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第6話
06.ネックガードと、童話みたいな話
06.ネックガードと、童話みたいな話
白い外壁が柔らかな陽光を浴びて輝き、マンサード屋根が優雅に広がっている。屋根にはドーマー窓がいくつも並び、蔦型のスレートが鱗のように重なり合って独特の質感を醸し出していた。
中央の二階建て部分を挟むように東西に伸びる翼棟は均衡の取れたシルエットを描き、屋上には物見台が小さく突き出ている。
正面玄関には屋根を支える柱があり、美しい装飾が施されていた。
邸宅の前には花壇があり、小さくて可愛い花が咲いていた。聖母園では手入れが大変だということで、花壇なんかなかったから珍しく感じる。
「可愛い……」
「そうか? こっちだ」
促されて開けられたドアから内部に足を踏み入れると、木の温もりが全身を包む。玄関ホールは明るく開放的で、飴色になるまで磨かれた優美な手すりと階段が見えた。
「坊っちゃま、おかえりなさいませ。お客様、家政婦の三田と申します。よろしくお願いいたします」
いきなり声をかけられて驚く。優しげな中年女性がエプロンで手を拭きながら、廊下から出てきた。
「高嶺、この人は家政婦の三田さん。三田さん、こっちは高嶺だ。それで、部屋の用意は出来てる?」
「ええ、二階の坊っちゃまのお隣に準備してございます。まずはお部屋へ行かれますか? リビングでお茶でもいかがでしょうか」
「先に部屋を見せてくる。お茶の準備は頼む。ああ、あと、救急箱も。高嶺、先に部屋に案内する」
「え?」
「高嶺がこれから住む部屋だ。見たいだろう」
「えっと、……うん」
これから住む部屋と言われてもピンとこない。本当に聖母園を出ていけるのか不安でいっぱいだ。
「れ、怜」
「なんだ」
「オレ、高校は辞めたくない」
「ああ、ここからだと少し遠くなるから、通学時には運転手をつける」
「は?」
「今のその体調じゃ一人で通学させるのは危険だからな。俺が送るか、運転手だ」
「……辞めなくていいの?」
「行きたいんだろう? その代わり、毎日点滴を打ちに、先輩のところに行くぞ」
「うん!」
高校を辞めなくて良いと言われ、ホッとする。毎日点滴を打ちに行くくらい安いもんだ。まだ学校に通えるなら、こんなに嬉しいことはない。
「こっちだ」
滑らかな光沢のある手すりに手を置いて、カーブしている階段を上がる。二階も明かり取りの窓が高い場所にあって、明るかった。
廊下を歩き、一番近いドアを怜が開けた。
「わあ……」
そこは光の溢れる部屋だった。白を基調としたシンプルな部屋だが、掃除が行き届いており、大きな窓から入る陽の光が部屋を明るくしている。
ベッドとサイドテーブル、それから書き物机、その隣に大きめの本棚がある。その向こうの壁の一部に取っ手がついているから、備え付けのクローゼットか押入れだろう。
「足りないものがあるなら、後で買いに行く。っと、ちょっと待ってろ」
「え? あ、うん」
怜が部屋を出ていき、一人になった。途端になんだか心細い気持ちになってしまい、ブルブルと首を振る。昨日初めて会ったばかりのアルファと、成り行きで一緒に暮らすことになってしまった。生まれた時から過ごした、聖母園を出てきてしまったんだから、不安が募るのは仕方ない。
でもあの場に残れば、昨晩から待っていたはずの「適切な相手」としてアルファの相手をしなければならなかっただろう。ヒート中ではないその行為は、死にたくなるほど惨めで悲惨だ。
聖母園には二度と戻りたくない。でもこれから先、どうやって生きていけば良いのだろう。
まるで光に惹き寄せられるように、オレは大きな窓に近づいた。窓は鍵がかかっておらず、少し開かれている。そのまま大きく開けば、ベランダに出れた。
真っ白い手すりに捕まり、視線を漂わせる。空は高くて青かった。風が頬を撫でていく感触が心地よい。
