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第5話

05.逃げ出した先と、新しい場所 05.逃げ出した先と、新しい場所  ぱちり、と目が覚めた。視線を動かして点滴の袋を見れば皺が寄って中身が空になっていることがわかる。起き上がって針を押さえているシールごと引き剥がす。早くここから逃げないと、ダメになりそうで怖かった。  針が変に抜けたのか、血が出たが構ってられなかった。部屋を見渡せばテーブルの上に制服が畳んで置かれていた。急いで患者衣を脱ぎ捨て、それに袖を通す。布地が肌に触れるたび、昨夜の熱い記憶がよみがえって胸が締めつけられる。 「ありがとうございました!」  助けてもらったのは事実なので小声で礼を言うと、急いで部屋を出る。点滴針を引っこ抜いた腕がなんだかズキズキ痛むが、それよりも早く聖母園に帰らないといけない。きっと園長先生が凄く怒っている。  オレのために用意されていたアルファがいるだろうが、ヒートは治まっているので今回は必要なしということにして貰えるだろうか。  世の高校生たちのほとんどが持っているというスマートフォンを、オレは持っていない。だから、部屋を出て玄関に向かっても、どうやって帰れば良いのかわからなかった。真っ白い壁が建物を囲み、正面にはセキュリティのついた門が見えた。  顔を上げて空を見れば、太陽が高い位置にある。時間はお昼を過ぎたくらいだろうか。 「乃花くん?」  名前を呼ばれてびくんと体が跳ねる。村田と名乗った医師だろうかと怖々と振り返れば、見慣れた顔があった。 「……先生」  そこにいたのは、聖母園に定期的に診察に来る医師だった。 「あの、どうしてここに?」  ここは研究所だと聞いたけれど、聖母園のかかりつけ医がいるのが不思議に思えた。名前も、なんという病院に勤めているのかも、なにも知らない。初老で白い白衣を着て、苦しいことや痛いことをする人、と自分の中では位置づけられている人物だ。 「それは私が聞きたいことです。ここで何を?」 「えっと、その……オレも良くわからないんですが、倒れたオレを助けてくれた方が、ここに運んでくれて……」  それ以上言えずに口ごもっていると、先生はじっと見つめてくる。 「先生こそ、なんでここに?」 「私は普段ここに勤めていて、検診や往診で聖母園に伺っているんです。ところで確か乃花くんは昨日からヒートが始まるはずでは? 平気そうにしてますが大丈夫なんですか? もしかして倒れたのはヒートが始まったからですか?」 「えっと、……大丈夫です」  いつもなら一週間は続くヒートが今回は治まっているようだった。それでもこれ以上怜に迷惑を掛けたくないし、聖母園に帰らなければと思う。ヒートが始まったとバレなければ、アルファを充てがわれることもない。  そして、時折聖母園に訪れては、オメガたちの様子を見て診察し、採血などをして、薬を置いていく医師がこの研究所に勤めている医師だったのかと納得する。  村田と呼ばれていた医師とはなんだか雰囲気が全然違うから、違和感があるのだろうか。医師だと思うと緊張するが、それでも怖いとは思わなかった。  それに怜の近くは、なんか居心地良くて……あれに慣れちゃったらダメだよなと思う。  あれは一時のものであり、ずっと続くものじゃない。アルファがオメガを番にして、幸せに暮らすなんて夢物語だ。そんな幸運は、親元でぬくぬく幸せに暮らしているオメガにしか訪れない。 「それなら聖母園まで送ってあげよう」 「え? あ、あの、……ありがとう、ございます」  物腰は柔らかいし、話し方も優しいのに、どうしてもこの医師がオレは苦手だ。多分その眼差しが人間を見ているように思えないからだろう。まるで実験動物を眺めるように感情のない視線が苦手だった。 「こちらに車を止めているから」  促されて建物の裏手にある駐車場に案内される。どこにでもある黒のセダンが止まっていて、ドアを開けられた。今になって帰りたくない、と思ってしまう。怜に何も言わず出てきてしまったことを後悔してしまう。 「あ、の……」 「乗ってください。聖母園に帰るんでしょう?」  戸惑っていると乗るよう促される。