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第52話

「やめろッ!!!嫌だ!止めてくれ!」    その悲鳴は入口の二人にハッキリ聞こえた。まるで屠殺される動物のような金切り声が、後ろに着いて回る男の心臓を握りつぶす。      縫製工場というのは名ばかりのようだ。王国打倒委員会の連中の溜まり場と言ったところだろう。ノエルは地下室に行くつもりだったが、その悲鳴の方へ向かうことにする。    ピストルを構え、セーフティを外した。敵が現れたら躊躇わず撃たなければならない。   「はぁ、はぁ…はぁ…」    階段を登る途中、異様な呼吸を繰り返すヒラキはやはり邪魔だ。そんなに怖いなら大人しく帰ればいいものを。   「…ここだ」    上りきった先、今はもう悲鳴は聞こえない。代わりに何か物色しているようなガサゴソという物音。  ヒラキの深呼吸を待つ暇などない、ノエルは扉を開けた。      食べかけのピザ、使用済みの注射器が転がる床を眺める虚ろな青い瞳。足元には先程悲鳴を上げていたであろうその死体が、今まさに風船のように膨らんでブヨブヨになっている途中だった。    ぷっくり膨らんだ薄膜を左手の果物ナイフでぷすりと刺す。すると中の汁が噴射するのだ。それを行うウィリアム・ウィルソンは、美しい顔を歪める事なく淡々としている。    至る所に転がる肉塊はパッと見ただけで五体くらいだろうか。  その現象を目の当たりにしたのは初めてである。資料では目にしたことがあったが、実物は本当に浜に打ち上げられたクラゲのようにブヨブヨだ。細かい水膨れがパンパンに腫れ上がり弾けている個体もあれば、風船のように膨張したままの個体もある。それが人間であると言われても直ぐには気がつけないだろう。   「…ウィルソ―」 「ウィリアム!!」    ウィルソンは名前を呼ばれ、虚ろだった瞳はその男を写して輝く。左手のナイフを捨てて、躊躇いもなくヒラキに抱きついた。   「ヒラキ…!」 「…これは…お前は捕まってたんじゃ…」 「ああ、…開けてもらった。そんな事よりこんな物騒なもの持ち歩いて大丈夫なのか?」    その血で汚れた手がヒラキの握るピストルを奪う。ウィルソンは何がなんでも彼に触れたいらしい、頬擦りをして、安心しきった表情を浮かべた。ギュッと愛の籠った抱擁はノエルではなくヒラキに与えられる。    まるでそこのノエルが見えていない、幼少期"家族"と囲んだ食卓のように居ないものとして扱われている気がした。   (何故同じように心配して、同じように探し当てたのに…)    ヒラキはその鋭い視線に気がついたのだろう、やんわりウィルソンを引き剥がす。 「あとこれ、引き出しに入っていた」    彼はジャラジャラとその手から細々したものをヒラキに渡す。それを見て「…あ!」と声を上げた。   「これ、…カヲリちゃんがつけてた指輪…!それにアユムちゃんのピアスも…」  デリカロッドの行方不明の娼婦はどうやらここの連中によって殺害されたのだろう。ヒラキは落胆したように汚い地面にへたれこむ。   「やっぱり皆殺されたんだ…ぅう、頭が痛い…」 「…早くここから出た方がいい。ヒラキ、立てるか?」    ガタガタと震える体を優しく包み込むウィルソンの腕。その時ようやくその瞳がノエルに向けられるが、気まずかったのだろう、すぐに逸らされる。   「ああ、ごめん、一人で歩けるから…」とヒラキは立ち上がり、のそのそとノエルの横を通り過ぎた。その後ろを追いかけるようにウィルソンもこちらへ向かってくる。   「…ノエル、行こう」 「………」   思い出したかのようにかけられる言葉にノエルは心の底から湧き出る真黒な感情に支配される。   (俺はその石ころのついでか?)とはあまりに女々しくて言えそうもない。        その車内からようやく邪魔者が排除されようとしている。   「ヒラキ、本当に大丈夫なのか?…体調が優れないなら、一緒に帰ろう」    ウィルソンはヒラキとまだ一緒にいたいようだ。引き止めるようにその袖を引っ張って足止めする。    だが奥の座席でギラリと光った藍色の眼光を前にして『一緒に』なんて選択肢はない。   「いや、俺は大丈夫。…迷惑かける訳にはいかないし」 「…そうか、何かあったらすぐ連絡して欲しい」 「…大丈夫だって」  バタンと閉じられた扉、無人タクシーはゆっくり加速し始める。彼はその背中が見えなくなるまでずっと窓に瞳を向けたままだ。    ようやく視界からその男が消え失せるとウィルソンはノエルに声をかけた。   「…家に帰るのか?」 「…………」 「…ノエル?」 「…」    その横顔は分かりやすく怒っている。眉間にシワがより、口もへの字だ。今は口を利きたくないとそっぽを向く。   「…勝手な行動をして悪かったよ。お前に"も"迷惑かけた」 「…はぁ」    大きなため息が一体何に対してなのかウィルソンは分からない。居心地の悪さを解消するため更なる言い訳を口にした。   「わざと捕まった訳じゃない。たまには外に出て気分転換しようと思っただけなんだ。そうしたら―」 「少し黙っていてくれないか。」    ウィルソンの言葉を遮ってノエルはそれきり黙りを決め込んだ。  それは自宅に帰ってからも暫く続く事になるだろう。今のノエルは子供のように自分が一番じゃなければ気が済まないのだ。        

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