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■8 愛でぶっ倒す勇者戦
ここからだ。本当の勝負は。
タクトの顔から、完全に笑みが消えていた。
整った顔立ちは怒りで歪み、目だけが獣みたいに光っている。
「……雑魚が」
低く唸る。
「思い上がるな」
「上がってんのはお前の息だろ」
「殺す」
「語彙少ねえな、勇者様」
広場がどっと沸いた。
タクトのこめかみが跳ねる。
いい。
もっともっと怒れ。
感情で動く奴ほど、読みやすい。
タクトが地面を蹴った。
速い。
さっきまでよりさらに速い。
一直線の突進。
剣先が喉を狙う。
俺は半歩ずらし、ぎりぎりで避ける。
だが追撃の肘打ち。
「ぐっ……!」
胸へ入る。
息が詰まり、そのまま薙ぎ払い。
木剣で受けるが、吹き飛ばされた。
地面を転がり、土まみれになる。
「レン!!」
カオルの叫び。
聞こえる。
だから立つ。
「何度立てば気が済む」
タクトが見下ろす。
「モブのお前に勝ち目はない」
「へえ」
血を拭い、笑う。
「じゃあなんで、そんな焦ってんだ?」
「……!」
一瞬、呼吸が乱れた。
見えた。
余裕を失っている。
勝機は十分。
タクトが吠え、再び突っ込む。
今度は構えが低い。
……警戒してる。
さっきの最弱土魔法。
足元をすくう手を読んでいる。
視線が地面へ落ちた。
備えてる。
なら――そこが穴だ。
俺は片手を下げ、わざと詠唱動作を見せた。
「また同じ手か!」
タクトが鼻でわらう。
足に力を入れ、踏ん張る。
地面への警戒は完璧。
その瞬間。
「残念だったな……」
俺が放ったのは、風魔法だった。
情けないほど小さな突風。
だが狙いは足元じゃない。
真正面。
「なっ――!」
砂埃が顔面へ直撃する。
視界が白く潰れる。
同時に俺は左へ回り込んだ。
タクトが反射で剣を振る。
だが空を切る。
「どこだ!」
「こっちだ、間抜け勇者」
背後から膝裏へ一撃。
体勢が崩れる。
振り返った顔面へ二撃目。
顎が跳ねる。
最後に溝打ちへ、渾身の三撃目。
鈍い音と共に、タクトが数歩よろめいた。
広場が爆発する。
「うおおおおお!!」
「読んでた!!」
「レンの方が上だ!!」
「頭脳戦だ!!」
村人たちの歓声が地鳴りみたいに響く。
俺は木剣を構え直し、笑った。
「悪いな、勇者様」
タクトが砂まみれの顔で睨む。
「……貴様」
「頭の良さは、勇者の力には反映されないとみえる。地頭の差が出たな」
一瞬、静寂。
次の瞬間。
観客がさらに沸いた。
「言ったぁぁぁ!!」
「レン最高!!」
「もっと煽れ!!」
お前ら楽しみすぎだろ……でも悪くない。
「貴様ぁぁぁ!!」
タクトが完全に理性を失った。
突進。
大振り。
雑。
もう剣筋が全部読める。
右足始動。肩が下がる。
次は、薙ぎ払いか。
やはりそう。
余裕でしゃがんでかわす。
返しの振り上げ。
へぇ、やる。
でもそれも想定内。
半歩下がる。そして懐へ。
近距離で睨み合う。
「なんでだ……!」
ワンパターンだからさ。
タクトが歯を食いしばる。
「俺は勇者だぞ!」
だからなんだ?
