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第2話

 一時間ほど電車に揺られ目的の駅に着く頃には、雨脚は幾分弱まっていた。それでも駅前の人込みには傘の花が咲き乱れていた。真白も手にしていた傘を広げ、水たまりを避けるようにアスファルトに足を踏み出した。  駅から真っ直ぐに伸びる昔ながらの商店街を通り、住宅地を抜け、さらに数百メートル進んだ先に目的の場所がある。帰路に就く頃には雨がやんでいるといいな。そんなことを考えながら商店街を歩く。 「ここは俺の居場所じゃない!」  不意に耳に届いた声に、真白はギクリとして足を止めた。 「俺の居場所は俺が決める!」  振り向いた先にあったのはCDショップだった。店頭に設置されたモニターの画面に映し出されているのは、最近様々なメディアで活躍している若手俳優だった。昨年公開された映画が近々DVD化されるらしい。  ――映画の台詞だったのか……。  静かに胸を撫で下ろしてふたたび歩き出したものの、心の深い場所を見透かされたような気がして、妙な胸騒ぎがした。 「大丈夫、大丈夫。上手くやれてるって」  無意識にそう口に出していた。  叔母とも従兄とも大きな揉め事を起こすことなく、高校卒業を迎えることができた。叔父は『本当に大学に行かなくていいのか?』と最後まで心配してくれたけれど、だからこそこれ以上負担をかけることはできないと思った。  交差点の信号が赤になる。真白はわけもなく傘の柄をぎゅっと握りしめた。  この四月から働き始めたメーカーでも、今のところ人間関係は良好だ。イロハのイもわからない仕事を無我夢中でこなす新入社員を、みんな温かく見守ってくれている。決して外交的とは言えない真白だが、先輩にランチをごちそうになった時は、一端の社会人になれたような気がしてとても嬉しかった。  ――大丈夫。僕の居場所はちゃんとある。  信号が青に変わった。濡れた横断歩道に一歩踏み出す。  一体誰に言い聞かせているのかと苦笑を浮かべて、足元の白いストライプに視線を落としたその時だった。 「危ないっ!」  悲鳴にも似た叫びにハッと顔を上げた。 「あっ……」  息を止めたのと、視界に黒い車体が飛び込んできたのと、どちらが先だっただろう。  ドンッ、と激しい衝撃が全身を襲い――――真白の意識は途絶えた。 「……なのか……」 「うむ……かもしれぬが……」  すぐ近くで誰かがひそひそと話す声がする。真白はうっすらと目を開いた。  ――ここは……。  天井があるはずの場所に、紫色っぽい布のようなものがぼんやりと見える。どうやらアパートの自室ではないようだ。  ――そうだ、僕、車に撥ねられて……。  きっと病院に運ばれたのだろう。相当な勢いで撥ね飛ばされた気がするのに、身体のどこにも痛みを感じない。  夢だったのだろうか、それとも手術を施され、術後の麻酔が効いている状態なのだろうか。などと考えているうちに、徐々に視界がはっきりとしてきた。  視線を微かに横に向けてみる。やけに遠くにある壁に、巨大なタペストリーらしきものがいくつも飾られている。左端の一枚には聖書の一場面だろうか、金色を基調とした刺繍調の模様で、端には紋章のようなものも描かれている。その隣の一枚には狩りをしている男の姿が、さらにその隣の一枚には騎士の姿をした男たちが槍を手に闘っている様子が、やはり刺繍によって描かれていた。  ずらりと並んだタペストリーの間には、これもまた驚くほど大きな暖炉が据え付けられている。ただの飾りではないらしく、中には大きな炎がゆらゆらと揺らめいているのが見えた。部屋中に漂っているのはハーブの匂いだろうか。柔らかな香りが鼻孔を擽る。  ――もしかして病院じゃ……ない?  視線を左右に動かしてみる。どうやら真白は部屋の中央にあるベッドに横たわっているようだ。それもただのベッドではなく、天蓋付きと呼ばれているものだ。