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第13話
13.素っ気ない態度で擬態したアルファが、運命の番を囲い込む方法
車が急発進すると同時に、体がシートに叩きつけられるように沈み込んだ。 そのシートは古くて、ところどころスプリングが浮き出ていて、背中に硬く刺さる。車内にはタバコと、湿った埃と、汗の匂いが混じり合って、息をするたびに喉の奥が締め付けられるような不快感が広がった。
窓の外では、見慣れた景色がみるみる遠ざかり、知らない道路、知らない看板、知らないビルの影が次々と流れていく。 信号の赤が、まるで血のように滲んで見えた。
どこへ連れていかれるのか、不安で仕方ない。
体をできるだけ小さくして、ドアの方へ身を寄せても、隣に座る園長の太い膝がすぐそこにあって逃げ場がない。
時折睨みつけられ、ぞわりと鳥肌が立つ。
こんなことなら、昨日怜に家を出ていくなんて言わなかったのに。そうしたらあと一日くらいは一緒にいられたかもしれない。
「あんたが逃げ出したおかげで、本当に大変だったわ! わかってんの!?」
耳元で怒鳴られて、顔が強ばる。
「中島様があんたを気に入ってなかったら、この手で殺してやるのに!」
「園長先生、車の中で騒ぐのはやめてください。声が大きくて耳が痛い」
「かかりつけ医の分際で、私に指図しないで!」
中島、というのはオレの「適切な相手」として何度も聖母園を訪れていたアルファだ。でも、怜が聖母園に来た時、この園長は「アルファは立ち入り禁止」と言っていた。矛盾するその言葉に、やっぱりオレのヒートは人為的に造られたものだったとやっと理解出来た。
「オレをアルファに売るために、あんたたちはわざと月に一度のヒートを起こすようにしてたんだな! 薬でオレの体をめちゃくちゃにしたこと、絶対に許さない!」
ヒートが起こる度、オメガは薄汚い淫売だと、何度も罵られた。でもそんなの全部嘘だった。自分たちで作り出していたくせに、オレを罵ったのだ。
自分たちの為に、金を得る為に、オレに薬を打って、アルファに売っていたんだ。
「だからなんだというの。あんたなんてヒートでフェロモン垂れ流して、アルファを誘うしか能がないオメガなんだから、私たちの役に立てたと喜びなさい!」
「誰がっ!」
怒鳴り返してやれぱ、園長が激高する。
「このっ! 殺してやる! お前なんて、オメガなんて、この世から消えてしまえばいいのよ! お前たちさえいなければ、私があの人の恋人になれたのにっ!」
血走った目で睨む聖母園の園長は、怒鳴りながら殴りつけてくる。腕で庇ってもあちこち殴られてしまう。反撃なんて出来るわけもなく、身を守るように体を丸めるだけだ。
「園長先生、そこまでにしてください。怪我なんてさせては、中島様が怒るかもしれない。あのアルファは自分のものを他人が傷つけるのを嫌うタイプです。一度首を絞められてナイフで刺された時、かなり立腹していたじゃないですか」
「……わかったわ。高嶺、大人しくしてなさい。口も聞かないで! オメガの声なんて聞きたくもない!」
「そんなことを言って、乃花くんが通う学校のオメガは役に立ってくれたじゃないですか」
「ふん。頭空っぽのアルファ漁りにしか興味のないオメガなんて、そのうちレイプされて望まない子供でも産めばいいのよ。そうしたらまた私がアルファに高く売ってあげるわよ」
「私にも残してくださいね」
「ふん。ヒートコントロールなんて言って、ベータでもオメガを従わせる薬を作るなんて大したものね。付き合っていたオメガがアルファに奪われたからって、少し異常ね」
「……好きだったアルファが、オメガのヒートトラップで番になってしまったからと、聖母園のオメガたちを虐げてるあなたには敵いませんよ」
園長の田辺は苛立たしげに前の座席を蹴ると、オレを睨んでくる。
「何見てんのよ! オメガなんて、みんな死んじまえ!」