「部屋は気に入ったか?」
後ろから声をかけられて振り返れば、怜が立っている。
「あ! オレの鞄と制服!」
「ああ、忘れて行っただろう? 車の後部座席に入れておいた」
昨日カフェでヒートが始まってから、忘れていた。鞄と制服のジャケットを渡されて、胸に抱き締めた後、やっとオレはこれからここで暮らすんだと、じわじわと現実味を帯びる。
「オレ、ここで暮らすの?」
「ああ」
「なんで?」
「……カフェでヒートになったお前を助けたのは、俺だ。だから最後まで面倒をみる」
「拾った子猫じゃねーんだから、最後まで面倒なんてみなくても良いけど!」
「子猫、ね……」
怜はジロジロとオレを眺めて、「痩せっぽちの黒猫だな」と頭をくしゃくしゃに掻き回す。
「や、やめろよ!」
触れられて全然嫌じゃなかったのは、怜だけだ。口ではやめろと言っていても、触れられて嬉しい気持ちが湧き上がってくる。
「……高嶺、このネックガードは外せるのか?」
首につけられた無骨なネックガードは国からオメガに支給されたものだ。
「園長先生だけが、……外せる」
聖母園のオメガがつけているネックガードは、全て園長が開封出来る。何か気に入らないことがあれば、ネックガードを外してアルファに差し出すぞ、と無言の脅しを掛けてきた。
自分に従わなければ、気まぐれなアルファに弄ばれ、すぐに番契約を解除され後は死を待つだけになると。
その恐怖を思い出し、ぶるっと体が震えた。
「……本当のこと、教えてくれよ」
「何をだ?」
「オレをここに連れてきた、本当の理由」
捨て猫を拾ったみたいに、偶然助けただけでアルファが動くはずがない。そんな奇跡はオレには起こらない。きっと何か他に理由があるはずだ。少し考えた後、怜は口を開いた。
「……聖母園に黒い噂がある。それを調べたい」
ああ、やっぱりな。と思う。でもそんなことを表に出してなんてやらない。
聖母園はオメガ専用の児童養護施設だ。そこに何があるというのかわからず、オレは怜に問いかける。あそこには他にもオメガが沢山いるんだ。
「黒い噂って何? オレに何が手伝って欲しい?」
「……まずはその腕の手当てをしよう。鞄はこの部屋に置いておけば良い。下に行くぞ」
「え? わ、おいっ」
抱き締めていた鞄を取られてベッドの上に置かれ、そのまま背を押されて部屋を出る。煌めく光の降り注ぐこの明るい部屋がこれから自分の部屋になるのだと思うと、嬉しくなる。
「な、おい。なんで、教えてくれねーんだよ!」
「まだ噂だからだ。もっと調べてから教えてやる」
「本当だな!」
「ああ。お前には嘘をつかない」
「……うん」
怜は何度もそのことをオレに伝えてくれる。多分、オレが信じていないことを知っているからだ。怯えていることもバレているんだろう。
「あ、なあ。さっき園長先生にオレ達が運命の番だって言ってたけど、そんな嘘すぐにバレるんじゃないか?」
「大丈夫だ。ベータにはそんなことはわからないからな」
「そりゃそうだけど……」
「これもすぐに外してやる」
「へ?」
怜がこれ、と言い指を滑らせたのは、オレがつけている無骨なネックガードだった。繊細さなんて一切ないが、それでもオメガを守る最後の砦だ。
「……忌々しい」
「な……!?」
これがないとオメガは自分の身を守れないのに、なんてことを言うんだろうと思えば、怜は思いもしなかった言葉を続けてくる。
「お前の意思で外せないものなんて、忌々しい以外にないだろう。大丈夫だ。アテはある」
そう言うと階段を降りながら怜はどこかへ電話を掛ける。
「あ、佐々木さん? 今から言う住所にすぐにきてくれ。あ? 出張扱いになるから、いつもの道具も一緒に。急いで。住所は……」
早口で誰かにそれだけを伝えると、怜は通話を切った。誰に掛けたのかもなんのために掛けたのかも全くわからない。
「坊っちゃま、お茶の準備が出来ておりますよ」