木剣を握り直す。
「カオル泣かせた時点で、お前はただのクズだ」
タクトの顔が真っ赤になる。
逆上したまま、剣を振り上げた。
その時だった。
左手が伸びる。
木剣を、両手で握った。
広場が静まり返る。
片手のみ。
決闘のルール。それを、自分で破った。
「しまっ――」
タクトの顔が青ざめる。
遅い。
「――終わりだ」
木剣を握る手に、自然と力がこもる。
脳裏をよぎったのは、星降る夜の丘だった。
震えながら目を閉じたカオル。
触れた唇のやわらかさ。
胸の中で「レン」と名前を呼んだ声。
初めて会った日、袖を掴んだ細い指。
朝、腕の中で甘えてきたぬくもり。
泣きながら、それでも俺を信じてくれた瞳。
守りたい。
誰よりも。
何よりも。
世界の理屈なんか全部どうでもいい。
こいつを泣かせる奴だけは、俺が倒す。
カオル。
どうか、俺に力をくれ。
お前を想う、この気持ち。
強く、熱く、溢れる感情がとめどなく噴き出し全身を包む。
俺は踏み込み、痛みも迷いもすべて振り払い、渾身の力で木剣を振り抜いた。
「うぉぉぉぉ!!」
「や、やめ――!お前ごときに、俺がああああっ!!」
絶叫が響く。
次の瞬間。
雷みたいな衝撃音が、広場を揺らした。
タクトの身体が宙へ浮いた。
胸元を打ち抜かれ、そのまま数メートル後方へ吹き飛ぶ。
地面へ叩きつけられ、二度、三度と転がった。
木剣が手を離れ、砂の上を虚しく滑って止まる。
完全な静寂。
誰も動けなかった。
誰も、今起きたことを理解できなかった。
勇者タクトが。
あの絶対強者が。
ただのモブ、村人レンに、真正面から打ち破られた。
「……勝者、レン!!」
司祭の震える声が、広場いっぱいに響いた。
その瞬間。爆発した。
「うおおおおおおお!!」
「レン!!!」
「やったああああ!!」
「勇者を倒したぞ!!」
「本物の英雄だ!!」
歓声。絶叫。拍手。
地面が揺れるほどの熱狂だった。
さっきまでタクトを称えていた連中まで、今は俺の名を叫んでいる。
ほんと、こいつら調子良すぎ。ったく。
女騎士と女魔法使いが、慌ててタクトへ駆け寄る。
「勇者様!」
「しっかりしてください!」
しばらくして、砂まみれのタクトは、呻きながら身体を起こした。
唇を切り、髪は乱れ、威厳なんてもうどこにもない。
それでも俺を睨みつける。
「……こんな、はずでは……」
「現実見ろよ」
「お、俺は……勇者だぞ……!」
「知ってる」
木剣を肩へ担ぎ、笑う。
「でも今日は、負けた側だ。ただの村人に打ちのめされた伝説の勇者様」
タクトの顔が屈辱で歪む。
「……覚えていろ……この屈辱、絶対に忘れないぞ」
「いや、忘れてくれていい」
女騎士たちに支えられながら、タクトはよろめくように去っていく。
その背中に、もう誰も歓声を送らなかった。
****
歓声の中、俺は木剣を下ろした。
その途端、全身の痛みが一気に押し寄せる。
「っ……」
膝が笑う。
視界も少し揺れた。やべえ、限界だ。
でも、その前に。
言わなきゃいけないことがある。
俺は、人混みの向こうを見る。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたカオルがいた。
震えながら、俺を見ている。
その瞳は、最初に会った日よりずっと強く、綺麗だった。
俺は、ゆっくりとカオルに近づく。
広場が静まる。
俺はかすれた声を絞り出した。
「俺はただ――」
一歩、一歩、歩みを止めない。
「カオル、お前を守りたかっただけだ」
カオルの瞳が、大きく揺れた。
「レン……!!」
次の瞬間、カオルが駆け出した。
人の波をかき分け、真っ直ぐ俺へ向かってくる。
「なっ!?」
そのまま勢いよく胸へ飛び込まれ、俺はよろけた。
細い腕が首へ回される。
ぎゅう、と必死に抱きついてくる力。
「レン……レン……!」
「……おう」
「よかった……っ、よかったぁ……!」
肩口へ、熱い涙が落ちる。
泣きながら笑っている声だった。
「心配かけたな」
「ばかです……っ」
「知ってる」
「無茶ばっかりして……っ」
「でも勝った」
「そういうところです……!」
くしゃくしゃの顔で見上げてくる。
反則だろ。
「レン……」
「ん?」
「世界で、一番……かっこよかったです……!」
……無理だろ。
そんな顔でそんなこと言われて、平静でいられる男がいるか。
俺はその細い身体を抱き返した。
壊れないように。
でも離れないように。
「……知ってる」
「もう……っ」
泣き笑いで胸を叩かれる。
その全部が愛しかった。
****
空は夕焼けに染まり始めていた。
歓声はまだ続いている。
けれど俺には、腕の中のぬくもりしか感じなかった。
勇者に勝ったことより。
英雄になったことより。
こいつが笑ってくれていることの方が、ずっと嬉しかった。
俺はカオルの頭へそっと顎を乗せ、目を閉じる。
――守れた。
たった一人、俺が守りたかった人を。
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