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第3話

「気分はどうだ」  男が尋ねる。さっきまで囁くように潜めていたのでわからなかったが、男の声は低く滑らかだった。  そして真白は唐突に気づいた。男の言葉は日本語ではない。しかしまるでいつも話している言語かのように、真白はそれを理解することができた。 「あの……ここは?」  さらに驚いたことに、真白の口からも自然に男たちと同じ言語が飛び出した。 「えっ、なっ、なんで僕、今、言葉――」  出てくる単語すべてが男たちの話す言語だった。英会話もろくにできないはずなのになぜと、真白の脳内はますます混乱する。  あわあわしていると、男の背後から突然小さな動物が飛び出てきて、男の肩にひょいと乗った。リスのように見えたがおそらくチンチラだろう。小学校の遠足で訪れた動物園で一度だけ見たことがある。男のペットなのだろうと思ったのだが。 「ここはアールダリーオ王国じゃ」  男の肩の上で、チンチラが口を開いた。その声はなんと、さっき男と会話をしていた相手のそれだった。真白は大きく目を見開く。 「うっ、うそ、チ、チンチラがなんで――」 「チンチラではない! チッチラ様じゃ!」 「う、うわあ、チンチラがしゃべった!」 「だからチンチラではない! チッチラ様じゃ! 我がアールダリーオ王国の唯一の崇高なる守護神、チッチラ様であるぞ!」  チンチラは頭から湯気を出さんばかりに怒り、男の肩の上で飛び跳ねた。  精巧に作られたおもちゃだろうかと顔を近づけて凝視してみたが、見れば見るほどリアルだ。部屋の雰囲気も男の服装も、映画やドラマのセットにしては手が込みすぎている。  ――まさかここ、本当に異国……。  真白はくらくらと眩暈を覚えた。 「夢だ……こんなの絶対に夢に決まっている」  夢ならとっとと覚めてほしい。呟きながらぎゅっと目を閉じた真白の頭上に、男の声が降ってきた。 「残念ながら夢ではない。ここはアールダリーオ王国」 「アールダ……?」 「アールダリーオ王国。私は国王のデュアン・レイドランス・アールダリーオだ」  恐る恐る目を開けると、圧倒的な美貌がさっきより近くにあった。心臓が勝手にトクンと小さく跳ねた。 「わけあって守護神のチッチラが、ヤーパンより我が国の王妃となるべき女性を召喚したのだが、何かの手違いによってお前が召喚されたようだ」  長ったらしい名前の国王は、肩口のチッチラをチラリと見やった。チッチラはバツが悪そうに視線を逸らす。 「理由は不明だ。こいつ……チッチラはしばしばこういったとんでもない失態を犯す」  失態、のところでチッチラはキッと目尻を吊り上げたが、自覚があるのだろう「しばしばは言いすぎじゃ」と消え入りそうな声で呟き下を向いた。 「手違い……」 「要するに間違えた、ということだ。許せ」 「…………」  謝罪や反省の気持ちが一切感じられないその口調に、真白は唖然とする。 「守護神とか召喚とか、ちょっとまだいろいろ信じられないんですけど――」 「信じる信じないの問題ではない。お前はアールダリーオ王国の王妃として、誤って召喚された。それがすべてだ」  以上、とばかりに言い切られ、真白はさすがにムッとする。 「王妃ということは、つまり国王であるあなたの……」  デュアンはうむ、と深く頷いた。 「妻となる女性だ」  若き国王はその瞳に憂いの色を浮かべ、すらりと長い指を眉間に押し当てた。  ――振り切ったイケメンって、どんな顔してもイケメンなんだなぁ……。  多分変顔をしてもイケメンなんだろうなと、とんちんかんな感想が浮かんでしまうあたり、脳のキャパシティーはとっくに限界を超えているようだ。  ――ってことは、さっきの「ちんちくりん」ってもしかして……。  見知らぬ誰かのことだろうと同情していたが、どう考えても自分のことではないか。  