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第63話

   人々がその街から逃げようと各駅に群がっている。しかしスキープカーの数にも限度があるため立ち往生だ。   『倒壊の恐れがある為地下シェルターへの避難を開始してください』とアナウンスされるが観光に来ていた大勢は我先に街からの脱出を試みる。出られないのならせめて穴の空いていない東区側へと向かう者もいればむしろ穴が空いた上部や西区の方が安全だと向かう者もいる。どちらが正しいとも言えない状況だ。   「道を開けてくれ!」    担架に乗せられた怪我人を救助隊員が運び出し、態々危険地域に足を運んだノエル達を気にする人間はいない。  ゲートを潜ると上部は予想通り酷い有様だ。綺麗に整備されていた通路には割れたガラスや看板が落下して、もくもくと建物から煙が上がっている。    破片が突き刺さって絶命している遺体を上空に飛び回る無人航空機は衝撃映像をウキウキしながら撮影しているマスコミ連中に違いない。エレモアシティー(ここ)の住人達は皆政府に期待などしていないので、それが被害状況を確認して救助要請をする為に派遣された無人航空機でも大した違いは無いのである。    デリカロッドのシンボル、頭が無くなった性の女神像を太陽が揺らぐことなく照らして男の行く道を示した。ノエルは左手の痛みに気を取られながら早足の男に遅れぬようついて行くだけだ。  黒光したビルはガラスが割れ蜘蛛の巣のようなヒビが広がっている。ウィルソンはデリカロッドのビルの裏手にまわり、娼婦達が暮らす全面鏡張りの寄宿舎に真っ先に向かった。そこは背の高いビルを盾にしていたからか、傷一つついていない。出入り口に溜まった娼婦はウィルソンを見るや否や「あっ!」と声を上げる。男は彼女らに青い顔のまま詰め寄った。   「…ヒラキはどこにいる!?」 「ヒラキ…?ああ、あの地味な?確か三階の部屋だったような…それよりレミちゃんの部屋に行って!叫び声が聞こえたの」 「叫び声…?」  隣の男の呼吸が浅く早くなる。吸いきれずヒューヒューと気管支が笛のように鳴って苦しそうだ。傷が痛むのだろうか、異常な量の汗がダラダラと流れて、ノエルは自分の左手の痛みを忘れるほど男が心配になっている。 「ノエル…、私の前を歩いてくれないか?」 「分かった。ヒラキさんの部屋に行くか?それとも―」 「………レミの部屋だ。」  二人は階段を使って五階へ上っていく。上っている間にもどこかに破片が落下したのだろう、バリバリと大きな音が外から響いていた。ここも安全とは言い切れない。    そこを上りきると長い廊下に体を腕で抱き締めるレミ・ゴールが蹲っている。彼女はノエルを見つけると「あんたは…いいとこに来た!」とヨロヨロと立ち上がった。 「何があった?怪我はないか?」 「あたしは大丈夫。…それよりリクが…」 「リク?サコダがいるのか?」 「そう、…三人で話してたのよ」 「三人?」 遅れてやってきたウィルソンを見つけたレミはその血みどろにギョッとして大丈夫なのかと尋ねた。しかし男はノエルの背中に身を隠し不審な行動を取る。   「…どうしたの?なんで隠れてんのよ」  「………」 「…あっそ、無視ってわけね」   レミが顔を顰めていてもお構い無しだ。ウィルソンはノエルの後ろからひょいと顔を覗かせて首を左右に振りながら周囲を見回した。何かから隠れているような仕草だ。   「それより叫び声が聞こえたらしいが、…」 「…それなんだけど」  「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」」 まるでその部屋で拷問でも行われているのか、というような絶叫はこのフロア全体に響き渡る。その声と一緒にガンッガンッ!と何かをがむしゃらに振り回している音が聞こえてきた。   「落ち着いて!何もしないっすから!」と聞き覚えのある声が必死に宥めている。   「―嫌だッ!止めろ!終わった、終わったはずだッ!やめてくれ!」    その掠れた叫びが再び廊下を突き抜けていった。    ただ事では無い、ノエルはそう感じているが部屋の中に入る事を躊躇った。ただでさえ負傷しているのに錯乱状態の人間を相手にするのは無謀だ。   