言い返すことも出来ず、オレは助手席に乗り込んでシートベルトをつけた。車は静かに発進し、研究所が離れていく。  あのアルファの名前だけ両手に包んでこっそり持って帰ろう。多分もう二度と会えない人だから。村田という医師がさいおんじと呼んでいたから、たぶん「さいおんじれい」という名前なのだろう。怜は賢いという意味だと言ったから、「怜」だけど、さいおんじはわからない。 「……怜」 「なにか言いましたか?」 「すみません、なんでもないです」  あのことは誰にも秘密にするのだ。怜と会ったこと、ヒートを一緒に過ごしたこと、優しくしてくれたことは誰にも教えたくない。  ふと、この医師の名前も知らず車に乗ったことを思い出す。 「あの、先生の名前はなんていうんですか?」  聖母園でも「先生」と呼ばれているだけで、患者であるオメガたちは名前を知らない。 「ああ、失礼。私は小田と言います。知っているものとばかり思ってましたが、いつも聖母園では診察ばかりであまり話はしていませんでしたね」 「……そうですね」  それだけで会話が続かず、オレは視線を落として膝の上に置いた手の甲を見つめる。  足元から寒さが這い上がってくるみたいに、体が震えた。 「寒いですか? ヒーターをつけましょうか」  十月後半のこの季節、汗ばむことはなくなったが、寒いなんて季節じゃない。だから、オレは親切な申し出を断る。 「いえ、大丈夫です」 「そう?」  こくこく頷くと小田医師は納得したのか、ヒーターのスイッチから手を離してくれた。彼の動きひとつに緊張してしまうのは、相手が医師だからだろうかと疑問に思う。  結局話なんて弾むはずもなく、聖母園までエンジン音さえ響かない静かな車内だった。 「到着しましたよ」  声を掛けられてハッとする。緊張していたはずなのに、眠ってしまっていたようだ。一気に覚醒して、ここはどこだ!? と焦ってしまい、自分を拘束していたシートベルトを外そうとして焦ってしまった。 「乃花くん、聖母園に到着しただけですから、安心してください」  安心? 安心ってなんだ。ここはオメガの牢獄だ。生活を保証される代わりに、全て管理される。 「乃花くん?」  声を掛けられて思考が止まる。ぱちり、と瞬きして声をかけてきた男を見る。ベータの医師だ。 「あ、小田先生……?」 「ええ、聖母園に着きましたが、大丈夫ですか?」 「え? あ、 大丈夫です!」  さっとシートベルトを外してから、ドアを開けて外に出る。車は聖母園の来客用の駐車場に停めてあった。  ふと顔を上げるとその先に、冷たい眼差しを向けて立っている初老の女性が立っていた。園長の田辺だ。  車から降りたオレに向かって、すぐに刃のような言葉を投げかけてくる。 「無断外泊なんて、本当にろくなことをしないわね」  オメガの保護施設でもある聖母園の園長だが、養育しているオメガが一晩行方不明になっても心配などしない。憎々しげに傷つける言葉を投げつけるだけだ。 「……すみません」 「どこで何をしていたの!? 連絡くらい出来たでしょう!」 「すみません……」  連絡するなんて思いつきもしなかった。ヒート中で他のことを考えるのは難しい。でもそんなことを言えばもっと怒りを爆発させると経験から知っているので、オレは地面に視線を向けたまま同じ言葉を繰り返す。 「まあまあ、園長先生そんなに怒らないでください。乃花くんは昨日ヒートになって、親切な人に助けられた、と言ってました」 「ヒート!? 助けられた!? お前、どういうつもりなの! 昨日の夜にはヒートになるとわかっていたでしょう! やっぱり学校は辞めた方がいいわ。どうせ外に出て男漁りでもしていたのでしょう。本当にオメガはいやらしい。恥を知りなさい!」 「そういえば、ヒートが昼間に起きたのですか?」 「えっと……」  ヒートの始まる予兆はあったが、まだ時間はあると思っていた。いつもの様に夜中に始まって嫌な思いを一週間続けるのだと。でも怜に会った途端、いきなり体中からフェロモンが吹き出したように思えた。でも、それを二人に言いたくない。 「カ、カフェに行って、飲み物を飲もうと思ったら始まって……親切な人に助けてくれて」 「カフェ!? そんなところに入れるようなお金は持っていないでしょう! 