言わせてもらえば真白の身長は百六十五センチで、日本人の男性としては標準より多少小さいくらいだ。真白がちんちくりんなのではなくデュアンとやらがデカすぎるのだ。推定でも百九十センチほどはありそうだ。  ちんちくりん扱いされたことは腹立たしいが、今はそれどころではない。 「あの、ひとつ訊いてもいいですか」 「なんだ」 「ここ……アールダリーオ王国っていうのは、世界地図でいうとどのあたりなんですか」  召喚などと言っているが、おそらく真実は別にあるのだ。真白は交通事故に遭い意識を失っている間に、なんらかの理由によって彼らが「アールダリーオ王国」と呼んでいるこの場所に連れてこられたのだ。部屋の雰囲気から推測するに、きっとヨーロッパのどこかだろう。  なんらかの理由が微塵も思い浮かばないが、そうとしか考えられない。しかしデュアンの答えは真白の予想の斜め上を行くものだった。 「そうか。お前は知らないのだな」 「何をですか」 「ここアールダリーオ王国とヤーパンは繋がっているのだ。異空間を通じてな」 「異空間……」  またわけのわからないワードが飛び出した。真白は思わず眉根を寄せる。 「我輩が説明しよう」  チッチラがデュアンの肩の上からベッドへ飛び降りた。 「我がアールダリーオ王国では国家樹立以来、国内あるいは国交のある周辺国から我輩が『ふさわしい』と認めた女性を王妃として迎えることになっておる。我輩の類まれなる審美眼によって過去千年近くにわたり、アールダリーオ王国は安泰を保っておるのであ~る」  えっへん、とチッチラが胸を張った。今さっき〝間違えて〟真白を召喚したと聞いたばかりなのだけれど、と思ったが口には出さなかった。  それよりチッチラは一体全体何歳なのだろう。真白は目を白黒させながら演説めいた説明の続きを聞いた。 「しかしながら物事には必ず例外というものがある。数百年に一度、アールダリーオ王国国内にも近隣諸国においても、王妃としてふさわしい女性を見つけられない時があるのじゃ。そんな時には守護神である我輩、チッチラ様がその時々の国王にふさわしい王妃候補を、異世界より召喚するシステムになっておるのであ~る」  チッチラはさらに胸を張った。張りすぎて後ろに倒れそうになったチッチラを、さりげなくデュアンが手のひらで支えた。 「その異世界っていうのが……」 「左様、ヤーパンじゃ。さっきデュアンが言った通り、おぬしのいたヤーパンとアールダリーオ王国は異空間を介して繋がっておる。前回ヤーパンより召喚したのは、ええと」  チッチラは斜め上方に視線をやりながら「ひい、ふう、みい……」とその短い指を折った。 「ざっと百……二百……いや二百五十年ほどか。いずれにせよ今おるすべての国民が産まれる以前のことじゃ。やれやれ今回も呪文は成功したはずじゃったのに、なにゆえこのような事態に……ううむ、解せぬ。まったくもって解せぬ」  チッチラは頭を抱えてふるふると首を横に振った。  それはこっちの台詞だと、さっきのデュアンと同じ言葉が口を突きそうになる。  ――まさかここは本当に異世界? 僕が転生したってこと?  いやいやいやいや、ラノベじゃあるまいし。しかし目の前では自称・守護神のチンチラもどきが演説をぶっている。一応確かめてみようと頬を指で抓ってみたけれど、痛いだけで何も変化は起きなかった。 「お前、名はなんという」  デュアンが静かに口を開いた。真白は目の前の美丈夫を見上げる。 「成田真白です」 「マシロ、か」  デュアンはまるでその名を舌で転がすように「マシロ……マシロ」と二度繰り返した。聞くたびに鼓膜が震えるような滑らかな声。真白の好きな声だ。  ――この人、口は悪いけどそれ以外は憎たらしいくらい完璧なんだよな……。

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