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第60話

 その長い階段の先を行く男は、何故こんな所で昼食にしようと思ったのだろう。  ノエルは両手にショッピングバッグを下げながら残り三段を上りきった。ウィルソンが『景色のいい所で昼ご飯を食べよう』と提案したのでその話に乗ったのだ。     地面を泳ぐネオンの光と見晴らしの良い開けた空間。  そこはノエルとウィルソンが初めて顔を合わせた場所でもある。あの時は複数の死体が転がっていたが今日は平和そのものだ。    遠くで光る性の女神や、乱立するビル、遠くから見る分には綺麗だ。だが人っ子一人いないのは殺人現場といういわく付きだからだろう。一応誰かに監視されていないか確認する。   「…ここはやはり景色だけはいいな」といわくを作った張本人は何も気にしていないようだ。ガサゴソと紙袋から昼食に買ったサンドイッチを取り出してノエルに手渡す。   「景色がいいのは同意だが、何故態々…」    そこそこ値段の良いレストランなら幾らでも見れる景色だ。ここにはベンチすら置いていない。   「景色がいいならいいだろう」と言うが男は柵に凭れ、その景色に背を向けている。   「それにこの街は何処へ行っても人、人、人…。家に帰っても良かったが、たまには違うところで語り合うのも悪くは無いだろう」 「まあ、確かに。」    ここで初めてウィルソンを見た時の衝撃が随分昔の事のように感じた。未知の存在に出会った子供のように恐怖と好奇心を擽られ、無機質なロボットから生まれ変わったのだ。   (俺は少しは人間らしくなれた気がする)    サンドイッチを頬張って余計にそう思った。以前は食事は最小限、栄養カプセルを摂取してあとは仕事をしているだけだった。   「美味い。店が油まみれだったから心配していたが…」 「口に合ったようで良かったよ。私もお気に入りなんだ。あそこの店は」    自分の好きなものを認められ、ウィルソンは声の調子を弾ませ上機嫌である。今なら気になることを聞いても答えてくれそうな気がした。    「…そういえばお前は何故ここで…自殺を繰り返していた?」  「…あー……」 「言いたくなければ言わなくていい。」 「いや、ただ…どう説明したらいいか…」  分かりやすく眉を下げ俯いた男にノエルは愛おしさを感じる。   (どうして俺のものにならないんだろう)とふとした時に思うのはもはや日常だ。    言葉が纏まるまで急かすことなく気長に待つことにした。二人だけの空間が永遠に続けば、汚い嫉妬心も生まれずに済む、永遠は不可能でも出来るだけ長く時間を稼ぐ事は可能だ。        「…私は不死身じゃないんだ」   男の言った言葉に反応するように、エレモアシティーの輝きが強くなったような気がする。   「………と、言うと?」 「正確に言うと死なない訳ではなくて、"生き返る"の方が正しいのかな。ゾンビみたいなもんさ」 「…分かった、では不死身ではなく生き返るのだとして、何故何度も自殺したんだ?…死にたかったのか?」    一体いつから男は生きているのか、ノエルには想像もつかない。周りの人間はどんどん死んでいくのだから、時として死にたいと思ってもおかしくは無い。   「そう思う事は時々ある事にはあるが、それよりも生への執着の方が強くてね。…簡単に言うと確かに傷は治る。だが痛みは残るんだ。些細な傷でもな」 「…あの鎮痛剤はそういうことか。薬さえ飲めばどうにかなるのか?」 「限度があるがね。薬漬けにしても痛い時は痛い。服用し続けると副作用も出てくる。…それを全部なかったことにするには脳みそを破壊するのが一番手っ取り早いんだ」    冗談めかしく彼は自らの頭に指で銃の形を作って押し当てた。なんでもない事の様に語られる話にノエルはずっと惹き付けられている。   「俺がお前の腹を撃ち抜いた時、…ずっと痛みが続いていたという事か」 「…あの時は私もお前を殺しにかかっていたから」  ウィルソンにとって痛みが生じ続けるという情報はマイナスにしかならない。その弱点を打ち明けたという事は彼の心に触れることを許されたとも言える。    酷い話だ、ノエルは自分の恋心は叶わないものとして汚物のような性欲と支配欲を満たせれば良いと思っていたのに。   (このままでは、感情が勝ってしまいそうで恐ろしい)     ノエルの無言を疑念と受け取ったのかウィルソンはとん、と男の肩を軽く押した。   「…こんな突拍子も無い話、信じられないよな」    否定される事に慣れているのだろう、俯いた顔は微笑みを浮かべているが引き攣った頬はピクピクと微かに痙攣する。ノエルはそのふわふわの柔らかい髪をわしゃわしゃと撫で回した。   「安心しろ。信じるから」    その手を振り払うことも無く彼はノエルの言葉に嬉しそうに頬を緩めて、ようやく美しい景色に目を向ける気になった。      澄んだ瞳に極彩色が流れるように写り込み、瞬きをする度に色を変えていく。気だるげに柵に体を預けて作られた輝きを堪能するのだ。   「…お前は何故バッジ付きになったんだ?」 「…何故、か。…成り行きだ」 「そう簡単にはいかないと聞いたことがある。それ相応の努力が必要だ。」    今までの中身のない会話ではなく、ウィルソンもまた心の深い部分に触れたがっている。   「…成り行きで肩書きだけ貰っていたものだからやる気もプライドも何一つ揃っていなかった。」  「なるほどな。そうだとしても卒なく熟せるのは羨ましい限りだ。」 「お前は……働いたことがあるのか」    ウィルソンは「失礼なやつだな」とケラケラと笑って…気取らぬ無邪気さは悪魔ではなくどちらかと言うと天使のようだ。   (…俺は相当この男に骨抜きにされているようだ)     「勿論生きていく上で働かなければ生活できないだろう。…と言っても最近は………――なんだ?あれは」    ポカンと口を開けてウィルソンはそう言って固まった。ノエルは彼の視線の先を追うように景色の向こう側を注視した。      

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