸黙の刀は、母の体を貫けたからだ。

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