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第23話

 扉を開けたら最近は『おかえり』と出迎えがある。しかし今日はそれも無いようだ。薄暗い廊下にほんの少し感じる寂しさをノエルは(仕事の疲れが溜まっているからだ)と解釈した。   「いないのか?」    リビングも寝室も浴室からトイレまで明かりが灯っていない。ノエルは男に『外出するのはいいが自己責任で極力遠出はするな』と言いつけたので、どこか出かけたのだろう。リビングの明かりを灯すとテーブルの上に走り書きのメモが置かれている。   『ロボットが故障したので部品と食料をそこまで買いに行ってくる。安心したまえ、私だとバレないよう変装するから。寂しいだろうがいい子に待っているように』    ぐっと眉を寄せてノエルは制服を適当に脱ぎ捨てソファーに横になった。最近ウィルソンがこのソファーで寝ているせいか久しぶりの革の感触だ。少し男の甘い香りが残っている。  色々とやらなければならない事はあるが、寝転がった瞬間何も考えられぬほど眠くなった。   (大丈夫なのか?また王打会に付け回されて大変なことになって無ければいいが…報告書も作成しないと…)    意識が段々現実と夢の間で混ざり出した。ふわふわと心地の良い感覚が全身に巡るとそこはもう夢の世界だ。    暗闇の中で浮かぶ白い背中、それはゴツゴツとしていて女のものとは思えない。だが艶めかしく、夢の中のノエルはその肌に触れたいと強く思ったのだ。    躊躇いも葛藤もなく肌の感触を確かめた。…自分が嫌になるが、その体が誰のものなのか理解している。隠れた願望の現れ?夢の中の自分は欲求のままに行動するのだ。   『ノエル、どうしたんだ?』と落ち着いた声が問いかける。その声は届いていたが、答えることはない。筋肉のハリで指先が跳ね返され、更にその感覚を全身で味わいたいとノエルは男の背中を抱き締める。 『お前…変だ。やめろ』とその腕から逃れようとする男に無性に腹が立って、グッと腕に力がこもった。   『俺に触れると安心するんだろう。だから触ってやっている』とおぞましい台詞が自分の口から発せられた。    首筋に顔を埋めて、脇腹、骨張った鎖骨の窪みを撫で回す。少し汗ばんだ肌は誘うように手のひらに吸い付いてなんとも手放し難く、夢中になってその体を撫で回した。      違う、汗ばんでいるのはノエルの汚い手で、男の体は闇の中で清く輝いているだけに違いない。          ガチャン、と扉が乱暴に開け放たれなければ、夢の中のノエルは男を穢らわしい欲望で貶める所だった。    静かな足音でリビングまでやって来た男は「ただいま」と呑気に声をかける。    その目覚めは酷いものだ。のそのそと上体を起こし、体に異変が無いか確認した。   (……大丈夫)    ノエルは体が反応を示さなかった事にホッと胸を撫で下ろす。夢は願望ではなくただの意味不明なツギハギだ。きっと抱いていたのは目の前の男ではなく昔のガールフレンドだったはずだ。…そうでなくては困る。 「安売りでつい沢山買ってしまったよ」    変装と言うには帽子を被っただけのウィルソンは大量の食料品を買ったのだろう、ガサガサと袋を鳴らしながら帰宅した。   「抜け殻を散らかしてるなんて珍しい。寝ていたのに起こしてしまったな」 「…いや、構わない」    せっせとノエルの脱ぎ散らかした制服を彼は抱え、洗濯カゴに放り込んだ。そして何やらキッチンで買ってきた物を仕分けして、今晩食すものだけ持ってくる。   「少し横に退いてくれ。」    男はノエルの隣に座ると、テーブルに二人分の食事を広げた。殆どハイカロリーの茶色い肉の塊、気持ちばかりの彩り野菜。「お前これ好きだっただろ?」とノエルが良く飲む『砂糖レモンジュース』も買ってきたようだ。   甘い香りが鼻腔をくすぐると脳裏には先程の夢が過ぎる。   「今日はどこに行っていたんだ?」 「…仕事だ」 「バッジ付きも大変だな。」    ウィルソンはジュースにストローを突き立て、少量ずつ吸い上げる。その甘ったるさに一瞬目を見開いて、「…お前は甘党なんだな」と眉を下げながら笑った。    帽子を寝癖が着いたまま被ったのか、ぴょこんと跳ねた白金の髪をノエルはそっと指で整えた。指の間の柔らかく、ノエルの思い通りに大人しくなる髪はいつまでも触っていたくなる。     その行動を咎めることも無くされるがままでは、誰がその奇行を止めるというのか。   「…どうした?寂しかったのか?」と子供をあやす様に優しい声色の男は吸い込まれそうな瞳で覗き込む。それはノエルの衝動を受け入れ、甘やかすのだ。   (……俺はとち狂ったんだろうか)    また催眠にかけられたように男以外がボヤけていく。その頬まで下った手のひらにウィルソンは自分の手を重ねてじゃれるように頬擦りするのだ。時々触れる赤い唇は誘うように暖かい。    このままこの空気が続けばあの夢をなぞるようにおかしくなってしまうのではないか、言い寄れぬ恐怖が一歩踏み止まらせている。    ノエルはその手を不器用に引っ込めると、よからぬ事をしないよう両手をぎゅっと組む。目を閉じてゆっくり深呼吸した。   (違う、…違う。)    そう言い聞かせ、冷静さを取り戻す努力をする。   「……お前は俺に触れられる事に嫌悪感は湧かないのか」 「この間言っただろう、私はお前に触れると安心する。でも少し驚いた、お前からだなんてね。少しは仲良くなれたようで嬉しい」     (……ああ、駄目だ)    これ以上ウィルソンと話していると自覚せざるを得ない。ノエルは席を立って、食事を取らぬまま自室へ籠ることにした。これが気の迷いでもそうでなくとも、色々と精査しなければならない。    無言で立ち去ったノエルに、残されたウィルソンは並べられた食事を残念そうに見つめて「また距離感を間違えた」と一人チキンにかぶりつくのであった。       

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