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桜の散る午後3
オッパに会いたいと思ってお店に来た。そうしたらストロボとカメラが見えた。メディアが入ったんだ。それに気づいて、足を止めた。ガラス越しに見える光景は、オッパのことを思えば嬉しいことだけど自分視点で見ると、なんだかオッパが遠くへ行ってしまったようで寂しい。
hanairo。オッパが明日海と共同経営として立ち上げたこの日式クレープのお店は、和クレープを扱う店として、ソウルに数件ある他のクレープ屋とは一線を画していて若い女の子を中心に人気がある。お店をオープンしてから3ヶ月半。最初はSNSでの集客のために私がSNSで拡散したり、うちの学校が取材に来たりした。それで火がついたのかわからないけれど、今は人気クレープ店になっている。
――うまくいってるんだ。
そう思う。オッパが始めたことが成功したんだから喜ばないとダメ。とは思う。思うけれど、胸の奥がツキンと痛んだ。
窓ガラスの向こうでは明日海がクレープを焼いている。でも、その顔はぎこちない笑顔を浮かべている。きっとメディアが入ってカメラを向けられていることで緊張しているんだ。失敗すればいいのに。そんな意地悪なことを考えたりもする。でも、そうしたらオッパだって困る。だから明日海にはきちんと焼いて欲しい。
明日海の手の動きは慣れていて、綺麗で丁寧。最近は韓国語でオーダーを受けられるようになったらしいから、オッパがクレープを焼くこともあるみたいだけど、それまでは1日中クレープを焼いていたから手の動きが綺麗なのは当然だ。だけど、今はどこか余裕がない。緊張しているってすぐにわかる。明日海はわかりやすい。無理に笑っているときは、ほんの少し目元が固くなる。明日海がそんな様子なら、オッパはと思って店内のオッパを見ると、明日海とは少し距離があったのに、気づけば明日海の隣にさり気なく立っていた。距離を詰めるわけでもなく、触れるでもない。ただ、そこにいる。当たり前のように。それだけのことなのに、緊張で張りつめていた明日海の空気が柔かくなったのがわかる。
「メニューには日本をイメージしたクレープが数種類あります。これは他のクレープ屋との一番の違いです」
オッパが笑顔でそう言う。その声はいつも通りで、特別なものはなにもない。だけど、視線の端で明日海を見ている。愛おしいものを見る優しい瞳で、さり気なく、当たり前のように。
フォローしている。
守っている。
――ああ。
胸の奥で小さく息がこぼれた。以前、オッパの家で明日海と会ったとき。あのときも2人は並んで座っていた。でもそれは、まだどこか不安定で、ぎこちなくて、手を伸ばせば簡単に崩れそうだった。お店をオープンさせたときは、さすがに安定してきてはいたけれど、どこか危うさもあった。だから言えた。「別れて」と。
言えば届くかもしれない。揺れる隙間がまだあると信じていた。でも、今自分の目の前にあるものは、静かだけど、しっかりと根を張った関係。派手さはない。手を繋いでいるわけじゃないし、べったりとしているわけじゃない。それでもわかる。この2人の間にはもう割り込めない。
カシャッ。カシャッ。とカメラのシャッターが切られる。明日海の手が一瞬止まった。どうしたんだろう。と思った瞬間、オッパはなにも言わずにほんの少し体の向きを変える。それだけで少し壁になる。明日海はきっとカメラが嫌いなんだろう。そう言えば、うちの学校が取材に入ったときも体が強張っていた。オッパはそれがわかっているから、さり気なく壁になってくれている。風を遮るみたいに。
――ずるい。
あんなふうに自然と守られたら、誰だって安心する。あんなふうに見つめられたら、誰だって離れられなくなる。自分だってそうだった。もっとも私の場合は恋人としてではなく、妹としてだけど。オッパは1度たりとも私をあんなふうな瞳で見てくれたことはない。
「わかってた」
小さく、誰にも聞こえない声で呟く。
最初からわかってた。オッパが誰を見るのか、自分を選んでくれないのも。それでも、少しだけ期待したかっただけ。ほんの少し。明日海との間のほころびを探していた。
ほんの少し、ガラス越しの光景が滲んで見える。夜の街灯のせいだ、きっと。
胸の奥に残っていたものが少しずつ形を変えていくのがわかった。諦め、というほど冷たいものではない。納得、というには少し寂しすぎる。でも。それでも。
「ちゃんと終わらせなきゃ」
誰に向けたわけでもない言葉が夜の闇に静かに消えていく。オッパの隣に並ぶのは私じゃない。だったら、これ以上同じ場所に立ち続ける理由はない。夜の闇に向けていた視線をもう一度ガラスの向こう側に向けた。笑顔でなにかを話しているオッパと、さっきより落ち着いた表情でクレープを焼く明日海。2人の間に流れる空気は穏やかで、確かで、そして……。
そんな2人から視線を外して、踵を返し、ゆっくりと歩き出す。もう大丈夫。終わりにできる。もう、オッパのことは追いかけない。子供の頃からの想いは、静かに終わった。
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