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ほどけない距離5

 あの先生が帰った夜。店じまいの後片付けをしていた。明日海は鉄板周りと食材を、俺はレジ閉めをしていた。明日のつり銭は大丈夫かな? 現金を使う人は留学生と大学生の一部だから、あまり気にしなくても大丈夫だと思うけど。こういうときカード決済やT-moneyでの支払いが発達しているのは便利でいいと思う。店側にも客側にもメリットがある。日本に行って驚いたのは、まだ現金決済が主流だということだ。  そんなことを考えながらレジ閉めをしていると、明日海が小さな声で発音の練習をしているのが聞こえた。”う”、”え”、”お”と練習している。リズミカルに楽しそうに発音している表情を見て俺は気づいた。あの先生といるときの明日海の表情だ。なんで今そんな顔するんだよ。もうここにあの先生はいないのに。いるのは俺なのに。俺があの先生を嫌いなのは、絶対に下心ありで頻繁に店に来ていることで、それを明日海が気づいていないことだ。気づいていないどころか無防備に笑うんだ。それが気に入らない。なんであんなただの韓国語教師に対してそんなに無防備な顔を見せるんだ? ただ韓国語を教わるだけでいいじゃないか。いや、あの先生がちょくちょく来るのが悪いんだ。来なかったら、明日海だってそんなに先生に対して無防備な顔もしないかもしれない。だけど、現状、明日海はあいつに無防備な笑顔を見せている。そんな顔、誰にも見せたくないのに。そう思ったら俺は明日海の腕を掴んでいた。 「イジュン? どうかした?」 「俺の前でもそんな顔しろよ」  そう言うと明日海はなにを言っているのかわからないというように小首を傾げる。ああ、そんな仕草が可愛いんだ。綺麗で可愛いなんて最強だ。でも、そんなことは俺だけが知っていればいいんだ。 「そんな顔ってどんな顔だよ」 「無防備な笑顔」 「は?」 「あの先生が絡んでくるとそんな顔を見せるんだ」 「ちょっとなにを言ってるかわからない」  明日海は俺が言っていることがよくわからないみたいだ。っていうことは無意識でやってるっていうことだ。それだけ気を許しているんだろう。それがまた俺の苛々をつのらせていく。なんだ? 明日海はあの先生のことが好きだと言うのか? 俺のことはもう好きじゃなくなった? まさかそんなことないよな? だって俺とこの店をやるために明日海は韓国に来たんだ。それからまだ4ヶ月しかたってない。だからそんなことはないだろう。こういうとき愛情表現をしない日本人というのはわかりにくい。特に明日海は恥ずかしがりやみたいだし。 「あの先生の前で明日海がどんな顔してるか知ってる? 無防備に笑ってるんだよ。心を開いてるみたいな」  思わずきつく言ってしまう。ダメだ。こんな言い方をしたら。でも、俺はそんなに感情をコントロールできるほど大人じゃない。 「マンツーマンでレッスン受けてるんだから、心を開けるくらいじゃないとやってられないよ」 「それでも無防備すぎる」 「イジュン。落ち着けよ」 「落ち着いてるよ。もし、あいつにそんな無防備な顔を見せるのなら俺の前でもそんな顔見せてよ」  俺がそう言うと明日海は顔を真っ赤にしていった。 「してるよ!」  してる? 俺に対して無防備な表情を見せてるか? 考えながら明日海の顔をじっと見る。 「なんだよ! イジュン、お前おかしいぞ?」  俺がおかしい? おかしくなんてない。それにもし俺が今おかしいとしたら全部あいつのせいだ。俺のせいじゃない。 「おかしくなんてないよ。ひとつ言っておくけど、取られる気はないから」  あんなやつに明日海はやらない。明日海は俺のものだ。 「取る取らないって問題かよ」 「そういう問題だよ。明日海の全部は俺のだ」  きっぱりとそう告げると明日海はため息をついてから一言言った。 「俺がなんで韓国に来たかそれを考えてくれ」  そう言うとイートインスペースを掃除するために行ってしまった。明日海がなんで韓国に来たかはわかっている。気持ちはそれと変わっていないっていうこと? そうだとしても面白くないと思ってしまう俺は心が狭いんだろうか?

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