「…レミ、中にいるのはヒラキか?」 「そうだけど…」    ウィルソンは彼女とようやく会話する気になったようだ。レミはちょっと不貞腐れて、ポリポリと長い爪で頬を掻いた。 「ヒラキは、その、正気なのか?」    爆発で耳が駄目に鳴ったのかとレミとノエルは疑った。その質問をした本人は真剣そのものだが。   「…はぁ?今まさに叫んでるのが聞こえないの?外から大きな音がして、そうしたらいきなり発狂したのよ。…暴れ回って手が付けられない」    話している間もその絶叫は続いている。…心が抉られるような痛々しい叫び。   「ははは…聞けば正気じゃ無いことくらい分かるよな。…うっかりしていたよ」    ウィルソンはやけに明るくそう言うと先程までの様子とは一変してノエルの前に立ち、その部屋の扉を躊躇うことなく開け放った。    ―彼にとってそれは地獄のような過去の繰り返しである。   「嫌だ!やめてくれ!」   振り回しているのは使い捨てのフォークだ。その目はどこを見ているのか、焦点が定まらず一目で現実から遠ざかっていると分かるだろう。    部屋の隅にはクタクタの雑誌を盾に縮こまるリク・サコダがその狂人をどう制圧すべきか考える。「あ、あんた!早くどうにかして!」とサコダは人の気配を感じてそう叫んだ。レミにいい顔をした手前、退室することは出来なかった。親戚一同に詰め寄られるのは面倒なので怪我をする訳にはいかない。   「ヒラキ!」    ウィルソンは彼の名前を呼ぶが、半狂乱の男は壁のポスターの男にフォークを何度も突き立てた。破れていく男の顔に「俺はこんな事したくなかった!」と言い訳をしながら。    バリバリとスターシールドが崩れる度、彼はゴミだらけの地面に伏せ頭を庇った。きっとヒラキに見えているのは青い空から際限なく降り注ぐクラスター爆弾なのだ。    まだ続いている、彼の中ではそのトラウマが。   (可哀想に…)    ウィルソンは自分の事のように胸が痛み、暴れる男の背中を優しく抱きしめた。その拳が体を掠めても、フォークが腕に突き刺さっても構わない。ぎゅっと抱え込んで「大丈夫だから。」と言い聞かせる。 「………あ」  現実に引き戻されたのかその瞳はハッとウィルソンを写した。ツッと額から汗が流れ、強張った体が脱力していくのが分かる。   「な?大丈夫だろう?」と甘く優しい声色でウィルソンは子供をあやす様にその額に口付けをした。  余程ヒラキを大切に思っているのだろう事は見ているだけで伝わる。   「ウィリアム…、ごめん、俺は……」 「分かってる。お前は悪くない」    それを目の当たりにしなければならないノエルは拳をギュッと握って、左手に走った鋭い痛みに顔を顰めた。  そこで初めて(…俺は果たしてこの男の一番になれるのか?)と自信が揺らいだのだ。    石ころだと見下していたのに、それにすら及ばない自分。    ノエルはその事実を受け止めて、自分に何が足りないのか分析する必要があるとやけに冷静だった。    そこでふと思うのだ。ウィルソンと二人きりの時、確かに心が通じあった感覚があった。時間をかければ自分は唯一無二の存在になり得るのだと。    では、何故現状そうならないのか。勿論まだまだ時間が必要だろうが、原因はヒラキ・ライトというウィルソンにとっての一番が居座っているからだ。   これから取るべき行動はヒラキに対して嫉妬心を剥き出して見下す事ではなく、快く彼が特等席から下りるよう促すことである。それにはヒラキ・ライトとも信頼関係を結ぶ必要があるだろう。   「ここに留まるべきでは無い」    ノエルは蹲ったヒラキに手を差し伸べる。その行動に彼は戸惑いを見せながら断りきれず手を取った。   「行こう。」    よろけた男を立たせてノエルは支えながらゴミを踏みしめる。ウィルソンもヒラキの肩を支えどうにかレミの部屋から出られそうだ。   「ちょっと!置いていかないで!」    いくら愛しのレミちゃんの部屋でもそろそろ繊細な鼻がムズムズしてきた。「ヴェっクション!」とくしゃみを一つその部屋に置いてサコダは退室したのである。    

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