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花の雨6
「じゃあ。今日もお疲れ様でした。風邪ひかないようにね。お休み」
アスミとの分かれ道。アスミはここから右に曲がり、僕はまっすぐ駅へ向かう。いつもここで夜の挨拶をして別れる。
「今日もありがとうございました。先生も気をつけてくださいね。お休みなさい」
そう、丁寧な韓国語で返してきて、彼はいつもと同じように道を曲がって行った。そして僕は彼の背中を見つめる。僕が見ているとは思わないアスミの背中はどんどん小さくなっていく。
僕はアスミに会うのが楽しみで、甘い物が食べたいという理由をつけて彼のお店に行くし、こうやってアスミのレッスン日を楽しみにしている。お店に行くとリラックスしたアスミの顔が見れるので好きなんだけど、そこでは共同経営者の彼の姿がある。そしてアスミはそんな彼を優しげな顔で見ているし、彼の方も愛おしい目でアスミのことを見ている。その光景を見るのが少し辛い。だから、この教師と生徒との距離が一番正しい。そう思っている。いや、思おうとしている。だけど、少しだけずるいと思ってしまう。彼に嫉妬してしまう。もし僕の方が先にアスミに出会っていたらアスミの隣に並ぶのは彼じゃなくて僕だったりするだろうか。そんなことを考えてしまう。いや、もし僕の方が早く出会っていてもきっとなにも告げられずにいるだけかもしれない。だって僕は臆病だから。だからきっと見ているだけだろう。そして彼と出会ってアスミは彼のことを好きになるんだ。いや、もし僕がアスミに気持ちを打ち明けたとしてもうまくいってるだろうか。アスミが僕のことを好きになるとは思えないどっちにしろ僕の片想いなんだろうな。そう思うと寂しいし少し辛い。
そう考えるだけでも辛くて、僕も歩き出す。風邪ひかないでね、なんて言っておいて自分が風邪をひいたら意味がない。それに風邪をひいてレッスンを休みにしてしまったらアスミに会えなくなってしまう。そんなの寂しすぎる。そう思うと歩く足は自然と早くなる。早く家に帰って熱いシャワーを浴びよう。そう思い早足で歩くけれど、結局はアスミのことを考えてしまうんだなと苦笑してしまう。僕はこうやっていつもアスミのことを考えてしまう。それが、好き、ということなんだろう。
地下鉄のホームに電車が入ってきて、乗り込み、空いた座席に座ったところでバッグの中からスマホを取り出す。アスミはもう家についただろうか。いつもあの分かれ道で挨拶をして別れているのに、またスマホでメッセージを送りあってしまう。でも、今はメッセージはしない。いつもシャワーを浴びた後と決めている。なのにスマホを取り出したのはアスミの写真を見るため。以前、アスミが彼と一緒にいるときにとてもいい顔をしていたので写真を撮ったことがある。黙って撮ったけど、アスミには消さなくてもいいかと許可はとってある。そんな貴重な1枚を見るためだ。でも、僕が写真を消したくないと言ったことでアスミは僕の気持ちに気づいたんだろうか。いや、でもそれ以前と態度は全く変わっていないから気づかなかったんだろうか。そう疑問は残るけど、写真を消すのは嫌だから考えないようにしている。
電車が最寄り駅に着き、改札を抜け、地上へ出ると先ほどよりも寒くなってきた気がして家まで急ぐ。家は、駅から5分ほどだから、急いで歩けばものの数分で家に着く。温かくはなってきているけれど、雨の日はやっぱり少し寒い気がする。
バッグを部屋の定位置に置き、レッスンのことを書き記しているノートとスマホを机に置くと下着を持ってシャワーへ直行する。濡れた服は洗濯機へ入れ、自分はシャワーへと入る。熱いシャワーを頭から浴び、体を温める。髪を拭きながら部屋へと戻り、スマホを確認するとアスミからはメッセージが来ていなかったので僕からメッセージを送る。メッセージを送るのはどちらかからと決めているわけじゃないけど、どちらかというと僕から送る方が多い。きっとアスミは今頃あの難しい”春の香り”の説明を練習しているだろう。それとも他の復習をしているだろうか。どちらにしてもきっと一生懸命やっているに違いない。なので今日も僕からメッセージを送る。
『今日もお疲れ様。勉強、無理しすぎないでね。明後日のレッスンで会いましょう。お休みなさい』
そうメッセージを送ってから、そう言えば|パンマル《タメ口》を教えていなかったと思い出す。僕とアスミがパンマルで話すことはないけれど、親しい友人などと話すパンマルは覚えておかないと彼と話すのに固い韓国語で話すのでは可哀想だ。次の授業あたりからパンマルを教えて行こうと思った。そう思っているとアスミから返信が来る。
『先生もお疲れ様でした。お休みなさい』
スマホに浮かび上がるアスミからの文字を手でなぞる。こんな文字でさえアスミからのものは愛おしい。アスミと彼の邪魔はしない。こうやってやり取りをするだけでいい。それだっていつかは終わってしまう。それでも、1人で胸にしまっているのだけは許して欲しい。そう思ってスマホを机に置いた。
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