誰かをたらし込んで奢らせたの? 学校で男を咥え込んだのね」 「違っ……」 「何が違うの!? お前は薄汚いオメガなのよ。男の性を貰わなきゃ生きていけないの! 淫乱の息子は淫乱ってことね」  違うと叫びたかった。見たこともない生みの親のことまで言われる筋合いはない。  でも緊張と恐怖で口の中が乾いて、なにも言葉が出ない。 「園長先生、その辺で……」 「小田先生にも迷惑をかけて! 高嶺の花、なんて名前をつけても、お前はしおれて腐った雑草よ。せっかく来てくださったアルファの方に申し訳ないと思わないの!」  高嶺の名前は生みの親がつけた名前だという。  オレだってこんな名前なんて嫌いだ。朝日みたいな名前だったらどんなに良かっただろうか。  ああ、まただ。朝日の名前も生まれも育ちも、性格も顔も全てが羨ましい。幸せになるオメガはこうなんだろうという理想が詰め込まれていた。  それにヒートの為のアルファなんて会いたくもない。アイツらはオレを人間扱いなんてしない。  その時、急ブレーキを踏んだ車が聖母園の前に飛び込んできた。何事だと顔をあげると、髪を乱した怜がドアを乱暴に開けて出てくる。  なんで?  どうして怜がここにいるのかわからず、オレは夢じゃないかと何度も瞬きするが、幻想である怜の姿は消えてくれない。  美形の怒りは恐ろしいともう一度実感する。必死の形相でこちらに歩いてくる。いや、あれは競歩だ。 「ど、どなた!? ここはオメガ専用の児童養護施設ですよ。アルファは立ち入り禁止です!」 「俺は高嶺の運命の番だっ!」  吠えるような声と威圧だった。その場にいた全員が動けなくなる。それに気づいたのか、怜は大きくて呼吸してから、乱れた髪を整えて今度は静かな声で話し始めた。 「取り乱してしまい、失礼しました。私は西田怜と申します。昨日、高嶺くんと出会い、運命だと感じました。これからのお話をさせていただいても?」  怜はにこやかな笑顔を見せて、園長の田辺に名刺を渡す。 「う、運命なんて、そんなもの本当にあるのかしら? 気の迷いや間違い……」  園長の田辺が上擦った言葉を発したが、途中で止めてしまった。どうしてだろうとその怯えた視線を追ってみれば、怜だった。けれど怜はオレと目が合うとニコッと優しく微笑む。  わ、笑った!?  出会ったばかりでそんな表情は見たことなかったオレは、何故が胸がドキドキする。 「それでは、高嶺は連れて帰りますね」 「は!? 何言って……っ」 「俺たちは運命の番です。すでに俺の子が宿ってるかもしれない」  怜の言葉を聞き、オレは嬉しさより恐怖を感じた。撫でられた腹がその恐怖にきゅっと、縮み上がる。 「こ、子ども……」 「ちょっと待って! その子と寝たと言うの!? その子はこの聖母園のオメガです。勝手をされては困ります!」 「勝手とは? 運命の番は何より優先されるのでは? 義務教育中ならともかく、高嶺は十七歳でお互いの気持ちがあれば、保護者の許しは必要ないはず。他に番がいる場合はともかく、運命の番を引き離すことは、誰にも許されないと国が名言している。では、よろしいですか?」 「で、ですが、その、この子はまだ学生の身です。きちんとした保護の元養育しなければなりません。その為にこの子はこの聖母園で暮らしているんです」 「ですが、高嶺は俺の運命の番です。すでに番契約も済ませている。そうだな、高嶺」 「え? あ、その、……はい」  怜の勢いに番契約なんてしてないと言おうと思ったが、反対に頷いてしまう。 「ということで、高嶺は連れて帰ります」 「ま、待ってください。その子にはまだ、用が……そう、大事な用事があるんです。あ、明日なら……っ」 「……その用、とはそちらに駐車してある車の持ち主ですか?」 「な、そ、それは私の……」 「聖母園の園長というのはかなり給料が良いのですね? へぇ、ドイツの高級車を購入出来るくらいの高給なんですね」 「それは……っ」  怜の言葉を聞いて、小田の車の隣に駐車してある車を見た。ボディは深夜のような黒で、威圧感漂う高級車だ。 「アルファの……」  この車の主はきっと昨日から始まるはずだったオレの「適切な相手」だ。まだ園の中にいて、オレを待っている。そう考えた途端、体が小刻みに震える。 