「……っ! さっき、学校のオメガが役に立ったって……」
まさか朝日に何かさせたんじゃないかと思い、怖くてもそれだけは聞きたくて必死に声を出す。
「はあ? ああ、なんとかっていう企業の子息だっていう尻軽オメガとその取り巻きにあんたを家から追い出せって言ったのよ。孤児が金持ちのアルファに寄生してるから、聖母園に戻るように言ってくれってね。こんなに簡単に出てくるとは思わなかったけど、あんなオメガでも少しは役に立つのねえ」
朝日じゃなかった。あのなんとかっていうクラスメートのオメガたちは、園長の田辺に唆されてオレに近づいたのだ。
「婚約者じゃ、なかった……?」
「ああ、なんか言ってたわね。オメガの分際でアルファの婚約者になろうだなんて。あのオメガも中島様に言って浚って売っぱらおうかしらねえ。いい考えに思えてきたわ。小田先生、さっさとこいつを中島様に引き渡したら、あのオメガたちを捕まえて売っぱらいましょう!」
「一人くらい、私の研究に残して欲しいんですが。聖母園のオメガたちは全員保護されたんでしょう」
「うちの商品を盗まれたのよ。警察にね! なんなのあいつら、私を犯罪者みたいに扱って! 他の職員だって、同じことしていたのに私ばかり責めて!」
「保護……」
二人の話が本当なら、聖母園にいた他のオメガたちは誰かに保護されているらしい。それだけでもホッとする。村田と話していた時に、聖母園に残っている幼いオメガたちを救って欲しいと言ったことを守ってくれたのかもしれない。
「残念でした。あんたは中島様に売るから。高く買い取って貰えるよう、祈っておきなさい! 淫売にはお似合いの生活が待っているわよ。あんたを産んだオメガみたいにね!」
「オレを産んだ、オメガ……?」
ヒート事故などで望まぬ妊娠したオメガが生活出来なくなり国に保護されると、子どもを産んだ後は新しく就職先を斡旋されたりして保護施設を出ていく。残された子どもは、アルファやベータだと他の養護施設に移り養子先を探されるが、オメガの場合は国が管理する聖母園に残される。そうやって国は社会的弱者であるオメガを保護してきた。
聖母園はそんな身重になったオメガの避難先にもなっていた。
でも、子どもを産んだオメガのその後を、オレは知らない。
「あんたに高嶺なんて名前を付けて、二人で生きていくなんていうから、悪名高いアルファに売りつけてやったわ。血が好きなアルファだったから、一年持たなかったみたいだけど、高く売れたわよ」
「高く、売れた……一年……」
「あんたはどれくらい持つかしらね?」
醜悪な笑みを見せる園長が、まるで悪魔みたいに見える。オメガだから、こんな目に合うのだと、お前たちは商品だとその目が言っていた。
「高値で売れる商品がいなくなって困ってたから、中島様に繁殖してもらおうかしら?」
良いアイディアだと言わんばかりの園長にオレは殴り掛かる。
「うわ――ッ!」
「きゃあ! 何すんのよ、この出来損ない!」
「オレは、オレたちは人間だ! 売り物なんかじゃない!」
腹が立って仕方ない。拳を握ってその肩にぶつけた。自分はオメガだが、男性でもある。ベータの女性を殴るのは躊躇われる。でも、今はそんなこと関係ないくらい怒りが湧き上がっていた。
「あんたたちなんて、人間じゃない! ヒートだなんてものがある、汚らわしい動物よ! 動物なんてどう扱っても構わないわ!」
「違う! オメガだって人間だ!」
「実験動物が何か言ってますね。園長先生、うるさくて仕方ない。そこにガムテープと紐があるので縛ってください」
そんなもので拘束されたら逃げるチャンスが来ても逃げられない。めちゃくちゃに暴れても、体格の良い園長に押さえられて、手首を縛られ、口にガムテープを貼られた。
「うう……っ」
「黙って従ってなさいっ!」
体ごとぶつかられて車のドアに押し付けられた。痛みに呻くが、口を塞がれている為、ろくに声も出ない。
泣くもんか!
