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静かな波紋5

 ジヌ先生は楽しそうにクレープを一口食べてから、また話しを続ける。 「イジュンさんも教えてるんですね」 「まぁ、たまにですけど」  本当はたまになんかじゃない。時間が合えば発音を直したり、変な言い回しを笑いながら直したりしている。あまりレッスンっぽくしないで、でも身につくように。そういう時間がどれだけ特別か。こいつには分からせたくない。  ジヌ先生は「そうなんですね」と笑う。その笑顔の奥に、ほんの少し探るような色が混じっているような気がした。本当にわずかだから気のせいかもしれない。でも、もし気のせいじゃなかったら……。面白くない。本当にどうしようもなく面白くない。俺と明日海の関係を知らないのか? ただの仲の良い共同経営者だと思っているのか? でも、考えたらわかるだろう。韓国語もわからずに大学を卒業してすぐに韓国へ来た。決まっていた内定を蹴ってまで。そこまでするのは、かなりの覚悟が必要だったと思う。それをした明日海が俺とただの仲の良い共同経営者なはずがないだろう。そんなのこの先生だってわかるだろうに。  ジヌ先生の笑顔を正面から受けながら、頭の中は妙に冷静だった。こいつは明日海のことが好き。それはほぼ間違いない。じゃあどうする?     ――どうもしない。  その答えがあっさり浮かぶ。大体、奪われる前提で考えているのがおかしい。この先生が明日海のことを好きだとしたって、明日海の気持ちはそこに向いていない。明日海は俺の隣にいる。自分の意思でここに来た。日本を離れて韓国まで。それは自惚れでもなんでもなく、明日海も俺のことを好きだということだ。それに間違いはない。明日海が韓国へ来て数ヶ月。喧嘩をしたことないし、仲は良好だ。それだけで明日海の気持ちは十分すぎるほど分かっているのに、それでも心のどこか奥がざわめく。 「最近は発音もかなり良くなりましたよね」  先生が明日海の方を見ながら言う。明日海のことを見るな。そう言いたくなる。もちろん、そんなこと言えるはずもないけれど。そんな先生をじっと見ながら答える。 「そうですね。頑張ってますから」  俺が教えてるから。そうは言わずに短く返した。それ以上は言わない。言えば余計な感情まで滲みそうだったから。ほんとは言いたかった。俺が教えているからですよ、と。でも、それは隠しておく。  ジヌ先生はまた一口クレープを食べる。その仕草さえ妙に気に障る。なんでだよ。自分で自分にあきれそうになる。なんでこんなことで苛立つんだ? 余裕がなさすぎる。明日海は俺と店をやるためだけに、言葉もわからない韓国へ1人で来た。それだけで明日海の気持ちなんて嫌というほどわかるのに。なのになんで、こんなに余裕がないんだ? 実際に両想いで恋人同士だ。だから余裕たっぷりに構えていればいいのに。そう思うけれど、どうも余裕が持てない。だけど、なんでこんなに余裕がないのか、その理由がはっきりしているのもまた腹立たしい。視線を少しずらしてカウンターにいる明日海に目をやる。客と話しながら丁寧にクレープを焼いている。その横顔。優しげな顔立ちをしているけれど、その内面は頑張り屋で実は口が悪い。でも、この先生はそんなことはわからないだろう。  明日海は俺の隣に来るためにあそこにいるんだ。そう思ったら、胸の奥が静になる。そう。ここにいる明日海は俺の隣にいるためにここにいるんだ。この先生といるためじゃない。分かってる。分かってはいるんだ。 「イジュンさんってアスミと仲いいですよね」  ふいにそう言われた。探るような。でも軽い調子で。答えは分かっているだろう? そう言いたい。わからないはずがないんだ。知らないはずがないんだ。なのに探るような口調で言う。俺は一瞬だけ視線を戻して言う。 「そう見えますか?」 「見えますよ。すごく」  そうにっこっと笑う笑顔の奥にどれだけの感情が隠れているんだろう。それはわからない。でもひとつだけ確かなことがある。この先生は引く気がない。だから俺は余裕をなくしてしまうんだ。でも、こっちだって引く気はない。だったら――。 「まぁ一緒に店やるくらいなんで」  さり気なく事実を突きつける。それ以上でもなく以下でもない言葉。でも、その中に全部含めた。そうするとジヌ先生の目が、ほんの少し細くなる。やっぱりな。分かりやすい。こいつも簡単に諦めるタイプじゃない。でも、だからと言ってこちらだって引く気はないし、負ける気もない。これっぽちも。  キンパの最後の一口を食べ終え、紙ナプキンで指を軽く拭きながらもう一度カウンターを見る。明日海がちょうどこちらに気づいて少し笑った。ほんの一瞬。でもそれで十分だった。胸のざわつきがすっと引いていく。ほら。俺の中でも答えはとっくに出てる。明日海はここにいる。俺の隣に。それは真実だ。それでもやっぱり。目の前に座っている男が、同じ方向を見ているのがわかるから。同じものを欲しがっているのがわかるから。どうしようもなく面白くない。その感情が最後まで消えずに残った。  

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