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第92話
下着の散らかった床。こもった匂いを換気するため窓を全開にした。
「うーん、寒いんだけど」と名前も覚えていない女が目を擦りながら起き上がる。
「…悪いんだけどもう帰ってくれない?」
「えー?何それ冷たい。やる事やったらさっさと帰れってこと?」
「ロボット直さないといけないから。それにバイトの作業しないといけない」
「ロボット〜?なんかオタクっぽい〜」
女は鈍い動作で身支度を始めた。乱れたシーツには女の付けた香水が染み付いている。
「みんなの人気者のイアンくんが実はどーしようも無いヤリチンクソ野郎だって知ったら学校の子泣いちゃうよ〜」
からかうように女はそう言った。お淑やかそうだったから連れ込んだのにとんだハズレを引いた、と彼はリストから女の存在を消す。
うるさくて下品な奴は嫌いだ。強い香水も、馬鹿そうに間の抜けた話し方も。
「じゃ、また呼んでねー」、その声など耳に入っていない。早速シーツを引き剥がし洗濯機に放り込み消臭スプレーを部屋中に吹きかけた。
彼はコーヒーを入れ、作業部屋へ歩いていく。カチッと明かりをつけると壁一面設計図や古い新聞の切り抜きが貼られた空間が広がっている。
「さて…作業するかな」
テーブルの上には真新しい球体のロボットが以前のデータをロードしている。散乱した工具をきちんと元の場所に戻し、ふと視線は片隅の写真立てに向けられた。
笑顔の母と父、そして妹と自分。線が引かれたように距離を置いている兄。
「兄貴、相変わらずだったな…」
無表情で、家族を嫌う記憶の中のままの男。なんでも出来て、センスが良く憧れの人。
イアンはその男に会えてとても嬉しかったのだ。高校を卒業して以来、彼は一切家に寄り付かなかったし、母や父に聞いても『分からない』、『知らない』と言うばかりだったから。
写真立ての向きを正しい位置に戻して、イアンはある人物に連絡を入れる。その人はワンコールで即座に電話に出た。
「こんばんは。イアンです。今ちょっといいですか?」
『ああ!君か!連絡待ってたよ』
イアンは学業の片手間に"何でも屋"を運営している。キッカケは消息不明の兄の情報を集めていた時、ついでに拾った情報を元に人助けをした事が始まりだ。
『例の動画、見てくれたか?』
「はい。確認しましたよ」
『不死身の男を探して欲しい』と大学の先輩から依頼されたのは今からちょうど二日ほど前である。イアンはその突拍子もない話を全く信じていなかった。それは犯人と思しき男から送られてきた動画を確認しても変わらなかった。
どうせイカれた狂人の妄想話、と。
「ウイルスが仕込まれてるって言ってましたけどそんなこと無かったし、恐らく先輩の外付け機器のスペックが低かったんじゃないですか?」
『そ、そうか。…どうだ?見つかったか?』
「えっと…まだですよ」
(………見つかったかも、とは言いきれないよなあ)
…まさか父に押し付けられるように嫌々行ったチャリティーオークションで不死身を名乗る男が現れ、それが探していた兄だったとは口が裂けても言えない。
『頼む!一刻を争ってるんだ!』
「そうは言っても情報が少なすぎて…。それらしい人間を見つけても不死身本人か分からないし。そもそも不死身ってどういう意味?」
『…それは…そのままの意味だ。』
(はあ?そのままってマジで死なない人間がいるってこと?…いや、でも現に会場で襲われたからな…)
ちょうど会話が途切れた頃、テーブルの上のロボットに以前のデータが移行された。イアンは「じゃあまた。何か分かったらメッセージしておいて下さい」と通話を一方的に切断する。
『データ引キ継ギ完了。『トミー』デ始メマスカ?』
「うん、トミーで。」
ようやく商売道具が復活して、イアンはホッと胸を撫で下ろす。
『トミー』はイアンが改造を施した外付けデータベースだ。半径五十メートル以内の人間が自身のデータベースを操作した時、彼らのサーバーから個人情報を抜き取る悪質かつ効率的なソフトウェアを搭載した優れ物だ。
(…兄貴があんな顔しなきゃ壊さなくて済んだんだけど)
『今日読ミ込ンダデータベースハ百七十五項目。』
イアンはまずノエルの情報が無いか確認する。(…くそ、無い)と落胆し、次に思いついた人物はあの派手で下品な男だ。
「…確か兄貴は『ウィルソン』とか何とか呼んでたな」
ノエルの知り合いらしいあの男の素性が分かれば、彼が今どこで何をしているのか分かるかもしれないのだ。しかし、ウィルソンと付く名前の人間はトミーが読み込んだ中にはいない。
(それにあの女の人…俺が爆発させた事実を良い方向に、って言ってたけど)
事実を捻じ曲げられる権力を有している人間、それとも自分のように小細工が得意な人間か。
(兄貴はあの二人と知り合いだった。つまり三人は目的を同じにして行動しているということになる。)
「…不死身の男…か。」
『イアン、不明カラ着信。応答スルカ?』
「……不明?身元は?」
『不明。逆探知ニハ最低デモ一分必要』
「…分かった。繋げてくれ」
トミーの方に連絡が来るとは珍しい。基本的に依頼は自身の脳みそに埋め込まれた内蔵型で対応している。どこかで情報が漏洩した?…イアンは自分の腕に自信があるのでそんなことは有り得ない。
『こんにちは』
第一声、そいつは訛りの強い言葉でそう挨拶をした。
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