階段を降りている途中で、先程家政婦の三田と紹介された人がにこやかに迎えてくれた。
高いところにあるアーチ窓から陽光が差し込むリビングルームが、オレを温かく迎えてくれた。壁は純白の漆喰で塗り固められ、光を受けて淡く輝き、天井の装飾も同じ白で統一されているため、境界が溶けるようにぼやけ、空間が果てしなく広く感じられる。
中央に据えられたソファは、雪のように柔らかな白いリネン張りで、クッションの縁取りだけがほのかにクリーム色を帯びている。肘掛けには繊細な白木が使われ、磨き上げられた表面が光を静かに反射する。床は白く染められたオーク材の寄木張りで、ソファーの前に毛足の長い柔らかな絨毯が敷かれていた。
使っているのかわからないが、暖炉のマントルピースは真っ白な大理石で、火を灯していない今も、室内の光を浴びて神聖な輝きを放っている。その上には、銀の写真立てが一枚置かれていた。
窓辺のカーテンは今は端にまとめられているが、こちらも白というよりベージュに近い色だった。天井まで届く書棚には分厚い書籍が沢山収められ、手に取られるのを今か今かと待っているようだ。
白い邸宅の部屋の中で唯一の色彩は、窓の外に見える秋の庭園の深い緑と、花の色彩、それから遠くの空の薄い青だけだった。
「さあ、高嶺様。お茶をどうぞ。まあ、お怪我をされておりますの? すぐに手当いたしましょう」
真っ白い制服のカッターシャツの袖は、乾いた血で汚れていた。さっきまで全然痛くなかったはずなのに、意識を向けるとズキズキと痛みを感じ始めた。三人がけのソファーに座るように促され、怜が隣に座ってきた。ローテーブルの上には美味しそうなケーキと、真っ白なティーポット、ソーサーに乗せられたカップがある。
「喉、乾いたな……」
二度目に起きてから水の一杯も飲んでなかった所為で、いつもなら絶対言わないことまで口に出してしまった。
「まあまあ、先にお茶をどうぞ召し上がってくださいな」
三田さんがティーポットから真っ白なティーカップに紅茶をそそいでくれる。それをソーサーごと目の前に置かれじっと見つめる。
「飲んでていい。ただ少し熱いから……」
飲んで良いと言われ、オレは急いでカップを両手で持ち上げ口をつける。
「あちっ!」
「だから言っただろう。舌を見せてみろ」
熱い飲み物なんてほとんど飲んだことがないし、紅茶なんてペットボトル以外飲んだことはなかった。
怜が手を伸ばしてきて、顎を持ち上げられた。言われた通りにぺろっと舌を出せば、目を見開かれる。
「ふぁんふぁふぁっふぁ?」
何かあった? と聞きたかったが、口を開けて舌を出している為、不明瞭な言葉になってしまう。
「いや、火傷はしてないみたいだが、気をつけて飲め。息を吹きかけて、冷ますんだ」
顎から手を離されて、カップを取られた。
怜の口からふーふーっと息が吹きかけられ、カップの中の紅茶を冷ましてくれる。
「ふふふ」
笑い声が聞こえて振り向けば、三田さんがトレイを持って楽しそうに微笑んでいた。
「昔の旦那様と奥様を思い出しますわ」
そう言ってミルクピッチャーと、シュガーポット、それから何故か氷の入った皿を出してくれた。
「ふん」
「旦那様と奥様って? もしかして怜の?」
「ええ、ご両親と祖父母ですね。お二組ともとても仲睦まじいご夫婦でしたのよ」
「そうなんですね。あ、オレ、挨拶とか……」
どうしたら良いかと思ったら、怜にカップを返される。そしてカップの中に大きめの氷を一つ落とされた。
「両親は二人とももう亡くなってる。祖父母は離れた場所に住んでいるから、そのうちな。……これで飲みやすくなっただろう」
「あ……、ごめ」
自分にも両方いないけれど、そばにいた存在が消えてしまうのは、最初からいないことより辛いのではないかと思ってしまった。
「いや、もう随分昔のことだ。それより、飲みながらで良いから、聞いてくれ」
「うん」
