69 / 93

第69話

 歯が折れそうなほど硬いパンでも空腹時にはとても美味しく、少なく感じるものだ。   「レミ、半分分けてくれ。足りない」    ウィルソンは彼女にそうお願いするが「やだね、あたしもお腹すいてるもん」と断られた。男は知っている、彼女が配給所で一つ余分にパンを貰っていることを。   「半分だぞ。ケチは良くないと思わないか」 「やーだね!貰ってきたら?といっても今はあそこら辺ポリスメンでごった返してると思うよ〜?ヤバい薬持ってるウィルソンは近寄れないか〜!」     レミは嫌味たっぷりにそう言って、見せびらかすようにパンを頬張った。ギュルギュルと腹の虫が騒ぎ出して、男は腹を押さえつける。    殺人があった、そう聞いてウィルソンは一瞬心臓がドキリと傷んだ。現場は男子トイレだったとも小耳に挟み、冷や汗が普段かかないような場所からツッと垂れる。しかし直ぐに(今は大丈夫なはずだ。あいつも普通だった)と思い直したのだ。   「大体、あんたパン持ってるじゃない〜、それ食べたら?」 「これはノエルとその同僚の分だ。私のじゃない」  レミとの会話で気が紛れずまた腹の虫が鳴く。それを見かねたヒラキは「ウィリアム、俺の食べな」と自分のパンを半分千切って開いた口に押し込んだ。   「あひがとう。」   「おいしいか?」 「うん」  もぐもぐと口一杯のパンを含んで笑顔が漏れる。ヒラキの優しさはいつも通り、ウィルソンの心配は杞憂に終わったようだ。 「悪いな気を遣わせた。」 「いいよ、そうじゃないと他のふたりの分まで食べちゃうだろ」 「人聞きの悪い、私は彼らの分には絶対に手を付けないと誓おう」 「お前の誓いは綿毛くらい軽い」  他愛もない会話は彼らの仲の良さが際立っている。レミの知らぬうちにどうやら仲直りしたらしい。きっとヒラキが折れたのだろう。ウィルソンは一見取っ付きにくいオーラを醸し出しているが彼の前では別人だ。   (ほんとに仲良いよね…)    レミは彼らがよくデリカロッドで話している所を目撃していた。ウィルソンは客として来ていたが、実際のところヒラキと話すために通っていたように思う。『仕事の邪魔しに来るんですよ…』と愚痴を零していた彼もなんだかんだ言って容認していた。   その日常を思い返してレミは寂しさを覚えた。ほんの少し暗くなった表情をウィルソンは気がついて「大丈夫、すぐに元通りになるさ」と励ます。   「データベースが繋がったぞ!」とどこからともなく聞こえ、周りがザワつき始める。ようやく電波が復旧したようだ。と同時に上部駅の電光掲示板に映像が映し出された。   『市長!なぜゲートを閉鎖しているんですか!?』   上部駅に響いたその声に皆が注目した。車から降りたところを報道陣に囲まれ、エレモアシティーの市長、ジョージ・バーンは脂汗を浮かべている。 『それについては順次対応しています。』 『スターシールドの点検不備が原因で今回の崩壊が起こったという情報が出ていますが真相はどうなんですか!』 『不確かな発言は控えさせて頂きます。ですが毎年三回、四月、八月、十二月に点検を行っております。』 『では市長はどうしてスターシールドが崩壊したとお思いで?一部ではテロ組織との関連も懸念されていますが』 『…不確かな発言は控えさせて頂きます』 市長は質問をこれ以上受け付けない、とマスコミの合間をすり抜け建物の中に消えていった。その次には何事もなかったように明るいC Mが流れる。データベースが繋がったことで、人々の不安は減るどころか増長するのだ。変わらずゲート前で抗議する者、危険を顧みず自宅に帰る者様々である。 「ウィリアム、俺達も帰ろう。」 ヒラキは立ち上がって、ウィルソンに手を差し伸べた。逆光になって彼の表情は読み取れない。 「帰るってどこに?…どこも危険だぞ。」 「家だよ、…二人の家……」 彼の言う“二人の家”と言うのは随分昔に一緒に住んでいた二階建ての家の事だろう。しかし現在は二人の家なんてものは存在しない。   「また外に出たら大きな音が鳴るかもしれない。…お前の発作が酷くなる。今はここに居よう」 「大丈夫だよ。俺は元気だから」   無理やり腕を引っ張られ、ウィルソンは仕方なく起立した。するりと腕を下って手の甲まで降りてきたヒラキの指先に、何故かゾワゾワと鳥肌が立ち体が拒絶する。   (…あれ?なんだこれ……何故こんなに気持ち悪いんだ?……そうだ、こいつは私にこんな風に触れない)    手の甲の浮き出た血管をなぞる蜘蛛のような指。じっとりとこちらを捕らえるケダモノの目。   「帰ろう」    同じ体、同じ声。皮だけそのままで中身を取り替えた全くの別物。それが本物のフリをして笑うのだ。   (何故?一体どこで…まさか薬の分量を間違えた?どうしよう、どうしたら…)    脳みそが膨張しているのかと言うほど内側から圧迫感が襲ってくる。自分の額から汗がだらりと零れる感覚さえ過敏に反応し、体をガチガチに強張らせた。そんなウィルソンを見てヒラキのようなものは嬉しそうに笑っている。   「…手、離せ」 「…どうしたんだよ」 「いいから私に触るなッ!!離せッ!今すぐに!」    その悲鳴に誰もが目を丸くして注目する。レミも突然の事に戸惑いを隠せないのか口をぽかんと開けたままだ。    ウィルソンは力の限りでその手を振り払い、痺れた足で後ろに下がった。どん、と背中にぶつかった誰かは「大丈夫か?」と抑揚のない声で問いかける。   「…あ…ノエル……」    振り返ればそこには無表情のノエルとその同僚がいた。「…何がそうさせたのかは知らないが落ち着け」、そう言って彼らはウィルソンの前に立つ。   「ヒラキ・ライト、我々と同行願おう」

ともだちにシェアしよう!