四隅にはちょっとした電柱ほどの太い柱が立ち、豪華な彫刻やら金箔やらでこれでもかと飾られた天蓋が覆いかぶさっている。大きさも尋常ではなく、真白のアパートの部屋がすっぽり入ってしまいそうなほど広々としている。一体何人用として作られたものなのだろう。 「とにかく私に理解できるように説明をしてくれ、チッチラ」 「だからさっきから何度も言っておるだろう。我輩自身に理解不能なものを、どうやって説明しろと?」 「しかし召喚したのは確かにお前だろう。それなのに理解不能とはあまりにも無責任すぎるのではないか?」 「だからそれはじゃなっ」  ひとりは若い男のようだ。チッチラと呼ばれたもうひとりは、アニメの声優が動物に当てるようなやたらと甲高い声で、ふざけているのか口調が時代劇じみている。 「まったく、頭が痛くなってきた」 「ふんっ、執事に薬でも処方してもらうがよい」 「あのなあ、チッチラ!」  何やら揉めているらしい。真白は声のする方にそっと首を傾けた。  すらりと背の高い男の背中が視界に入った。肩幅が広く、一見しただけで相当に男らしい体躯であることがわかった。背中にはビロード仕立てらしき深紅のローブが、重厚そうに長く垂れ下がっている。肩口と裾は白っぽい毛皮で縁取られていた。  背筋に沿うように織られているのは、おそらく紋章だろう。タペストリーに描かれていたのと同じ模様のように見える。  まるで光でも放っているかのように荘厳で威厳に満ちた後ろ姿を、真白は思わず息を呑んで見つめた。まるで中世ヨーロッパの貴族、いや国王のような――。 「ヤーパンより武士の娘を所望したはずなのに、なぜ男……しかもこのような珍妙な出で立ちの……解せぬ……まったく解せぬ」  男の陰になって姿の見えないチッチラが、わけのわからないことをぶつぶつとひとり言のように呟いている。 「それは私の台詞だ、チッチラ。『王妃にふさわしい女性を召してしんぜよう、我輩に任せておけ』などと自信満々だったではないか。それなのに」  男の深いため息が聞こえる。 「身体は確かに女性とさして変わらぬほどちんちくりんだが、どこからどう見ても男ではないか。一体全体何をどう間違えると――」 「我輩は間違えてなどおらぬ」 「ならばどうして男なのだ。しかもあのようなちんちくりんのっ」  男の追及に、チッチラが「ぐぬぬ」と呻いた。  ――ちんちくりん、ちんちくりんって……。  気品に満ちた背中からは想像できないが、男はずいぶんと口が悪いようだ。事情はまったくわからないが、ちんちくりん呼ばわりされている見知らぬ誰かに、真白は同情を禁じ得なかった。 「まったく何が守護神だ。お前がおっちょこちょいなのは今に始まったことではないが、いくらなんでも王妃の性別を間違えて召喚するなどというありえない失態を」 「失態とはこれいかに。確かに我輩の守護神としての力は完璧ではない。ほんの時折だが些細な過ちも犯す。が、王妃の召喚に関して誤ったことは、我輩、ただの一度もない」 「しかし現にこうして――」 「しーっ、デュアン、目を覚ましたようだぞ」  チッチラの声に、長身の青年が振り返った。  ――うわっ。  その瞬間、真白は思わず息を呑んだ。  守護神? 召喚? と頭に浮かんだいくつもの疑問符が、一瞬で霧散する。  端整という言葉をこれほどまでに具現化した人間を、真白はこれまで見たことがない。深い藍色と灰色を混ぜたような瞳は冬の湖のように冴え、暖炉の炎を映して静かに輝いている。真っ直ぐに通った鼻筋と男らしい顎のラインには、若々しい力強さが宿っていた。肩にかかる直前で清潔に切りそろえられた髪は、美しい金色に輝いている。  ――すっごい……美形。  この世のものとはとても思えず、まるでおとぎ話の中に引き込まれたような感覚に陥っていた。男のあまりの美貌に、真白はいつの間にかあんぐりと口を開いていた。

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