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第56話
ノエルはその唇に口付けをした後、どう言い訳するか思考を巡らせる。不安だったから?それとも何となく?…純粋さに付け入るのだ、理由は何だっていいだろう。
「ウィルソン」とその名前を呼ぶ。白い頬に両手を添えても彼は抵抗しなかった。つまりは好きにしていいという事だとノエルは解釈する。
「…ッ」
赤い唇はしっとりと吸い付く。体の強張りもこの間よりも解けている気がした。
全神経がその快楽に溶け、全血液がその嫉妬に煮える。
すんなりと侵入できた口内は熱く、柔らかい舌はノエルにされるがままだ。ズルズルと体勢が崩れ、ノエルは男に伸し掛る。
自分の滾った欲望を男に悟られぬよう、密着するのは上半身だけにしておかなければ。
ヌルりと絡まった舌を一旦口内から引き抜くと、互いの荒い呼吸が室内に響く。
「…大丈夫か?」
ノエルは白い肌を真っ赤に染める男に問いかけた。 熱に浮かされた表情を隠すようにウィルソンは顔を背ける。ノエルを受け入れる気になったのか、それともただ無意識にそうしているだけなのか。
やっと青い瞳がノエルを写すと、背筋からゾクゾクと鳥肌が上ってくる。興奮して走った電流とはまた違う別のものだ。…悪寒に近い。
「ノエル、お前こそこれだけで満足出来るのか」
「どういう意味だ」
「…もっと深く触れ合いたいとは思わないのか?」
指先がノエルの頬を撫で、唇を触る。心を弄ぶ事に彼はなんの躊躇いもないらしい。戸惑いを見せたノエルを誘導するかのように「どうなんだ?」と答えを迫る。
「…俺は…」
低く甘さのある声と言葉は確かに誘っているが、目の奥の鋭く光る刃がノエルには見えた。
(…試されている?)
体は満足出来ないと言っている。しかしそれらに身を任せていいものか悩ましい。発散している時は満足するだろう、だが終わったあとの事を考えると欲望のまま行動できない。
(間違えたならこの男は二度と現れない、…そんな気がする)
ノエルは何がなんでも手放したくはなかった。ウィルソンに感じているのは性欲や支配欲だけではなく、確かな安心もあったのだから。
ほんの少し勝った情が、最善を決断させたに違いない。
「………俺は十分にこれで安心出来る」
声を絞り出したノエルに、ウィルソンは息をつく。
「良かった。…安心したよ」
その言葉は明確な一線を二人の間に引く。ノエルはそれ以上続ける気にはなれず、そっと体を離した。
「…もういいのか?」とウィルソンは|吐《ぬ》かす。
(正気か?)とその男に対して非難したい気持ちをぐっと堪え、ノエルは「もう大丈夫だ」と言うしかない。
「お前はちゃんと信頼出来る人間だ」
とノエルに呪縛をかけて今までで一番綺麗な笑顔を浮かべた。
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