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第34話
ノエルは幾つか男の事を知った。彼は足が早い。そして冷静沈着に見えるが猪突猛進だ。
密集した違法建築、それらは見分けがつかない。建物の間に抜け道があるのでウィルソンがどこへ行ったか最早分からないのだ。
「くそ、…まずいな」
割れた窓から頭を覗かせる住人達は皆幽霊のように落窪んだ目でノエルをジロジロ見ている。(気味が悪い…)と背筋にゾクゾクと嫌な視線を感じながら一度立ち止まった。
右か?左か?それともこのまま真っ直ぐ行けばいいのか?無事帰ったらあの男に発振器をどうにかしてつけなければと考える。
ガラン、と何かが転がる物音が南東の方角から聞こえる。すぐ近くだ。
ノエルは不安を飲み込んでドブ臭い建物の間をすり抜ける。
ヌトヌトとした地面、蟹歩きしなければ通れない細い路地。出口から漏れ出す光に向かってノエルはただゆっくり先を進むのだ。
光の先、ようやくその背中を見つけた時どれ程安心したか。
「このクソガキ、他の連中はどこ行った!何の目的で他人の家に上がり込んでんだ!」
やせ細った少年の髪を掴みガクガクと揺らす男はお構い無しだ。荒い口調はこの街に馴染んでいるが、普段の落ち着いたものとのギャップが凄まじい。ノエルはその様子に声をかける事を躊躇った。
「お前なんかに言うもんか!悪魔!化け物!」
「うるせぇ!ピーピー喚くな!聞いた事だけ答えてりゃいいんだよ!」
顔中涙と鼻水でベチャベチャになった少年は、右足からドロドロと血が溢れている。恐らくヤマダが発砲した時に掠めたのだろう。
「おい」と声をかけると、そのギラついた瞳がノエルを捉える。いつもの澄んだ瞳も人は惹き付けられるだろう、しかしそのケモノのような眼差しもノエルは堪らなく好きだ。
「勝手に突っ走るな」
「……ああ、ノエル。すまない。ここで逃がす訳にもいかないだろう。いやあ、どうしても彼が教えてくれなくてね」
ごほん、と咳払いをして白々しくいつもの落ち着きを取り戻した男は、掴んでいた髪の毛をゆっくり手放す。
ノエルはまだまだウィリアム・ウィルソンについて何も分かっちゃいないようだ。
「見ろ。カルトの証拠だ」
ウィルソンは少年の右腕に巻かれた黄色のスカーフを指さした。それは王国打倒委員会の幹部が身につけている勲章のようなものだ。役職のない会員は身につけることを許されていない。
(…こんな子供が幹部?)
にわかに信じ難い。王打会に憧れた子供の悪ふざけだろうか?
「どうしてヤマダさんを攻撃した?酷いじゃないか、私の部屋をあんなにして。」
少年は悪魔には屈しない!と胸の十字架を血だらけの手で握りしめウィルソンを睨みつけ、「…絶対言わない!」と強情を張った。それに苛立ったのかウィルソンは銃口をグリグリと足の傷に押し当てる。
「ぐっ…ゔぐッ…」
「痛いだろう?さっさと言えクソガキ」
「だ、誰が言うか!ぅッ、…殴りたいなら殴れ!」
「ああそうかい」
痛みを堪える少年に男は容赦などしない。その小さな頬を握った拳で殴りつける。…流石にこれでは話が進まないのでノエルが割って入った。
「…止めておけ。まだ子供だ。」
「ノエル、子供だからなんだ?こいつらは私の家財道具をめちゃくちゃにした。ちゃんと"親"に請求しなければ気が済まない。」
「俺が話す。…お前は少し落ち着け」
ウィルソンは「…わかった」と肩を竦めてお手並み拝見、と言わんばかりに壁に凭れて大人しく見物することにしたらしい。
「王打会は一体何を企んでる」
ノエルが静かに問いかけると、少年は唇をギュッと閉じて、何がなんでも言う気は無いようだ。
目線を少年に合わせ、ゆっくりとした口調で「言えない理由があるのか」と問う。
「別に…そんなもん無い。」
「…………俺は女子供に手を上げたくない」
少年はチラチラとウィルソンの様子を気にしている。そして声を潜めるようにこう言うのだ。
「あんた悪魔に憑かれてる目をしてる」と。
「…どういう意味だ」
少年は血だらけの手で涙を拭って、穢れのない無垢な瞳をこちらに向ける。
「聖委員長が言ってた。悪魔に憑かれた人間は、見ただけで分かるって。…僕に分かったんだからあんたは相当だ」
「……」
「悪魔を誰の代わりにしてるの?」
ウィルソンを誰かの代わりだと思ったことは一度たりともない。
『あなたまで私を捨てるのね』
かすれた声で、痩せ細った彼女がふと脳裏に過ぎった。息が苦しく、胸が詰まる。血管が急速に細くなって、体に血液が巡っていないと思うほど冷え切る。
寒い、心も体も。
(…何故俺はあの人の事を…)
「おい!ノエル!」
ウィルソンの怒声でハッと意識が戻る。ノエルの目に映ったのは、ギラリと光った銃口だ。その指はトリガーにかけられ、火花が散るさまをノエルはスローモーションで見ている。弾丸が空間を切り裂き、こちらへ真っ直ぐ向かってきているのだ。
「ノエル!!」
(避けたら後ろの男に当たる)、一瞬そう考えてしまった。だから咄嗟の回避行動を取れなかったのだろう。
貫かれた腹から吹き出る血飛沫、制御の効かなくなった体が後ろへ倒れ硬い地面へまっしぐらだ。ぼんやりとした意識は、流れ出る血のせいだろう。
「このクソガキ!」
男が少年に銃弾を浴びせる音がキン、と響く耳鳴りで掻き消えた。
人工の星がキラリと輝いた。一丁前に流れ星なんて物まで作っていやがる。それともこれはノエルが見る幻覚なのか。
「クソ!…出血が多い……」
その声は今にも泣き出しそうなほど情けない。ノエルの服を捲って傷口を確認したようだ。頬を包む彼の両手は温かく、死に恐怖しているのか小刻みに振動している。
(何故お前の方が怖がっているんだ…)
「ノエル、おい!」
視界の端からどんどん黒に覆われていく。このまま死ぬのだろうか?と血の巡らなくなった頭で考えてまだ死にたくは無いと結論が出る。
「ノエル、死ぬな!…――」
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