もう一度口をつけた紅茶は、少しぬるくなっていて飲みやすかった。
右手を取られたので左手でカップを持ってまた口をつけた。温かい紅茶が喉をすべり、胃の中に落ち着いてそこからまた温かさが広がっていくようだ。
この部屋に座ると、まるで時間がゆっくりと流れているように感じる。救急箱を開ける小さな音、血が滲んで傷になっている肘の内側を、消毒液をつけたコットンで優しく拭かれた。ピリッとする痛みに、肩を竦める。
「痛かったか?」
「……別に!」
ここでも天邪鬼な性格が出てしまった。本当なら手当をしてくれたことに礼を言わないといけないのに。怜は気にした風もなく、テキパキと手当を終える。残ったのは絆創膏を貼られた腕だけだ。
「あ、その、……あ、あの、あり……がと」
「ちゃんと礼も言えるんだな」
「失礼な奴、オレだってそれくらい言えるっつーの!」
「そうか。ところでスマホを出せ。連絡先を交換する」
「へ? 持ってないけど……」
聖母園ではスマートフォンを持つことは、許されていない。持っているのは園長と職員くらいだろう。聖母園の電話はあるが、オメガは利用が出来ないようになっていた。
「……わかった。食べられるならそこの菓子も食え」
「う、うん……」
甘い匂いのする焼き菓子が皿に並べられているが、手を伸ばせなかった。
「あの、さ。それより、アレ、くれない?」
オメガのヒート時の妊娠率はかなり高くて、ずっと気になってしまう。怜が飲んでいたと聞いても、不安だった。
「……ちょっと待ってろ。三田さん、今日から栄養価が高くて胃腸に優しいものを作ってくれ」
「かしこまりました。高嶺様、フルーツでしたら、すぐにお出しすることが出来ますが、お召し上がり出来ますか?」
「え、あ……その、はい」
朝、重湯を食べてから何も食べていなかった。なんだかお腹が空いているような気がする。
小さく頷けば、三田はにこにこしながら下がっていく。怜はリビングに備え付けられている引き出しから小さな薬剤を取り出し、オレに差し出してくれた。
パッケージには見慣れた文字がある。不安に思っている自分に、箱ごと見せてくれるのは多分怜の優しさだ。ひとつ取り出して飲み込む。
ホッとして体から力が抜けるようだった。
「坊っちゃま、お持ちいたしましたよ」
家政婦がすぐに戻って来て、差し出された皿には葡萄や苺や食べやすく切られたオレンジが乗っている。怜はそれを受け取って、オレに振り返る。
「あーんだ」
またこれかよ! ぐぐっと唇を引き結び、オレは口を開かないぞ、と意思表示する。
「口を開けろ」
「やだ、もがっ」
やだと言った途端、緑色の宝石みたいな葡萄を口に押し込まれた。シャクッと噛んだら甘い果汁が口いっぱいに広がって、目を見開く。こんなに美味しい葡萄を食べたのは初めてだ。
聖母園では果物なんて滅多に出ない。
「うま……」
「そうか。ほら、もう一つ」
指でもう一粒摘んだ怜か口元に差し出してくれる。美味しくて断ることが出来なかった。口を開けて葡萄が放り込まれるのを待つ。甘くて瑞々しくて初めて食べる味だ。
「もう一つ」
「……あーん」
欲しくて素直に口を開けたら、怜の指が上の歯に当たった。でも口の中には葡萄が落とされたので、もごもごしながら痛くないかと上目遣いで見つめた。
「ぐ……っ」
呻き声を洩らした怜が眉を寄せて目を閉じたのでやっぱり痛かったんだ、と急いで葡萄を飲み込んでその指を掴む。
「……い、痛かった?」
オレも痛いのは嫌いだ。誰かに痛みを与えるなんて、とても悪いことをした気分になる。
「……痛くない。子猫の甘噛みみたいなもんだ」
「子猫じゃないし!」
「まあまあ、仲のよろしいこと。昔の旦那様と奥様にそっくりですね。そうそう、よろしければスープをどうぞ。御夕飯までまだ時間がありますしね」
三田はそう言って真っ白なスープカップを差し出してくれた。中は透き通った金色のスープだった。具はないけれど、胃に優しそうだ。
