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第88話

『…ぅ、う……』    サロメ・バーンは小さく唸りを上げる。意識がぼんやりと覚醒したはいいがジンジンと鼻が膨張して、常に鼻の穴から粘ついた滲出液が垂れているのだ。 (あたし…えっとここどこ)  目やにが張り付いたまつ毛を力ずくで引き剥がすと、一人の男が瞬き一つせず、いつからそうしているのかサロメを見ている。  色の違う瞳、そこで思い出したのはサロメはこの男に瓦礫の中から救助され、車に乗せられた。車が発進したと同時、急な眠気に襲われここで目を覚ましたのだ。  ズクズクと後頭部の奥が先の潰れた何かに掘り進められているような気持ちの悪い感覚がする。目が回って極彩色の模様がぐるぐると巡って意識が脳みその中で漂っているのだ。    赤が弾けている。  青が滲んで。  緑が分裂する。  黄色がねじれて緑と混ざり、赤が散って青が点滅する。    それが治るのに一時間ほどを要した。体感では一瞬だったが。 「おお、良かった。接続に失敗したかと思った。」  男は何かのケーブルを握ったまま無表情でサロメの事を見下ろしている。  彼女は痛む体をくねらせるが何故かびくともしない。体の感覚はあるのに、脳みそが一切信号を受け取っていないようだ。何度痛みに耐えて起きあがろうとしても徒労に終わった。   (…怖い、怖いよ!何が起こってるの?)  帰りたい、あれ程寄り付かなかった家に今はどうしようもなく。 過保護な父親に、今までのことを話したくなった。独りで寂しかったこと、これから自分はどう生きたら良いのか。きっと彼のことだから日が暮れるまで話を聞いてくれるはず。 サロメは呼吸を忘れ、ただ自分の心臓の脈動を感じ、皮肉にも生を実感している。 『―助けてッ!』 「あれ、…エラー?クソ、めんどくせぇな…」 『パパ!!もう悪いことしないから!』 「ううーん、ここを…こうして…。だめだな。元のスペックが悪過ぎてここまでが限界か」 『助けて!助けてよぉ!!』 『なんでもするから、家にかえして!』 叫んでいる。確かに彼女は全身全霊で叫んでいるのだ。しかしその声はどこにも届いていない。目の前の男でさえ聞こえていないのだ。 「あ、なんだ。コードが断線してただけか。」  男はあんぐりと苦悶の表情を浮かべる彼女の後頭部からそれをブツンと引き抜いて、予備のケーブルを差し込んだ。  歪んだ極彩色が目の前で爆ぜる。音なんてない。あるのは自分が自分で無くなっていくような感覚と、延々と続く痛みだけだった。  

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