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第3章 欲しかった『きっかけ』
姉の死の理由を聞かされてから三カ月――
桐生眞陽 は、京極久紫 が勤める会社の前に毎日の様に通っていた。京極久紫を見つけるのは容易ではなかった。誰もが知っている大企業の常務取締役である。一般の社員の様に、表から会社に現れるわけではなかったのだ。
ただ、一カ月ほど経った時、何となく一階にあるコーヒーショップに目をやると、偶然にも京極がコーヒーカップ片手に窓の外を眺めているのを見つけた。
心臓が止まりそうになる程、眞陽は驚いた。必死に探していた当人を見つけたというのに、少し怖気づいて足が震えた。
スラリとした体形で身長も高く、高級そうなスーツを着ていて、誰が見てもいい男に見えた。掛けている眼鏡がさらに男前に見せていた。
『気に入らねぇ……』
ただ眞陽だけは、憎しみを込めた目で見つめていた。
その容姿で何人の女を泣かせてきたんだろうか……
どれだけの女を騙して来たんだろうか……
◇◆◇◆
眞陽は京極の存在を確認する事は出来たのだが、だからと言ってこのビルに入り込むことは容易ではなかった。自分には簡単な学歴しかないので、この企業に応募する資格すらなかった。
一階にあるラウンジのコーヒーショップに入ろうとしたが、事前に入館の手続きをしていないと入れない仕組みになっていて、入り口の警備員に追い出されてしまった。
だからと言って諦めるという選択肢は、眞陽にはなかったので、平日はビルの前に立ち、コーヒーショップに京極が現れないか探していた。
すると、ある日の事――
いつものように、ビルの近くでコーヒーショップの様子を伺っていると、
「ねぇ、君」と、声を掛けられた。
びっくりして振り返ると、白髪交じりの男性が立っていた。
眞陽が何も返せないでいると、その男は、
「あのコーヒーショップに用があるのかい?」と聞いてきた。
咄嗟に眞陽は、
「はい……」と、言った。
「そうかぁ」
白髪交じりの男はそう言うと、少し考えた風に間を置き、再び眞陽に話しかけた。
「もしかして、あそこで働きたいの?」
眞陽は思っても居なかった事を聞かれたのだが、これはあのビルに入るいいチャンスだと思い、
「そ、そう。そうなんです!」と、白髪交じりの男に言った。
「やっぱりそうか。君、いつも居るもんね、ここに」
正直『ヤバい』と、眞陽は思った。不審者に思われているのかもしれない、と。
「特別に雇ってあげようかなぁ」
「本当ですか!」
「うん、実はさ。急にバイトがさ、ケガしてしばらく休まないといけなくなっちゃってさ。困ってたんだよね」
そう会話しながら、眞陽は歩き出す白髪交じりの男について行く。
もちろん入館許可証はなかったが、この白髪交じりの男の説明で納得したのか、警備員はそこを通してくれた。
「僕はね、一ノ宮と言います。ここの店長さんです」と、白髪交じりの男は言った。
呑気な言い方が眞陽には、どんな人物かも分からない奴を簡単に入れるだけある、と皮肉に思っていた。
「僕は、桐生眞陽です」
「まひる……女の子みたいな名前だね」と、一ノ宮は店の支度をしながら言った。
「はぁ……よく言われます」
眞陽も『ガキの頃から本当にそれが嫌なんだ……』と思いながら返事をした。
「桐生君は、学生?」
眞陽は、そう聞かれて少し悩んだ。学生と偽るのは簡単だが、すぐバレるし、ここは付かなくてもいい嘘は付かないことにした。
「いえ、求職中です」と、だけ言った。
一ノ宮はコーヒーを淹れて眞陽の前にカップを置いて、
「うちでいいの?」と、聞いてきた。
「はい。働かせて頂けるのなら、是非お願いします」
眞陽そう言われて、一ノ宮はじっと眞陽を見つめた。
「どんな理由かは知らないけど、まぁ問題を起こさないようにしてね」と、言った。