「高嶺の荷物は後日引取りに来ます。……それから、これはあなたに」  怜はポケットから真っ白な封筒を取りだし、園長の田辺に渡した。膨らんだ封筒がなんなのかわからないが、それを受け取った途端、田辺の態度は豹変する。封筒と貰った名刺を見て表情を和らげる。 「まあ、わかりました。この子はちょっと体が弱いので、定期的にこちらの先生に診ていただいているんです。これからも診察がありますから、定期的に園に戻って……」 「どちらの医院ですか? 高嶺のことならなんでも知りたいので、カルテを見せてください」 「それは守秘義務がありますので、乃花くん以外には保護者の方にしか……」 「これから高嶺の保護者は私になります。すぐに行政への申請もしますので、……まあ、今日はこれで帰ります」  怜は田辺と小田との会話をいきなり切ると、呆気にとられているオレの背を押してくる。その手に促されて、聖母園の道路の前に無造作に停められていた車に乗せられた。  まるで逃げられないようにシートベルトを締められ、無言で強い視線を向けられた。  何も言わずに出てきたのは悪いと思うけれど、オレにだって帰らなきゃならない理由があったんだ。あそこにいて、……怜のそばにいたら、きっとダメになる。でも、今ここに怜が来てくれて、どんなに安堵しているか伝えたくなった。 「……なんだよ!」  でも出てきたのはこんな言葉で、オレは本当に性格が悪い。素直になれない。朝日ならきっとこんな時、可愛く微笑んで「助けに来てくれてありがとう」なんて言うんだろう。 「目の下のくま、取れないな」  そう言って指の甲で目の下を擦られた。それから大嫌いな目元のホクロを親指の腹で撫でられる。 「さわ……っ!」  顔を背けると怜は何も言わず手を離してくれた。すぐにドアが閉められ、反対側の運転席に怜が乗り込んで車はすぐに動き出す。 「ぐえっ」  たぶん、いや絶対怜は怒ってる。さっき避けたから怒ってるんだ。そうじゃなかったら、住宅街の中にある道路をこんなに乱暴に走らせるわけがない。 「あぶ、あぶねーから!」 「……」  叫ぶと車は緩やかにスピードを落としてくれた。 「大人気ねーと思わないのか!」 「思った。怖がらせるつもりはなかった」 「こ、怖くなんて……」 「すまない」  アルファがオメガに謝った。  そんなことが起こるなんて信じられなかったから、これが現実なのかわからなくなり、ぱちり、ぱちりと瞬きを繰り返す。 「……なんだ?」  オレが何も言わなかった所為か、怜は気になるようだった。アルファたちの猫なで声とは全く違い、怜の言葉はぶっきらぼうだけど、その声音は優しかった。 「アルファが謝った、から……」 「アルファが謝るのがおかしいのか?」 「……おかしいっていうか、普通アルファがオメガに謝ることなんてない」 「……お前の中ではそうなんだな」 「え?」  聞き直しても怜はもう一度答えてくれない。その代わり手を伸ばして頭を撫でられた。 「顔色が悪い。目を閉じていろ」 「大丈夫」 「そうか……」  怜の手が、膝に置いていたオレの手に乗せられる。温かくて大きくて、小さく震えていた手が収まってきた。 「あ、の……」 「ん?」 「寄って欲しいところがあるんだけど。あと、お金を貸して欲しい」 「何が買いたいんだ?」 「……アフターピル」  キ――――ッと音を立てて、車が急停止した。この辺りは住宅地でそれほど交通量が多くないから、良かったものの後ろに車がいたらまずい状況になっていたはずだ。 「な、ななな、なぜッ!?」 「子どもはいや、だ……、うみ……、くない」  こんなことを言って殴られるだろうか。でも聖母園でヒートになった時、アルファに会う前に必ず避妊薬を飲んでいたし、ヒートの途中で少し正気に戻った時や、ヒートが終わった後には必ず飲んでいた。その薬は聖母園の割り当てられた部屋にある机の引き出しに入っているのでどうしても帰りたかったのだ。  自分みたいなオメガを、もう一人だって増やしたくない。  不幸な子どもなんて、絶対に産みたくない。 「あー、覚えてないかもしれないが、お前を抱く前に俺が飲んでる。だからその心配はない。だが不安なら、家に帰れば薬を渡してやる」 「アルファが、避妊薬を飲む?」 