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第68話
その日ザワついていたのは、皆が抱える不安の中に爆弾が一つ捨てられていたからだ。
「ママー、あれなに?」
「何でもないよ、見ちゃダメだからね」
小さな子供に見せないように母親は目を塞いだ。
早朝、「ぎゃぁぁぁ!」という男の悲鳴で、誰もが目を覚ました。
トイレという場所だけあって人集りは直ぐに出来て、その分その遺体を目撃した人間も多い。
『男性の死体がトイレにあったらしい』という話は上部駅に避難している人間の間で瞬く間に広まった。
後頭部を鈍器で殴られた男は個室に放り込まれて放置されていた。そして小便器から個室まで引きずられた後もあり、誰がどう見ても他殺である。
「なんであそこで名乗り出ちゃうかなあ…」とサコダは不満そうにボヤいた。
薄暗い警備室に浮かんだ沢山のモニターには、昨晩の上部駅に設置された各監視プログラムの映像が流れている。
「しょうがないだろう、人手が足りないのだから」
事件が発覚した時、それを処理するための人間の数が圧倒的に少なかった。データベースの接続不良のせいで応援を呼ぶ事も今はできない。ノエルは自分の身分を明かし、協力を申し出たのだ。
「分かるっすけど…俺たちが国家秩序維持課って分かった瞬間の周りの反応が何とも……」
野次馬連中は『バッジ付きかよ…』と白い目でノエルを見ていた。居合わせた他の警官らは急に姿勢を正して『お勤めご苦労様です』と腰を低くする。
「お前まで名乗る必要は無かったと思うが」
「しゃーないっすよ、…あそこで名乗らなかったら男じゃないっすよ」
現場は地元の警察官に任せ、ノエルとサコダは犯人を探すべく監視プログラムの録画を確認している。被害者には知り合いも家族もいないようでどこの誰かも分からない。身元を特定するには被害者のデータベースに監視プログラムからアクセスして個人番号を入手し照合する必要がある。
「手足の硬直や角膜の混濁、大体死後五~八時間だとすると、日付が変わる頃から見ていかないといけないっすね。早送りしても時間かかるっすよ。」
「そうだな。」
淡々と流れる映像に、二人は目を凝らした。深夜と言ってもそこそこトイレには人が出入りしている。果たして人を殺すタイミングがあったのかどうか。
サコダが飽き始めた頃、一人の男がハンマーを片手にトイレに入っていく。時刻は午前一時二十六分頃だ。
「あ!これ被害者じゃないすか?」
映像を巻き戻して姿形が一番よく見える角度にカメラを回転させた。男は三十代半ば、栗色の髪に紺色のトレーナー、護身用なのか右手にはネイルハンマーが握られている。見たところ同一人物だ。
監視プログラムを照合モードに切り替えて、映像の男の頭に埋め込まれた『アトチップ』にアクセスする。そして管理者パスワードを入力すれば彼がどこの誰なのか、身分証明書が閲覧できるようになるのだ。
勿論ノエル達が閲覧できるものには限りがあるが、権限があればその人物がどこで生まれどのような遍歴を辿ったのか一から十まで確認できる。
「アントニオ・ルゴラ、三十七歳帝国エレモアシティー在住…か。個人番号は『791639410-452-66』、…死亡時刻は午前一時二十九分だ」
「なんで死んだ時刻が分かるんすか?脳みその機能が停止してもそれまでの備蓄電力が残ってるから最長二日はもつはずすよ」
「データベースの記録が途切れている。後頭部を殴られた時、アトチップを破損したんだろう。」
「な〜るほど、ならその時間までスキップしたらいいんすね」
彼は素早い手つきで一時二十九分に映像を飛ばした。…一分、五分、もうすぐ十分になる頃だろう。トイレの入口からは人の気配一つしない。
「誰も出てこないすね」とサコダが口にした時、一人のある男がトイレから出てきた。
「…―ッ!!」
モニターの前の二人は同時に固まった。何かの間違い、サコダはもう一度巻き戻し、被害者がトイレに入って行く映像を流す。そこから二分後、少し丸まった背中。特徴のない、人畜無害そうな見た目のヒラキ・ライトがトイレに入っていく姿が捉えられていたのだ。
そして彼が出てきたのは被害者の死亡時刻を過ぎた一時三十七分だ。
「えっと…被害者が大をしててトイレにこもってたかもしれないすよ?データベースの記録が途切れてたのは…ほら、今通信バグ起きてるし!」
「個人の記録に関するデータは通信に影響されない。外付け型ならばその可能性も無くはないが、内蔵型は特にな」
「そ、…そうっすよね。つまり、犯人はヒラキ・ライトってこと?」
ノエルも正直信じられない。ヒラキが人を殺す?…全く想像がつかないのだ。映像が進むと彼を迎えに来たウィルソンの姿も捉えられていた。
「…まだ分からない」
もし仮にヒラキが殺していないとするなら、元々トイレに何者かが潜んでいて被害者を殺害したと言う説が上げられる。しかしそうだったとしてヒラキは被害者がトイレに入ってからそう時間を置かずに入っているのだ。殺された被害者と遭遇したはずだが、出てきた彼は何事も無かったかのように冷静に見える。
(いや、本当に気がついていなかった可能性もある。…まだ決めつけるには早い)、そう思ったノエルの考えをサコダは打ち消した。
「ねえ先輩、こうなると今までの事件にヒラキ・ライトが関わっている可能性が濃くなったと思わないすか?」
「……」
ノエルの脳裏にはある会話が思い起こされていた。
それはノエルがウィルソンに『何故沢山いる中から自分を匿う先に決めたのか、それは帝国警察を操りたいからではないのか』というような質問を投げかけた時だ。
彼は『家族を守りたい』のだと言った。その家族が誰なのか今は見当がつく。
国家秩序維持課の課長であるフェルトマイアー・GF とウィルソンは知り合いで、不死身の男の捜索は中止されたのだとしよう。更に彼が"家族"を守るためやデリカロッドの事件の犯人を用意したのだとしたら。
「とにかく本人に話を聞いてみるしかないな…」
ノエルは監視プログラムをログアウトして警備室を後にした。
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