眞陽は初めて京極を見つけた時の様に、また足が震えていた。一ノ宮の目が、自分の心の中を全て見透かしているように感じて怖かった。だから思わず目を逸らしてしまった。
そんな眞陽に一ノ宮は再び鋭い視線を送っていたが、
「かわいいね、君」と、言って笑った。
突拍子もない事を言われて眞陽は顔を上げた。
「ここの女子社員に、モテモテになっちゃうかもねぇ」と、言ってカウンターの中に入っていった。
何を考えているのか全く分からなくて、眞陽は一ノ宮の事を少し薄気味悪いと思ったが、それも一瞬だけで、
「今日から働いても、いいですか?」と、一ノ宮に聞いた。
「そんなに急がないでよ。ちゃんと手続きしたいから、ここに書いてある書類を用意して、またおいで」
◇◆◇◆
それから半年――
眞陽は必死に仕事を覚えた。
やっと仕事に慣れた頃、客の顔も自然と覚えるようになっていた。その中に、京極久紫も入っていた。
どうにかして近づきたい、でも京極は意外にも存在感を出さない人物であった。だから、気付いた時には、注文し終えていたり、エレベーターで上階へ上がる時だったりと、タイミングが合わなかった。
でもある日、視線を感じて、その方に目をやると、京極と目が合った。そして、すぐ目を逸らされた。
『あいつ、俺を見ていた』
そう思うと、急に緊張しだした。それと同時に、近づくチャンスだとも思った。
眞陽は思い切って声を掛けることにした。テーブルを拭きながら、徐々に近付いて行き、
「今日は、珍しくゆっくりされてますね」と、笑顔で京極に声を掛けた。笑顔とは裏腹に、緊張で若干手が震えていた。
声を掛けられた事に驚いた様子の京極だったが、
「あぁ、仕事が片付いたからね。たまには、こういう時間も必要だからね」と言った。
想像していたよりも、優しい柔らかい口調なんだなと思った。どう見てもいい人にしか見えない。
『それを装っているだけだ』
もう一人の自分が、そう呟き、眞陽は本来の目的を見失わないようにした。
こいつは自分の姉を死に追いやった張本人なのだから、と。
◇◆◇◆
京極と、あいさつや、ちょっとした会話は出来る関係にはなったが、眞陽としてはこれ以上の関係を手に入れなければならないと焦っていた。
焦り……
京極と接して、人柄を知れば知るほど、自分が思う『悪人』からは程遠い感じがしてならなかった。
常務取締役という立場もあるのだろうが、他の社員とは一線を引いているようにも感じていた。
いつも一人で居る奴だな、とも思っていた。
店長の一ノ宮が急用でクローズ間際に帰った時の事。
眞陽はチャンスだと思った。
京極がいつも注文するコーヒーをカスタマイズして紙袋に入れる。店の前にクローズの札を出して、エレベーターホールに向かう。
警備員に、
「京極様のご注文の品を届けに行きたいのですが」と、少し声を上ずらせながら眞陽は言った。
そんなに緊張するまでもなく、警備員はすんなりエレベーターを呼んで目的の階のボタンを黙って押した。
すんなり過ぎて拍子抜けして、眞陽はエレベーターの中で少しふらついた。
「ビビんな、俺……」
目的の階について、深呼吸してエレベーターを降りる。そして、受付の呼び出しボタンを押した。
すぐ、女性が応対してきた。眞陽は、
「あの……京極様のご注文の品を届けに……えっと、一階のコーヒーショップの者です」と、言った。
自分でも情けなくなるくらいの、言い様であった。
「お待ちください」と言われて、その場に立ち尽くす眞陽。藁をもすがる思いであった。自分でも無計画過ぎると感じていた。でも、きっかけが欲しかった。京極と親しくなる『きっかけ』が。
眞陽が俯いて待っていると、当の本人が、
「君か……」と、言って出て来た。
「お疲れ様です、京極さん」
眞陽は平静を装って、なるべく笑顔を作ってあいさつした。そして紙袋を差し出しながら、
「ご注文のコーヒーなんですけど、全然取りに来てくれないので、持って来ちゃいました」と、言った。
