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第2話 見つめる先には

 今朝見た幼少期の夢を思いだして、校舎3階の窓際から校庭を眺める。  梅雨の中休みなのか、今日は青空が見える。  野球や、テニス、陸上部など部活動に勤しむ学生の姿があった。 「昔は、あんなに泣き虫だったのにな」  ぼそりと独り言を呟いて、サト、と呼ばれていた平 暁士は、校庭でキラキラに輝いている昔泣き虫だった少年のサッカー姿を見つめていた。  泣き虫の子は、小学校に上がると、サッカー少年へ変わっていった。  絵画教室は、小学校の低学年まで一緒に通っていたが、福士 亮太はサッカー一筋のかっこ良い高校生になっていた。  サトは、変わらず絵を描くことが好きで、というか、絵にしか興味を示せなかったので中学、高校と美術部で黙々とキャンパスに鉛筆を走らせている。  初めて、亮太を見た時のことは、はっきり覚えている。  同じマンションの隣の部屋へ引っ越しの挨拶をしに行った時のことだ。  4歳の冬だった。  彼の周りは、とてもキラキラしていて、輝いていて、思わずそのキラキラに手を伸ばしてしまった。  頬に触れた時ビリっと静電気が起こり、二人してびくりとした。  頬に手を当てキッと睨まれた。でも、彼自身は怖くなかった。  優しい色をしていたから。  僕たちは同じ歳だったけど、引っ越しの挨拶でそんなことがあったからか、同じ保育園に通っていても、最初はあまり仲良くなかった。  引っ越して半年くらいで、また、父の海外転勤が決まった。  また引っ越すのかと母と相談していたみたいだが、結局、僕と母は残ることになった。  理由は、母の仕事を辞めるとか休職できるタイミングではなかったからだと言っていた。  父は仕事関係でよく海外に行っていた。  僕が生まれる前に、一度目の海外駐在となり、父と母はアメリカに住んだ。  そして僕が生まれた。日本に戻ってきて、母も仕事を再開したが、二度目の駐在話が出てきた。  母は仕事好きで、責任感も強い人だから2回目の帯同はとても悩んだみたいだ。  当時は、何回か言い争うようなことも聞いたが、結局、父が単身でいくことに納得した。  高校生になるまでに、何回かの駐在や異動があって、なんやかんや父と一緒に住んでいたのは一年くらいかもしれない。  それでも、父は半年に一度は帰ってくるし、隣のキラキラした男の子がいたから、あまり寂しいとは思わなかった。  母子家庭になって、最初の頃は大変だったみたいだけど、亮太の母さんと育児を協力し合うようになってからは僕と亮太は仲良くなっていった。  亮太の両親は、離婚している。おばさんは、看護師として働いていて日曜日も仕事がある。  サトと亮太は一緒に過ごすことが多くなった。  兄弟のように育った。  絵画教室も一緒に通った。  昔、展覧会で迷子になって二人で座り込んだ後、すぐに母と先生が迎えに来てくれた。  会場の入り口は2つあって、裏手の方に入ってしまって元の場所が探せなかったのだ。  あの後、一緒にサトの家で夕飯を食べてる時に、亮太が泣いたことを母に話したら小さな喧嘩へ発展した。  喧嘩の後、しばらく口を聞かなくなって、寂しくて、苦しかった。  でも、いつの間にか仲直りしていた。  兄弟のように育った幼馴染。  でも、僕の中で彼は……。  ――好きな人。  これは、墓場まで持っていかないといけない秘密だ。

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