こんな奴らの前で無様に泣いたりしない。
瞬きで涙を振り払い、窓の方に顔を向ける。なにか逃げる助けになるものはないかと思ったが、手が縛られてしまってドアを開けるのが難しい。もたもたしている間に、また捕まって殴られるのがオチだ。
黙ってチャンスを持とう。もしかしてオレが拐われたと、光博が怜に連絡してくれたかもしれない。
絶対に希望は捨てない。
だって、それさえ無くしたら、またあの暗くて湿った場所で蹲っていなければならない。せっかく怜がそこから光の溢れる場所に引き上げてくれたのに。
「……もご」
怜と言いたかったのに、口が塞がれているせいで、ろくに言葉が出ない。名前を呼んで元気を貰いたかった。
車はずっと海沿いの道を走っていた。倉庫が立ち並ぶ場所に差し掛かった時、車の速度はゆっくりになり、倉庫が沢山立ち並ぶ場所で止まった。
「何ぼんやりしてんのよ! さっさと車を降りなさい!」
先に降りた園長の田辺が、車のドアを開け、オレの髪を鷲掴む。
ブチブチとちぎれて、その痛みに生理的な涙が浮かぶ。でも絶対に涙を零したりしない。
いつかもっと辛い時が来るはずだ。怜に運命の番が出来たら、一人で大泣きしよう。それまではけっして泣かない。
倉庫が立ち並ぶ地域らしく、人影はない。足は自由だが、まだ髪を掴まれていて逃げ出せなかった。
「さっさと歩きなさいよ!」
立ち尽くしていたら足を蹴られて、転びそうになる。でも髪を掴まれているせいで、またブチブチとちぎれる音と痛みに歯を食いしばる。
「おいおい、俺の大切な番に乱暴な真似は止めろ」
「あ……中島様。あの、これは……逃げ出さないようにしただけで、他意はなく」
目の前に立っていたのは、月に一度のヒートの時に「適切な相手」として来ていたアルファだった。残虐な性格で、ヒートの時であっても辛い目にばかり合わせるこのアルファがオレは苦手……大嫌いだった。真っ黒な髪をオールバックにして、ピンストライプのスーツに高級ブランドのコートを着て、サングラスをかけている。でもその残虐性のある雰囲気は全く隠れていない。
「ふーん。可愛い口に不躾なテープ、細くて綺麗な手首にも紐が巻き付いて、白い肌が赤くなってるのも、おまけに裸足なのも逃げださない為であって他意はないのか?」
「その通りです! それに裸足は、最初からで……」
園長と小田も中島が怖いのか、必死に機嫌を取ろうとしていた。
自分以外がオレに対して振るう暴力は許せないらしい。一番それをやっているのは、このサディストなアルファなのに、だ。
何が気に入ったのか、オレはこのアルファに執拗に執着されていた。媚びたことはない。殴られても嫌がるそぶりを隠したこともなかった。
オレから興味を失ってほしかった。
怖かった、からだ。
でも、もう怖くなんてない。オレは優しいアルファを知っている。暴力も暴言も吐かない人を知っている。
優しく触れてくれる手、慈しむ眼差し、ぶっきらぼうだけど、美味しいなと思った食べ物を絶対に見逃さずに次も用意してくれるところも大好きだ。
期待させるようなことばかりするところだって、本当は嫌じゃない。
こんなところで負けるもんか。
だって言ってない。
怜に好きだってまだ伝えていない。
もし本当に婚約者がいたってかまわない。結婚するまでのセフレ……性欲解消の相手だってかまわなかった。そばにいられないくらいなら、なんだってやってやる。
だから泣くのはその後だ。
園長の田辺はオレの髪を掴むのを止めている。だからまっすぐ立って、中島を睨んだ。
「あーその目、本当にイイな、お前」
「うう――っ!」
気持ち悪いとはっきり言ってやりたかったが、口はテープが止まっていてダメだった。それに気が付いた中島が、ゆっくりと近づいて来て腕を伸ばしてくる。
怯えるな、オレ!