「いただきます」
「おい、スプーンを……」
多分また食べさせようとしたのだろうが、オレはスプーンを離さなかった。その代わり、玄関からインターホンの音が聞こえてくる。
「まあ、どなたかいらっしゃったみたいですね。出てまいります」
ニコニコ顔の三田がリビングを出て玄関に向かった。
すぐに戻ってきた三田の後ろには見覚えのない人物が立っている。
ボサボサの髪、分厚い眼鏡、着古したスーツに大きな鞄を肩から下げている。
「佐々木さん、来てくれて感謝する」
「いきなりここに行けって言われて驚いたけど、お前ん家かよ」
「佐々木さんにやって欲しいことがある」
「なになにー? そこにちょこんと座ってるオメガちゃん関係?」
オメガちゃんと呼ばれて、肩が揺れた。この人はアルファだ。
「ああ、このネックガードを外して欲しい」
「はー? そんなのオメガちゃんに外してもらえば……おいコラ、お前そんな奴だったの? お堅い御曹司かと思ってれば、オメガを無理やり組み敷いて項を噛むぞって脅すクソみてーなアルファなんて、俺はお前を軽蔑すんね。大いに軽蔑する。そんな奴の頼みなんて何一つ叶えねーから! オメガちゃんを好きになってどうしても手に入れたいなら、そんな真似せず正攻法で落とせよ! 心からの言葉と態度で愛情を示せよ! 跪いて愛を乞えば良いものを、そんな無理やりだなんて、拗れる元だぞ! 先輩からのアドバイスだ、まず心を手に入れろ。その次は胃袋だ。そして最後に体! わかったか!」
「勘違いだっ! これは高嶺には外せないもので、外した後は新しいものをつける予定だ!」
佐々木と呼ばれた人物がノンブレスで捲し立てた後、怜も同じように怒鳴り返す。
「へ? そうなの? あ、俺佐々木っていうの、よろしくね」
「そう、です。乃花高嶺、です」
佐々木と名乗った男が、今度はオレに問い掛けてきたのでちゃんと頷く。なんというか、この人はオメガを差別しない人なんだろうなと、先程の言葉で理解した。
「なんか、事情ある?」
佐々木は肩から斜めに掛けていたバッグを床に置き、反対側のソファーに腰掛けた。三田がお茶を出してくれた後、下がったので怜は続きを話しだした。
「ああ、実は……」
カフェでヒートが始まり助けたことや、普通なら自身で管理するネックガードの開閉が園長になっていること、自社の社員の不穏な会話などを考えて高嶺を保護することにしたと説明する。
「お前が保護、ねえ?」
「何か?」
「いんや。いーんじゃね? で、俺はこのクソみたいなネックガードを外しゃいいのね?」
「ああ、頼む」
佐々木はバッグを開くと色んな道具が入った箱とパソコンを取り出す。それからオレの目の前にやって来て、座り込んだ。
「あー……触れていいかい?」
優しい人だ。手を出す前に聞いてくれるなんて、とても優しい人だ。オレは持っていたスープカップをテーブルに戻し、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「ん。ちゃーんと外してやるから任せとけ!」
国から支給されているネックガードは、特殊な材質で作られているため切ることは出来ない。また留め具も特殊で、登録した人物しか開閉出来ないようになっていた。
「あー、時間が掛かりそうだな」
オレのネックガードをじっくり観察したあと、佐々木は唸るように言った。
「佐々木さんの時間外労働には、きちんと対価を支払う。それから俺は少し外に出てくる。三田さん、しばらくここにいてくれないか?」
「え?」
怜がどこかに行く? と思っただけで心臓が嫌な音を立てた。でも、行かないでなんて言えるはずがない。こんなに良くしてもらってるのに、きっとオレの為に今日は仕事も休んでいる筈だ。
「あ、学校……」
一応学校にはこの期間はヒートになる予定だと伝えているが、朝日が心配していないだろうか。
「佐藤くんにはお前が無事だと連絡している」
