104 / 106

第104話

   ヒラキと(ひらき)は別人だ。少なくとも啓はそう思っている。   「大丈夫?飲みすぎたんじゃない?」   物の少ない部屋。必要最低限のものは置かない、そんな人間が住んでいる部屋だ。    その男は足りない部品を買いに出かけたが無性に酒が飲みたくて西区から少し離れたバーに立ち寄った。そこでこの女とあったのだ。   「……あー、うん。大丈夫。………ここどこだ?」 「…途中で眠っちゃったから…私の家に連れてきたの」    重ねられる女の手。綺麗に手入れされたネイル、その薬指には指輪がはめられている。   (こいつ誰だっけ?…ま、適当に話合わせときゃいいか)   「その……あの時の事…」 「俺、いつもトロくてどうしようもない奴だからどの事か……」 「私、貴方とやり直したい。」    その一言である程度二人の関係は察しがついた。どこにでもいそうな女はどこにでもいそうなヒラキにはピッタリだろう。しかしそれはヒラキなら、という話で啓には相応しくないと言える。   「ヒラキ、あなたと過ごした時間はとても幸せだった。」    女は過去の回想を思い浮かべている。確かに幸せだったのだろうことはその穏やかな表情から分かった。   「…だからあんな事で終わりにしたくないって…失ってから気がついたのよ」    啓はそのどうでもいい話を聞き流す。鼻でもほじっていれば空気を読んでやめてくれるだろうかと適当な事を考えた。   「―いいお医者さんを見つけたの。一緒に相談しに行こう?大丈夫、良くあることみたいだから…」    ぼさっとしているうちに女はなにか突拍子も無い事を話し始めているのだ。   「医者?…」 「それに私に魅力がなかっただけだったのに、勝手にショック受けて…あなたの方が悩んでいたはずなのに。ごめんなさい!」    涙を浮かべて謝る女が何を言っているのか理解できない。   (このウスノロの恋人、…魅力がどうのこうの病院がどうのこうの…良くあることとは何だ。)    目の端に入ったベッド、それでピンときた男は彼女に聞いてみる。   「なあ、まさか俺って勃たなくて振られたのか?」    真剣な顔をして女は頷いた。    堪えなければ、ガリッと唇を噛んだ啓に責められていると感じたのだろう。「…本当にごめんなさい!私が自分勝手だった」と心からの謝罪を繰り返した。    肩がぶるぶると震え出す。筋肉が引っ張られ、腹にギュッと力が入った。我慢すればするほど込み上げてくる。 「だから私と―」  「ヒギャハハハハ!無理!我慢できねぇよォ〜!ひひっ、死ぬ、笑い死ぬ!」   「ひ、ヒラキ…?」 「悲惨すぎるだろ!ヒッ、ヒヒ、思考は別でも、体は一緒だもんなぁ!」    痛い、脇腹が笑いすぎて。    ひーひーと笑い転げる狂人に、女は体を仰け反らせ距離を取った。当たり前である。自信なさげだが優しくて穏やかな男が別人のようなのだから。   「ヒラキ!大丈夫なの?またあの人に何か…」 「あの人?ひひ、駄目だ、ははは!」 「…何があったの?……おかしいよ…」     薬指の指輪は恐らくヒラキが彼女に贈った物だろう。健気に悩み、病院まで探して勇気を出したろうに。   「可哀想だ!ひっ、ヒヒ」 「……どういうこと?…」 「俺のせいだろうなあ!意識のない所でさ!初めてウスノロと共通点を見つけたよ。」    冷たい床にへたれこむ女は、同じ背中が玄関から出て行くのを見ていた。同じだが同じではない。   「ヒヒ!あー、面白い!アハハは!」    まだそいつは狂ったように笑っていた。ずっとずっと。      夜風は人を攫いそうな程強くびゅうと吹く。しかし追い風なのでなんの問題も無い。   「あー、久々に笑った。ウィリアムにあったら悲惨な状況を説明して責任を取ってもらわねぇと…。」    啓は瓦礫を超えて暗闇に消えていく。時々闇の中から思い出したように笑い声が聞こえた。        

ともだちにシェアしよう!