口と腕は拘束されているが、足はなにもされてない。裸足だけど、痛みを我慢すれば逃げることも出来るはずだ。
中島の腕を避け、くるっと体を翻し、走りだそうとしたが、その瞬間ふくらはぎに衝撃がある。中島が足で蹴ったのだ。
「うっ……!」
そのままコンクリートの地面に叩きつけられるように倒れこむ。
「はは、今逃げようとしただろう? いけない子だ。きちんと教えてあげないとね。きみは俺のものだって。その肌に傷をつけるのは、俺だけだってね」
受け身も取れずに倒れこんだので、打った肩が特に痛い。腕を掴まれて逃げられずコンクリートの地面に落ちている小石が裸足の足を痛めつけている。
「おやおや、まだ諦めないのか?」
「うーっ!」
誰が諦めるもんか。
「ここは風があるな。倉庫に入ろう」
「は、はいっ」
掴まれたまま引き起こされ、引きずるようにひとつの倉庫の中に入れられた。中は湿っぽくて不快な潮の匂いがした。薄暗い倉庫の中には、いくつもの檻が並んでいる。
天井近くの明り取りの窓から光が注ぐその中を見た時、悲鳴が上がりそうになった。
「っ……っ!」
項垂れた少年や少女が何人もそこにいた。
目の前の光景が信じられない。みんな薄着で蹲っており、顔に正気がなかった。まるでこれは、奴隷だ。
「あーあれ? 気になる? 明日売る予定のオメガたち。オメガってポロポロ子ども産んでくれるから、楽な商売だよ。高嶺も産もうね」
「……っ」
恐怖で声が出なかった。あれが人間なんて信じられない。こんな真似が出来る人間がいるとは思えないが、ここにいた。
「う――ッ!」
中島を睨みつければ、ニタァ……と気味の悪い笑みを見せてくる。
「あそこに入りたいか?」
あそことは、檻の中のことだ。絶対に入りたくないが、このアルファに好き勝手されるくらいなら、死んだ方がマシだ。
「う――ッ!」
そんな気持ちを込めて唸れば、中島に面白そうに笑われた。園長と小田は無表情で檻を見ていたが、その目には恐怖があった。
「聖母園が警察に目をつけられたのは、ちょっとばかしまずいな。あんなに優秀な放牧場はなかったのに。お前ら、何した? まさか警察にちくってないよな?」
聖母園は中島が目をつけて、園長を唆し国を騙し、オメガを売り捌く隠れ蓑を作り上げていた。
「そ、そんなことしてませんっ!」
「中島さんの怒りを買うようなことは何も。ただ、同じ研究所のアルファが私の研究成果を見て、疑問を呈してきたので、あるいは……」
「違うわよ。きっとこの子を攫ったあのアルファよ。大事そうにこのオメガを囲っていたもの。肌も髪もこんなに綺麗になって、きっと股を開いてあのアルファに色々強請ったんだわ。それに有る事無い事吹き込んだに決まってる!」
「う――っ!」
そんなことは一度だってしたことない。オレはともかく、怜を悪くいうのは許せず園長の田辺を睨みつける。
こいつらはオメガを家畜か何かと勘違いしている、すごく悪いやつだ。絶対に許せないし、このままにしてはいけない。
でも、捕えられたオレに何が出来るだろう。聖母園のオメガを保護してくれた警察だって、この場所はわからないだろう。
「俺の裏資金を減らすなんて、悪いやつだな。潰してやる。それにここ数ヶ月、こいつに好き勝手触れたんだろう? どこのどいつだ? 俺はここで稼いだ資金でトップに行く予定なんだよ」
「西園寺グループの第二総務課に勤めている、西田という会社員でした。アルファらしく整った容姿をしておりました。少し調べましたが、第二総務課は厄介者を集めておく部署だそうで、そこに在籍しているなら大したアルファではないのかもしれませんね」
「ふうん。アルファが窓際、ねえ」
「うう――っ!」
怜は厄介者でも窓際なんて呼ばれるようなアルファじゃない。優しくてかっこよくて、いつだってオレを救ってくれるヒーローみたいなアルファだ。他のアルファなんて大嫌いだが、怜だけは違う。信じられるアルファは怜だけだ。そんな気持ちを込めて唸れば、中島が不快な表情を浮かべた。
「おい、高嶺。まさかそのアルファが好きだなんて言わないよな? お前は俺に買われたんだ。もう逃さないよ、高嶺。さあ、番にしてやろう」
いつだってオレを傷つけるのは、アルファだ。適切な相手として宛てがわれるアルファは、残忍で冷酷で恐怖で抑えつけてくる。そんな相手だから指先一本ですら触れられるのを嫌悪する。
その手が顔に伸びて、口元のテープを外した。ちゃんと息が出来るようになったが恐怖に歯の根が噛み合わない。ガチガチとなるそれを面白そうに聞いた中島は、オレの髪を乱暴に掴む。