怜はオレの心が読めるのだろうか。心配事を言い当てられてしまった。
「そうなの? その、ありがとう」
こんな時にスマートフォンがあれば連絡が出来るのにな、と持ってない事に少し悲しい気持ちになる。だから高校を卒業してちゃんと働き始めたら自分のスマートフォンを購入しようと決めていた。
「すぐに戻る。三田さん、必ずこの場にいてくれ。二人きりには絶対にしないように」
「俺への信頼皆無じゃん?」
「信用はしてます。信頼も、……まあ、少しなら」
「少し!」
それを聞いて佐々木はゲラゲラ笑い出す。
「まあまあ、坊っちゃまは本当に旦那様にそっくりですわね」
三田の言葉に嫌そうな顔をしたが、怜は何も言わなかった。立ち上がってリビングを出ていく。
「不安かもしれないが、もうちょい待っててな!」
「ふ、不安なんて」
ないとは、言いきれない。三田がいるとはいえ、アルファに対して無防備に首を晒している今の状態で怜がいなくなるとは思わなかった。
「うーん、これって成長に合わせて付け替える筈だけど、小さいサイズをそのまま付けてない? 隙間が全くない。苦しくない?」
「だ、大丈夫です」
それ程体が大きくならなかった為、最初に支給されたネックガードをそのまま付けられていることは言わないでおく。
「そか。……よし、カバーが外れた。えーと、このタイプね。よしよし」
独り言を言ったその後、佐々木はパソコンを開いてなにやら打ち込んでいる。物凄いスピードで真っ暗な画面に白い文字が浮かんで下から上へと流れていく。
「うーん、……あ、これか! あっぶねー、これ外したことがどっかに通知されるタイプじゃん。無理やり外したら通知行ってたな。なら、全部解除してから……」
騒がしい人だなと思いながらも、作業をする手がとても優しかったからオレもじっと座っていることが我慢出来た。
パソコンのキーがカチャカチャと鳴る音と、首元でピンセットみたいなもので作業していた。
なんだか今の時間が夢のように思える。昨日までは月に一度のヒートに怯えていたのに、今は凪いだ気分だ。
(怜と出会ったから?)
全てはそこから始まったような気がする。
出会った時のあの胸の高鳴りは、何だったのだろう。考えても答えなんて出てこないけれど、ずっと考えてしまう。
オレが不安に思う時、いつだって傷つけないと言ってくれた。そんなアルファは初めてだった。
整った顔立ち、すっと通った鼻筋、少しタレ目な瞳が自分を見つめているとドキドキした。
落ち着いた柔らかな声で名前を呼ばれて、一瞬返事をするのを忘れてしまう。
怜は今まで出会ったことのないアルファだ。
そんなことを考えてきたらピン……とか細い機械音が響き、首を締め付けていたモノが消え、息が出来たような気がした。
「おっと、このネックガードは俺が預かっても良いか? ちょっと調べたいことがあるんだ」
「え? あ、はいどうぞ」
外れてしまったネックガードに未練はない。無防備になった首にどうしていいのかわからないが、なにか他に首を隠す為のものを見つけよう。
手を上げてゆっくりと首に触れる。大きく息を吸いこんで吐き出した。ネックガードが外れただけなのに、なぜか自由になれた気がした。
(そんなの、勘違いなのに……)
オメガである限り、自由なんてない。でも今この解放された気持ちを自分に与えてくれた相手には最大限の感謝をしたい。
「あの、佐々木さん。本当にありがとうございます」
ゆっくり口に出してから、頭を下げる。感謝の気持ちでいっぱいなことが伝わればいいのに、と顔を上げて微笑んだ。
「……だっ」
「え?」
「その顔、あんまり外に出さない方が良いよォ! アルファってほんとーに心狭い奴多いから、誰にも見せたくないって監禁する奴多いから。自分を大切にね! あ、でも俺にならたまーに見せてもい……っ! だっ!」
何事かと思って視線をあげれば、その後ろに怜が立っていた。なんだか怖い顔をして、佐々木の頭を鷲掴んでいる。
