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第13章 囚われ続けた『過去』

 西塚は契約締結した企業の常務と眞陽がキスしていたのを見たからといって、それをどうこうするつもりはなかった。――だが、動揺していなかったと言えば嘘になる。京極にクールなイメージしかなかったものだから、偶然、あまりにもプライベート過ぎる現場に出くわし、西塚の方が思わず慌てた。  西塚はネクタイを緩めながら言った。  「お前が、誰とどうしていようと、俺には関係ないかもしれない。ただ、何かよからぬことを企んでいるなら、考え直せ」  何もかも見透かすような視線を送る西塚。  その視線を受けて、知られているはずがないのに、眞陽は思わず目を逸らした。  「……何言ってんだ、お前」  ボソリと呟いた眞陽の声が、わずかに震えていた。  西塚はまたため息をつき、  「お前さ、俺がしっかりしろって言ってる意味、分かんないのか?」と、少し語気を強めて言った。  「もう……いいから、とっとと出ていけよ!」  眞陽は、そう怒鳴りつけることが精一杯だった。そして、無理やりに帰るように促そうとした。  「桐生……お前さ、もしかしてまだ姉さんのこと……」  西塚は少し憐れんだ目で眞陽を見た。  眞陽は自分でも気づかぬうちに、西塚の胸ぐらを掴んで睨みつけていた。  「別に俺はお前を刺激したいわけじゃないんだよ。心配してるんだよ」  掴まれた胸ぐらを優しく掴み返し、西塚は眞陽を落ち着かせようとした。だが、眞陽はそれを受け入れるわけもなく、思うがままに西塚を殴った。  「お前に何が分かる?お前に俺の何が分かるんだよ!」  感情を抑えられず、眞陽は西塚を数発殴りつけていた。  眞陽の動きを止めた西塚は、  「お前さ、何に囚われてるんだよ。なぁ、一人で抱え込むなよ……」と、諭すように殴りつけたことを気にもとめないように、西塚は言った。  眞陽は堪えきれず、大粒の涙をこぼしだした。止められなかった……  最後に声を上げて泣いたのは、いつだっただろうか。大好きだった、姉、(まこと)が亡くなった時だって涙は流さなかった。  でもそれは何故だ?と眞陽は考えた。大切な、大好きな姉が亡くなったと知った時、どうして自分は一滴も涙が溢れなかったのだろうか。  「眞陽、おやすみ」  そう微笑んだ姉の最後の姿は今でも忘れられない。  余りにも穏やかな表情だったからか?  余りにも美しかったからか?  でも、今なら分かる……    当時は幼すぎて、姉の葬儀も何の儀式なのだろうかと不思議だった。棺桶の中の姉を見ても、ただ眠っているようにしか思えなかった。ただ、触れた頬が、とても冷たくて少し怖かった。葬儀が終わっても、そのうち姉は帰ってくるものだと思っていた。  でも、一年が過ぎ、二年が過ぎ……  眞陽は大人になるにつれて、あの光景の意味を理解していった。西塚が言ったように、自分の時を止めている過去――大切な人を失った絶望は、子供ながらに防御反応を起こし、その傷に瘡蓋が出来ていたのかもしれない。  自分はあの頃から時が止まってしまっていたことに気付いた今、眞陽はその年月がフラッシュバックのように一気に蘇っていた。  「……桐生……大丈夫か?」  西塚は心配そうに言った。  項垂れるだけの眞陽は、相手が西塚であったとしても、今そばにいる誰かに寄りかかりたかった。  「なぁ、お前さ。京極常務と、その……そういう関係なのか?」  西塚は、眞陽の様子が落ち着いてきたのを見計らって、そう言った。  その言葉に眞陽は目だけを向けて、  「だったら何だよ……」と、素っ気なく言った。  「何もないけど……ただ、遊びなら、やめておけよ」と、西塚が言った。  『遊び』という言葉に反応した眞陽が、向けた目を険しくした。  「相手は大企業の常務だぞ。時代が許す関係でも、その立場が守れるとは限らないだろ。ましてや、誰が見てるか分からない外で……」  「お前さ、俺をゆすりたいのか?それとも心配してんのか?」  「お前をゆすったって、どうせ金なんかないだろ」と、西塚は少し笑って言った。そして、  「なぁ、冗談じゃなくて。京極常務を陥れるようなことは考えてないんだよな?」と、西塚は釘を差すような言い方をした。  眞陽はまた目を逸らした。  京極と姉の関係を探りたい――  京極を心から愛している――  でも実際は――  姉が何故死を選んだのか――その謎に縛られて、そこから身動き取れないことを言い訳にして生きていたのだ。解放されたかった。――自堕落な生活の言い訳にして、眞陽自身が掴んで離さなかった現実だった。  それに気づいた今、眞陽は強く何かに殴り付けられたような衝撃を受けていた。  そして、京極を責めることも愛することも、自分には資格がないと考え始めていた。  何もかも、自分には不釣り合いだった。京極に近づけたことも、ただの偶然に過ぎない。この件がなければ一生交わることのなかったであろう。それに巻き込まれた京極も至極迷惑なことであろう。  だが――もう一つ消えない現実がある。  それは――  『姉の死』だった。  「そう言えば……」と、眞陽は西塚にこう尋ねた。  「なんでお前、俺の姉ちゃんが死んだこと知ってるんだよ」と。

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