「おかしいか?」  怜が落ちついたのか車は今度はゆっくりと走り出す。頷くことも首を横に振ることも出来ず、オレは怜の言葉を聞いていた。そんなこと一度も聞いたことがない。避妊薬は現在ほぼ百パーセント受精を阻害し、服用すれば子どもが出来ることはない。けれど強い薬だから、アルファは自分のパフォーマンスが落ちるのを嫌がり、飲むものはいない。 「不安ならオメガ用も用意する。それから、その腕の手当てもな」 「腕?」  何かあっただろうかと視線を下げれば、袖が血で汚れていた。 「あ……」 「点滴の針を無理やり引き抜いたな。血は止まってるようだが、きちんと手当てした方が良い。……なんで、逃げた?」 「……っ!」  怒られる。殴られる? 怜はそんな事しないと言っているが、言葉なんていくらでも嘘をつける。いつだってアルファはオレは苦しめる存在だ。 「……あそこに、アフターピルがあったのか?」  びくん、と体が揺れた。その所為で怜にバレてしまったのだろう。あそこ、というのは聖母園のことだ。 「わかった。お前用のアフターピルを用意する」 「え?」 「不安な気持ちは体調にも影響する。もっと食って、ちゃんと寝て、体を鍛える……のはもっと後だな。オレがお前をしあ……健康にする」 「はあ!?」  このアルファ、何言ってんだ? オメガを孕ませる、じゃなくて、健康にする? しあってなんだ? 「何言ってんだ!?」  思わず素で返してしまった。 「こんな細っせー腕して、これからの高校生活、大学生活、それから社会の荒波を乗り越えて行けるとは到底思えない。もっと健康的になって貰わないとな。……そうすれば、あのクソみたいな連中に言い返すことも出来るだろう」 「クソみたいなって……」  確かにオレはあの場で何も言えなかった。言っても無駄だし、言えば言うほど辛い目に合わせられることを体験しているからだ。嵐が過ぎ去るのを待つようにじっと我慢していた方が楽だったからだ。 「あの場にいる二人がお前を見る目、反吐が出そうだった」  眉間に皺を寄せてそう言う怜に、また驚く。オメガに味方するアルファなんて初めてだ。でも怜は昨日初めて出会った時から、他のアルファとは違った。オレを傷つけないと初めて言ってくれた人だった。 「オメガってだけであんたはオレを馬鹿にしないんだな」 「……あの二人はしていたのか?」 「小田って医者が健診する時には、なんか実験動物見るみたいな目をしてて、……苦手だ。園長先生は、……まるでオメガを憎んでるみたいで、怖い……」  そこまで口に出してハッとする。今まで誰にも話したことのないことを言ってしまった。 「……そうか。そろそろ家に着く」 「え?」  いつの間にか海の見える幹線道路を走っていて、ガードレールの向こうには海が広がっていた。 「わあっ!」 「どうした?」 「海、だ……」 「ああ、家から十分くらい歩けば、海だが……まさか」 「海、初めて見た」  遠足も修学旅行も、行かせては貰えなかった。オメガなのだから何があるかわからないと禁止されていた。だから海を間近に見るのは初めてで、窓ガラスに額を押しつけて眺めてしまう。 「落ち着いたら海に連れていく。窓に額をつけると冷えるぞ」 「本当に!?」 「ああ、お前に嘘はつかない」 「や、約束?」 「約束だ」  海から離れるように右折し、車は住宅街へと入っていく。大きめの邸宅が続くそこは、高級住宅地だ。その奥にある美しく整えられた庭や樹木、それから二階建ての洋館が見えた。  車はゆっくりと屋根付きの駐車場へ入っていく。  本当に怜はここに住んでいるのかと、オレはキョロキョロしてしまった。 「逃げるなよ」 「逃げない!」  それなら良いと言いおいて、怜はシートベルトを外すと助手席側に回ってきた。ドアを開けて、シートベルトを外してくれる。 「自分で外せるけど……」 「もう外したんだから良いだろう。降りろ。家の中を案内する」  手を差し伸べられて、うっかりその手に自分の手を乗せてしまった。そのまま車を降りて、玄関に向かう。  とても綺麗で、まるで物語に出てくるような白亜の洋館だった。

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