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静かな波紋1
「今日はバナナが随分出るね。あと少ししかないけど、足りるかな?」
バナナはメニューの中でも一番使われる果物なので、毎日多くのバナナを用意している。なのに、今日はそれを上回る注文量で夕方の今、閉店まで足りるか微妙になってしまった。ギリギリなんとかなるか、あと少しで足りなくなるかというところだ。
「なくなったら困るから、俺買ってくるよ」
そう言ってイジュンがエプロンを取り、バックヤードから財布を持ってくる。
「すぐ戻るから、ちょっと待ってて」
「いや、俺が行くよ」
「大丈夫だよ。すぐだから」
そう言うとイジュンはお店を出ていった。
「ったく、もう」
オーダーを聞くのに俺1人だと不安なのに、イジュンは「大丈夫だよ」と言って俺に任せたりする。イジュンもジヌ先生も大丈夫だと言うんだよな。先日のメディアが入ったときに少ししかわからなかったのに。まぁ、お店で使う韓国語はレッスンのロールプレイングでやっているから大丈夫なのかもしれないけれど、それでも俺としては心が折れることだった。
「イジュン。早く帰ってきてくれないかな」
そう小さく呟いてしまうのは許して欲しい。
そんなふうに不安になっていると、ソヨンさんが来た。これこそ、イジュンがいないとダメじゃないか。どうしよう。内心慌てていると、ソヨンさんはまっすぐにお店に来て、俺の顔を見ると微笑んだ。その微笑みが怖かった。だってソヨンさんが俺に対して微笑むことなんてあるはずがないんだ。それが証拠に今まで1度としてソヨンさんの笑顔なんてみたことがない。イジュンに対して笑っているのは何度となく見ているけど。
「こんにちは」
笑顔で俺に挨拶をしてくる。え……。今、俺1人なんだけど。それでも挨拶をしないわけにはいかないから、笑顔を作る。きっと引きつってるかもしれないけど、それは許して欲しい。
「こ、こんにちは」
「そんなに怖がらないで。もっともそうさせてしまったのは私なんだけど」
「あ、あの。イジュン、今買い物に行ってて。すぐ戻ると思いますけど」
「そう。でも、別にいいわ。”春の香り”を貰える?」
「あ、はい」
クレープの注文が入って少しホッとする。ソヨンさんと対峙しなくていいからだ。
クレープの生地を焼き、苺クリームとカットした苺、ストロベリーアイスを乗せ、仕上げにチョコレートソースをかけて出来上がりだ。
「お待たしました」
「ありがとう。T-moneyで」
「わかりました」
T-moneyで決済を済ませるとソヨンさんはスマホをバッグにしまい、他のお客さんが来ても邪魔にならないように隅によってクレープを食べる。
「このクレープ好きよ。考えたのはどっち?」
「あ、俺です。名前をつけたのはイジュンですけど」
「そう。結構出てるんじゃない、これ?」
「ええ、まぁ」
「女の子が好きそうなものだもの」
なんだろう。ソヨンさんが俺に普通に話している。いつもの棘を感じない。なんでだろう。そう言えば少し前にイジュンと会っていたはずだけど、そのときなにかあったのだろうか。俺としてはそのときイジュンに告白したんじゃないかと思ってたけど違うんだろうか。もし、イジュンに告白していたら、それこそ俺のことを睨みそうだけど今のソヨンさんからはそんなものを感じない。
「私、ここが出来てからソウル市内の他のクレープ屋さんにも行ってみたけど、ここのお店が一番いいと思ったわ。他のお店に比べて甘くて美味しいメニューがあるのよ。それが日式クレープということなんだろうけど。日本のクレープメニューってこんな感じなの?」
「そうですね。メニューは俺が考えてイジュンに話してから決めてますけど、日本にあるクレープのメニューを参考にしてます」
「そうなのね。他のお店のクレープも美味しいんだけど、ここのクレープは特に若い女の子が好きそうなメニューが多いなと思って。だから女の子のお客さんが多いと思うの」
「ありがとうございます」
どうしたんだろう。ほんとにソヨンさんが笑顔で俺に話している。ほんとになにがあったんだろう。イジュンに告白したんじゃないのかな。告白しなくても俺にはキツい顔を見せていたし、もしイジュンに告白していたら、それこそ親の敵とでもいうようにもっと睨まれるんじゃないかと思うんだけど。なのに今日のソヨンさんは穏やかな顔をしている。
クレープを食べ終わると包み紙を脇に置いてあるゴミ箱に捨て、俺の顔をまっすぐに見てくる。なんだろう。怖くてドキドキする。
「ごちそうさま。あなたの焼くクレープ好きよ。そしてオッパが幸せならそれでいいわ。オッパをよろしくね。2人で幸せでいて」
ソヨンさんはそう言うと、背を向けて帰っていった。言われた言葉から察するにイジュンに告白したのは間違いない。それで、当然振られたと思うんだけど。なのに俺に笑顔を向けるなんて……。ソヨンさんはなんだかすっきりした顔をしていた。イジュンに告白してなにかふっきれるところがあったんだろう。でも、そんな顔をしたソヨンさんはとても綺麗な顔をしていた。元々綺麗な人だから。でも、だとしたら俺とイジュンはソヨンさんの分も幸せでいなきゃいけない。もちろん、今も十分幸せだけど。そんなことを思いながら、ソヨンさんが帰っていった道をぼんやりと見ていた。
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