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■7 絶望、それでも立て

タクトの笑みが消えた。 それだけで、広場の空気が一段冷える。 「……面白い」 低い声だった。 さっきまでの余裕混じりの芝居がかった調子ではない。 「ようやく吠えたな、レン」 「最初から吠えてたろ。お前が聞いてなかっただけだ」 「減らず口だけは一流だ」 「だから褒めんなって、照れるだろ」 軽口を返しながら、俺は呼吸を整える。 肩が痛い。 腹もまだ鈍く重い。 腕は痺れている。 ……でも、目は慣れてきた。 こいつの速さに。 こいつの癖に。 こいつの“見下して振るう剣”に。 「次は遊ばない」 「最初から遊ぶなよ」 タクトが踏み込む。 速い。 だが見える。 右足始動。 肩が下がる。 視線が剣先へ落ちる。 薙ぎ払い。 やはり同じだ。 俺はしゃがみ込み、紙一重でかわす。 風圧が頭上を裂いた。 「っ……!」 そのまま懐へ潜り、脇腹へ木剣を叩き込む。 乾いた音。 初めて、まともに入った。 「……!」 タクトが一歩下がる。 広場がざわついた。 「当てた!」 「レンが勇者様に!?」 「嘘だろ……!」 女騎士の眉が寄る。 女魔法使いの笑みが消える。 カオルは両手を口元に当て、信じられないものを見るように俺を見ていた。 「……なるほど」 タクトが脇腹を押さえ、ゆっくり笑う。 嫌な笑い方だった。 「雑魚なりに、頭は回るらしい」 「褒められてばっかだな今日」 「だが――」 一瞬で間合いを詰められた。 速い。 さっきより明らかに。 木剣が頬を裂く。 二撃目が肋骨へめり込む。 三撃目が脚を払った。 「がっ……!」 地面へ叩きつけられる。 息ができない。 視界が白く弾けた。 「レン!!」 カオルの悲鳴だけが、遠くで聞こえた。 「見えた程度で勝てると思ったか?」 タクトが俺の胸を踏みつける。 ぐ、と骨が軋む。 「所詮貴様はモブだ」 踏む力が増す。 「舞台袖で拍手でもしていろ」 ……痛ぇ。 悔しいくらい、強い。 才能があって、力があって、立場もある。 俺には何もない。 昔からそうだった。 **** 子どもの頃。 剣術の稽古では一番遅かった。 魔法適性は最低評価。 盾を持てば吹き飛ばされる。 「レン、お前は愛想だけだな!」 笑われた。 俺も笑った。 笑って誤魔化して、悔しさを飲み込んだ。 夜になると一人で木剣を振った。 誰も見ていない畑の裏で、何百回も。 盾を持って転び、魔法で自分の髪を焦がし、また笑われた。 それでもやめなかった。 いつか誰かを守れるくらいにはなりたかった。 ただ、それだけだった。 **** 「立てよ」 タクトが足をどける。 「まだ終わっていないだろう?」 周囲が笑う。 「勇者様、余裕だな!」 「遊ばれてるぞレン!」 ……うるせえ。 俺は震える腕で地面を押し、なんとか膝をつく。 身体中が痛い。 立つ意味なんてあるのかと、一瞬だけ思った。 どうせ勝てない。 どうせ主役にはなれない。 俺なんか――。 「レン……もう、やめてください……!」 カオルの声だった。 震えていた。 泣いていた。 顔を上げる。 女騎士に止められながら、それでも前へ出ようとしている。 涙でぐしゃぐしゃの顔で、俺を見ていた。 「お願い……もう、傷つかないで……!」 その姿を見た瞬間。 胸の奥で、何かが軋んだ。 違う。 俺は何のためにここへ立った。 勝てるかどうかじゃない。 主役かどうかでもない。 あいつを、泣かせないためだ。 俺はゆっくり立ち上がる。 脚が笑う。 視界も揺れる。 それでも、立つ。 「……悪い」 血を拭い、笑った。 「泣かせるつもりはなかったんだけどな」 「レン……」 「もう少しだけ、待ってろ」 カオルの瞳から、大粒の涙が落ちる。 それでも今度は、ただ怯えた涙じゃなかった。 信じたいと願う涙だった。 タクトが鼻で笑う。 「感動ごっこは済んだか?」 「まだ本番前だ」 「何?」 俺は木剣を握り直す。 掌の皮は裂け、血で滑る。 だから逆に、よく馴染んだ。 「お前、さっきから強さしか誇れねえよな」 「当然だ。強者だからな」 「かわいそうに」 「……何?」 「それしかねえんだろ? いや、その醜悪な性格も誇れるか」 タクトの目が細くなる。 怒った。 いいぞ。もっと怒れ。 感情で剣が雑になる。 「殺す」 「木剣でか?」 次の瞬間、突進。 今までで最速だった。 突き。払い。蹴り。振り下ろし。 全部重い。全部速い。 だが――読む。 右足。肩。視線。呼吸。 一撃ずつ、紙一重で外す。 広場がざわめく。 「避けてる……!」 「さっきまでボロボロだったのに!?」 「なんでだ!」 答えは簡単だ。 ずっと見てきたからだ。 弱い奴は、強い奴を観察するしか生き残れない。 これが俺の最大の武器。 タクトの剣が大振りになる。 苛立っている。 その瞬間。 俺は足元へ最弱風魔法を放った。 ぱふっ、と情けない音と共に砂埃が舞う。 「なっ――」 視界が揺らいだ一瞬。 俺は盾技の要領で木剣を斜めに当て、軌道を逸らす。 懐へ潜り込み、腹へ一撃。 さらに肩。膝。 連続三発。 タクトがたたらを踏んだ。 歓声が爆発する。 「うおおおお!!」 「レン!いけるぞ!!」 「倒せ!!」 さっきまで笑ってたくせに、現金な奴らだ。 カオルが涙の跡を残したまま、叫ぶ。 「レン!!」 その声だけで、胸が熱くなる。 俺は剣を構え、タクトを見る。 勇者の顔から余裕は消えていた。 代わりにあったのは、醜い怒りだ。 ここからだ。 本当の地獄は。

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