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第8章 二人の『温度差』

 あの日から数日――  特別関係が急激に縮まったかと言うと、そういうわけでもなく、京極はいつになく忙しそうだった。変わった事と言えば、オフィスに直接コーヒーを届けてくれるように、という注文が増えたこと。  その度に眞陽は、京極の好きなコーヒーを少々カスタムして届けに行く。京極が顔を出し、「ありがとう」と一言言うと、はにかんだ顔でドアをゆっくり閉める。  このたった一分未満のやり取りが、二人の関係を少しずつ縮めていた。  この日も眞陽はコーヒーを届けて、一階のカフェラウンジに戻った。戻る途中も、複雑な心境は変わらなかったのだが……   「桐生君」と、店長の一ノ宮が声を掛けてきた。 「はい」と、眞陽は我に返って、小走りでカウンターに駆け寄った。 「あのさ、君みたいな男の子が、外でずっと立ってるんだよね」と、一ノ宮は小声で言った。  眞陽はいったい何を言っているのだろうと、チラッと窓から見える歩道に目をやった。その瞬間、眞陽は肝が冷えた。あの西塚が、じっとこちらを見ていたからだ。 「桐生君も、あんな感じで立ってたんだよねえ。すんごい怖かったよぉ」と、一ノ宮は冗談交じりに言う。  愛想笑いも出来ない感じで眞陽は、 「そ、そうだったんですか……」と、適当に言うと、仕込み作業に戻った。   『アイツ、何やってんだ……』  あの後、西塚が跡をつけて来てマンションを知られたことと、更にその後も跡をつけて、ここで働いていることを知られたのであろうことも、眞陽は容易に想像がついた。厄介な奴に目をつけられてしまった、と内心気が気ではなかった。 「もしかして、知ってる人かい?」と、一ノ宮は鋭い所を突いて来た。 「さぁ、ここからじゃ誰だか分からないっすね」と、眞陽は、はぐらかすしかなかった。 「働きたいのかなぁ、桐生君みたいに……」 「そんな訳ないでしょ!」と、眞陽は咄嗟に一ノ宮の言葉を遮ってしまった。  一ノ宮は、じっと眞陽を見つめ、 「……問題を起こされるのは困るんだよね……」と、いつもとは違った声色で言った。  眞陽は何も返せないで、一ノ宮から目を逸らした。この人は、何でもお見通しなんだろうか、と眞陽は感じていた。 「迷惑かけるつもりはないですよ」と、だけ言った。  一ノ宮はまだ何か言いたげだったが、そのまま黙ってコーヒー豆の補充を続けた。  クローズ作業も終わる頃には、西塚の姿はもうなかった。いつまで居て、いつその場を去ったのかは分からなかった。でも、居場所を知られた今、西塚がまた絡んでくるのは容易に分かった。とにかく京極との接点は知られない様にしないといけない。それだけは絶対に、と思っていた。  ビルから出ようとすると、スマホが震えた。京極からのメッセージだった。 『お疲れ様。明日は金曜日。また食事でもどうかな?』  西塚の顔が頭をよぎったが、眞陽はすぐ『もちろん、行く!』と返事をした。  自分の目的は、京極に姉の死の真相を語らせること。その為なら、自分の幸せも犠牲にする覚悟だ。だから、ちょっとしたきっかけも無駄には出来ない。ましてや、当の京極は自分に惚れているのだ。それを利用する手はない。  だが同時に眞陽は心が痛んだ。自分も京極に惚れている。憎き相手に惚れるなんて、おかしな話ではあるが、それが現実なのである。  でももう自分でやるべき事はやった、と眞陽は思っていた。これ以上自分でどうにか出来る事は何も無いと。  明日、うまく切り出せたらいいな……そう思いながら、眞陽は家路へと向かった。  その姿をビルの陰から西塚は、じっと見ていた。 「あいつ、やけに真面目になっちゃって」と、ほくそ笑んでいた。  ◇◆◇◆  その日の夜、明日の眞陽とのデートのために、少しでも仕事を片付けようと、京極は残業をしていた。秘書に『こんな大企業で、しかも常務取締役にまでなっても、律儀に残業されるのは稀有な方ですよ』と、京極はたまに言われていた。 「そんなものかなぁ」と、京極は呟いた。  しばらく仕事に集中しているとスマホが震え出した。眞陽だった。しかも通話である。京極は一瞬にして緊張が走り鼓動が早くなった。早く出ないと、という気持ちと、緊張して中々出れない狭間にいた。  もたついていると、スっと切れてしまった―― 「あぁもぉ……」と、思わず声を漏らす京極。深呼吸して、結局掛け直した。 「京極さん?」 「眞陽くん、お疲れ様。すぐ出られなくて、ごめんね」 「いやいいけど、もしかして忙しかった?」 「そういう訳じゃないけど。まぁ、まだオフィスだよ」 「えっ、マジで……ごめん」 「謝らないでよ。どうしたの?明日の事?」 「うん、明日。何処で飯食うのかなって」 「何処がいい?特に決めてないんだよね。行きたいところある?」 「俺、居酒屋位しか知らないし」 「いいよ、居酒屋でも」 「えっ、京極さんが居酒屋とか、似合わなそう」 「ちょっと、それどう言う意味だよぉ」 「でも俺、静かな所で二人きりになりたいんだよね……話したい事沢山あるから」 「そっか、そうなんだ……分かったよ。ホテル?」 「うーん、俺ん家来ます?」 「え?!眞陽君の家?」 「いきなりじゃ、嫌だよね、ごめん」 「……そんな事ない。行くよ……行きたい……」 「じゃ、俺ん家の住所、後で送っておくね。掃除しないとなぁ、飯は宅配にしますか」 「……うん、分かった。凄い……楽しみ」 「俺も。じゃ仕事中ごめんね、京極さん」  そして電話が切れた。  一気に舞い上がる京極。  『好きな人の家に、お邪魔できる』   素直に嬉しかった。そして京極は少し期待している自分に気が付いた。キス以上の事を……  京極はもう、仕事が手につかなくなってしまったので、そのまま帰宅することにした。 「明日、絶対に定時で帰るって、秘書の花輪さんに言わないと!」と、決意を込めて京極はオフィスを後にした。  ◇◆◇◆  電話を切った眞陽はソファーに横になっていたが、起き上がりリビングを見回した。眞陽としては『ましな方』と思っていたが、まぁ雑然と脱ぎ散らかしている様や、テーブルの上のマグカップやペットボトルの数を見ると、 「こんなん見せられるわけねぇな」と、部屋の掃除を始めた。 『でも俺、静かな所で二人きりになりたいんだよね……話したい事沢山あるから』  色んな意味で嘘ではないと、眞陽は思っていた。  京極に聞かなければいけないことは山ほどある。だが、その内容次第では、もう互いに恋人以上の関係になりたいとは思えなくなる可能性もあるとも感じていた。  でも眞陽の本来の目的は『姉の死の理由』である。何故だか眞陽は、京極がそれに関わっている、もしくは知っているという自信があった。  手帳に挟まれていた京極の写真。それだけなのだが。  ちゃんと、聞かないといけない。白を切られても、問い詰めなければいけない。関係が壊れようとも……  そう思えば思う程、眞陽の心は抉られるように辛かった。

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