「……私は注文してないんだけどなぁ」と、京極が困った顔をして言う。
「マジですか?でも、ご注文の電話があって、京極さんが取りに来るって……てっきり、いつも通りだと……」
眞陽は必死に演技をした。そして、
「行き違いがあったと店長に伝えておきます。お忙しいところ、失礼しました」と、何だか堪えられなくなって、そう言って逃げる様にエレベーターホールへ踵を返した。
すると、
「待て。私も帰るところだから、一緒に下に降りよう」と、京極に呼び止められた。
眞陽は、動揺を何とか隠したくて、満面の笑みを作って、
「はい」と答えた。
◇◆◇◆
エレベーターで下に降りる最中も、視線を感じて、眞陽は気が気じゃなかった。あのいつもの涼しい目線を自分に向けているのだろうかと思うと、汗が噴き出す感じがした。
一階に着くと、眞陽は呼吸を思い出したかのように大きく息を吸い、
「お騒がせしました」と、京極に頭を下げた。
眞陽は、自分の意気地のなさに絶望した。所詮、自分はこれくらいの凡人だ、とも思った。復讐やら何やら出来るようなタマじゃないのだと。
すると、
「支払いは……」と、京極が慌てた様子で眞陽を引き留めた。
眞陽は、行き違いがあったからと断ったが、京極がそれを譲らなかった。
「ちゃんと貰いなさい」と、たしなめるように千円札を眞陽に渡した。
京極の気遣いに、眞陽は何だか気が抜けてしまって、
「京極さん、もう帰られるんですよね?少し寄っていきませんか?三十分くらいでクローズ作業終わるんで。それまでに、飲み終わるでしょ、これ」と、紙袋からコーヒーカップを取り出して、京極に渡した。
どうしたものか、と考えているようだったが、京極は席に座りコーヒーをゆっくり飲み始めた。
クローズ作業を黙々としながら、眞陽は今後も、これを続けるべきかどうか悩んでいた。でも、どうしても姉の顔がチラつくたびに、京極に対して憎しみが込上げてくる。
もう少し、こいつの事を知ってから決めてもいいだろう。眞陽はそう自分に言い聞かせて、目的を見失わない様に自分を奮い立たせた。
◇◆◇◆
眞陽はクローズ作業を終わらせて、身支度をし、最後のライトを消そうとした。京極の方に目をやると、彼は外を眺めながら、何か考え事をしているようだった。
いつも、疲れた様な、つまらなそうな表情をしているな、と眞陽は思った。つまり、何を考えているのかも分からないという事。
「京極さん?」と、眞陽は声を掛ける。
京極は、少し驚いて眞陽を見た。
「……お疲れ」と、京極は立ち上がって、空の紙のコーヒーカップを眞陽に渡して来た。
眞陽はそれを受け取ると、ゴミ箱へ入れて、ライトを消した。
二人で一緒にビルを出ると、眞陽はそのまま帰ろうとした。自分がもっと図太かったのなら、 この後飲みにでも誘えたのかもしれない。だが、今の眞陽には、そんな余力は今は残っていなかった。
だが、京極の方から声を掛けてきた。
「君の名は?」
そう言えば、と眞陽は思った。京極にとって、自分はただのコーヒーショップのバイト、という認識でしかなかったのだ。そう思うと、ことごとく自分は無計画で馬鹿でどうしようもないな、と感じて、笑いが込上げて来た。そして、笑いながら、
「桐生眞陽です。眞陽、って呼んで下さい」と、言った。
「ま、ひる君……」
「はい。女みたいな名前でしょ」と、眞陽は自分から言った。
「いやぁ……まぁ……でも、君に合っている名だと思うよ」と、柔らかい表情で京極久紫は言った。
「せっかくだから、送ろう」と、京極は言って駐車場へ向かった。
眞陽はそれは予想もしていなくて、
「いや、悪いですから」と、何となく断った。だが、
「私が、そうしたいんだよ」と、京極は優しく微笑みかけながら眞陽に言った。
眞陽は戸惑ったが、これもチャンスだと思い直して、京極の後を追った。
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