「怜、あの……おかえり?」
「ああ、……た、ただいま」
「いだだだだっ! おい、手、離せ! 頭が割れる!」
「誰になら見せて良いと言ってました?」
「あ、聞いてた?」
「ええ、この両耳ではっきりと。三田さんに見張ってて貰ってもこれですか」
「ほんっとーにアルファって独占欲凄まじいな! 笑顔のひとつやふたつ、ぽーんと周りにわけてやれよ!」
「嫌ですね。笑顔も泣き顔も寝顔も、全て俺のものです」
「わあ、こわーい! な、オメガちゃん、アルファの独占欲ってすげーだろ?」
「……はあ」
アルファが自分の番を囲い込んで、閉じ込めてしまう事があると聞いたことがある。でもそれがオレにどう関係するのかわからない。
ぼんやりしていたら目の前に座っていた佐々木が首根っこを掴まれて反対側のソファーに捨てられる。
それから怜は何かをドサドサと手から落とす。テーブルと床の上に紙袋がいくつも転がっていた。
「わあ、高級ブランド物ばっか!」
「……高嶺、好きなものを選べ」
「は?」
何を選べと言われたのか理解出来ず聞き返せば、怜は紙袋の一つを手に取り、包装紙に包まれた箱を開けた。中には綺麗に装飾を施されたネックガードが入っていた。
幸せなオメガが番契約をした後に着けるような華やかなネックガードだった。思わず眉間に皺がよった。
「これは嫌か。なら、こっちはどうだ? 好きなものを選べ。お前のネックガードだ」
怜はまた別の袋を取り、中身を取り出してオレに見せてくれた。煌びやかな宝石の着いた豪華なネックガードだ。
「オレが外したの、普通のネックガードだけど……」
こんなに綺麗なネックガードじゃなかった。
「ブフーッ!」
そう言ったら佐々木が吹き出して腹を抱えて笑い出す。
「え? なんで……」
「ひーひー、お前、気合い入れて貢げよォ、この子正直者過ぎる。童話みたいに金銀普通のネックガードまるっと全部プレゼントだな」
「……佐々木さん、面白がってますね」
「いやあ、可愛くねえ後輩だと思ってたが、こんなに報われねえのを見ると可愛く思えてくんね」
「……佐々木さん、仕事が終わったんなら帰ってください。直帰しても良いです」
「あー、笑った笑った。へーいへい。んじゃ帰るわ」
テーブルの上に広げていた道具とパソコンをバッグにしまうと、佐々木は立ち上がる。
「んじゃ、明日は休みなんだから、オメガちゃんをゆっくり休ませてやれ」
「……はい」
「あ、あの! ありがとうございました! オレ、本当はこのネックガードが苦しくてたまらなかった。外して貰ってそれに気づいたんです!」
ちゃんと主張すれば良かった。どんな罰があっても、嫌なものは嫌だと言えば良かったと今頃後悔してしまう。
「役に立てて光栄だよ。オメガちゃん」
「高嶺です!」
「うん、良かったね、高嶺ちゃん。こいつにはめーいっぱい甘えて散財させな」
「はあ?」
こいつとは怜のことだ。佐々木は親指を立てて怜に向かってくいっと動かした。
「……佐々木さん」
「おー怖。んじゃな」
そう言って颯爽と去っていく後ろ姿を見つめていると、それを遮るように怜が顔を覗き込んでくる。
「……三田さん、濡れタオルを温めて来てください。それから車に積んでる荷物を高嶺の部屋に運んで貰えますか?」
「承知いたしました。その後はキッチンにおりますので、何かあればお声かけください」
それまでじっと黙っていた三田は、席を立ってキッチンの方に向かったようだ。
「あ、夕飯の支度ならオレも手伝っ……ってなんだよ!」
立ち上がろうとしたのに、怜の手が伸びてきて肩を押さえられた。そんなに力を込められたわけでもないのに、びくっと体が反応する。
怜は怖くない筈なのに、急に触れられるとまだダメだった。
それに気づいた怜は、すぐに手を離してくれた。
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