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第75話
『オカエリ!随分遅イ帰宅ダッタナ』
「…まあな」
久しぶりのやかましい声に、ノエルはなんだかホッとした。相変わらず掃除をせず、むしろゴミの轍 を残している。そしてその轍を気にせず踏んだ足跡を追いかける。
「ノエル、冷蔵庫の野菜が腐っている」
冷蔵庫に頭を突っ込んでゴソゴソと漁っているウィルソンは、萎れた野菜の葉っぱを笑顔でつまみ上げた。
「…ああ、それは随分前からだ。腹が空いたのか?」
「いや、そういう訳では無い。異常がないか調べていただけだ。お前も各部屋を見て回った方がいい。」
ウィルソンは次にリビング、浴室、寝室の順に見て回った。ノエルは黙ってその後ろを見ているだけだ。ベッドのシーツを捲り上げた彼は「今のところは大丈夫だな…ん?あのコンセントの所が怪しい」と呟いて、ベッドの下へ体をねじ込む。
「何を確認している?」
「…盗撮盗聴を警戒している。」
「ここのマンションは一応セキュリティは…」
そう言いかけて止めた。何せ以前セキュリティを破り侵入された前科がある。
「一体誰が家を盗撮盗聴するんだ?…特に何も無いぞ」
「念の為だ。」
ウィルソンは髪に埃を付けながらベッドの下から這い出る。その左手に握られているのは小さな黒い部品だ。
「それは?」
「盗聴器だ。だが最近のものでは無い。心当たりは?」
ウィルソンはその部品に被ったホコリをふっと吹き払う。心当たりを問われると、「分からない」と言うしか選択肢がない。
「寝室に仕掛けるなんて相手は余程お前の"交友関係"を知りたがっていたようだ。それに見ろ」
ウィルソンは盗聴器に絡まった髪の毛を指先で摘んだ。以前交際していた元恋人のもので間違いない。
『愛しています』と告げた時の悲しげな微笑み。決して釣り合わない価値は平気だと思っていてもノエルの心に何か嫌なものを残した。
風に靡く長い髪、その感触がまだこの掌に残って、苦い記憶を蘇らせる。
「前の女のものか?盗聴が趣味なんて変わってるな。こりゃ呪いのビデオに出てきそうなほど長い。呪われてるんじゃないのか?」
「彼女が盗聴なんてするはずがない。別の誰かだろう」
(…あの人は清廉潔白だ。それに盗聴するほど俺に執着なんてしていなかった)
喉の奥から苦汁が滲んで気持ちが悪い。その様子を見てウィルソンは不機嫌そうに顔を顰める。この男にその手の話題を振らないように努めていたが、本人が地雷をノエルの歩く先に置いてくるのだ。
「随分庇うんだな。あれか?薄気味悪い未練というやつか?」
「…」
「まあ私には関係ないか。」
その言葉にノエルはムッと口を結んだ。突き放された気がして、胸の奥がズキズキと痛み出す。ノエルを敢えて傷付けたいのか、それとも自分を守るために鋭い言葉を使っているのか。
『見てくれはいいけれど嫡子じゃないのよね。結婚となると…』
『それに王国の血が混じるのもよろしくない』
『ごめんね』
(何が『ごめんね』だ。ああ、うるさい。…せっかく忘れていたのに)
ウィルソンのせいで嫌な記憶が蘇る。ノエルはそこまで人間が出来ている訳ではないので「…それは俺が隠れて恋人を作っても問題ないということか」と男の見えている地雷を踏んで、このムシャクシャした気持ちをぶつけた。
「…お前がどこの誰と一緒にいようが、私の目につかなければ余所で女を作っても構わないよ」
だが八つ当たりをしたところで期待した答えなどウィルソンから貰えるはずもなく、寧ろ傷を広げるだけだ。
「じゃあそうさせてもらう」
「ただし私はお前を気持ちの悪いケダモノとして接するがね」
恋愛のことになるとこの男はペラペラとひどい言葉を吐ける。人が変わったように、嫌味で攻撃的な人間に成り下がるのだ。
「せいぜいバレないように―」
「俺はお前のそう言うところが嫌いだと気がついた」
「……へ?」
「自室で作業する。入ってくるな。それ以外なら何をしていても構わない」
ノエルは男の隣をすり抜け寝室を後にした。彼と同じように嫌味で攻撃的になる前に。
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