「髪の触り心地が良くなってるなあ。今度から肌と髪の手入れは徹底させような。さあ、ネックガードを外せ」
「……い、いや、だっ」
恐怖を抑え込み、その命令を拒絶する。ガツっと音がして、顔を殴られた。
「聞こえなかったのかな? 俺がネックガードを外せって言ってるんだ」
「誰が! お前なんかのいうことを聞くもん……うっ」
最後まで言えなかったのは、また殴られたからだ。何度も何度も殴られる。顔も肩も胸も腹も全部殴られて、痛みに体を丸めても殴られた。
「な、中島様……っ」
「何?」
「い、いいえ。あの……」
「殺さないよ。そこは大丈夫。なあ、高嶺。その反抗的な目も態度も俺は気に入ってるけど、命令を聞かないのはダメだよ。悪い子には罰を与えないといけないから、今与えられるその痛みをずーっと覚えていて、これからは俺に従順にね」
「……っ」
「何?」
「だ、れが……お前、なん……に」
唇が切れて血の味がする。このアルファからはいつも不快な金属臭がした。今も吐き気を催すような匂いがする。触れて欲しくないし、そばにいることすら嫌だった。
でもその不快な腕を引き離せない。伸びてきた手が、目の下の泣きぼくろを撫でる。
「高嶺、今のでまだ足りないか?」
「……っ」
その声の恐怖に、びくんと体が震える。
「俺の言うことを聞かないと痛い目を見るって、もっと経験させたら大人しくなるか? まあ、それは番にした後でも良いか。高嶺、ネックガードを外せ」
唇を引き結び首を振って拒否する。後ろでに縛られた手の縄を切られ、力づくでネックガードまで伸ばされた。
親指の腹をネックガードの指紋認証の場所につけられたが、反応せず鍵が外れる音はしない。
「おい、園長これを外せ」
「あ、あの、そのネックガードは園で支給したものじゃありません。私には外せないと……」
「ああ!? くそ役に立たねえババアだな。おい、そこの医者!」
「え、私は……その、機械には強くなくて」
「高嶺、さっさとそのネックガードを外しなさい! この役立たずが!」
「絶対嫌だ。これはあんたらには絶対外せない、これを外せるのは、オレが好きな人だけだ!」
叫んだ途端、シャツを破られた。
「なら、この体が誰のものか教え込んだ後、番にしてやる」
「い、嫌だっ! 触るなっ!」
あの日、怜に頼んだのはこのネックガードの開閉する鍵である指紋認証を怜で登録することだった。だからこのネックガードは怜でなければ、外せない。
昨日、怜は怒っていたがそれでもネックガードを外すと脅すようなことはしなかった。
その時、倉庫の扉がぶち破られた。
「高嶺――ッ!」
その声はまるで天から降り注ぐ光みたいに、オレには聞こえた。痛みも何もかも消え去って、ただその声だけが残る。
「怜……」
腕を伸ばしたが、体の上にのしかかっている中島がいて、動けなかった。
「来るなよ。来たらこいつを刺す」
ポケットから取り出したナイフをオレの首に突きつけてきた。スッと引いた後、首に赤い線が走った。ピリッとした痛みに肌一枚切られたのだと気づく。
その脅しを見ても、怜の足は止まらなかった。
「刺してみろ。だが覚悟しておけ。必ず俺がお前の心臓にそのナイフを突き刺す」
怜の後ろから蜃気楼のようなものが浮かび上がる。威嚇フェロモンだ。それが向けられているのは中島だが、余波がきてオレまで体が震える。
格上のアルファの出す威嚇フェロモンは、アルファでも体が動かなくなると聞いたことがあった。
怜は本気だ。オレが刺されても、決してその足を止めない。
でも、それでいい。オレは怜の足枷になんてなりたくない。
「怜、オレが死んだら仇を絶対に取ってくれ」
「……死ぬなんて言うなよ」
すぐ近くまで来た怜は、オレの上で硬直してしまった中島を蹴り上げて避けた。中島は固いコンクリートの床を転がっていき、呻いている。
怜は無表情で歩いていき、その首を足で踏み抜く。
「高嶺を傷つけたのは、お前か」
「ぐっ……、き、貴様、俺にこんなことをして、ただで済むと……」
「高嶺に与えた、それ以上の苦しみをお前に与えてやる」
痛みを堪えながら起き上がったオレには、怜がどんな表情をしていたのかわからなかった。でも、怒りとか悲しみとか色んな感情が混ざった声が聞こえた。中島の頭を何度も何度も踏んで、血が飛び散る。
「はい、そこまで。こんなばっちい奴に触った手で、高嶺ちゃんに触るつもりか?」
怜と一緒に入ってきた佐々木が、怜を止めてくれた。騒ぐ方を見れば、園長と小田は拘束されて床に転んでいる。
「俺は頭脳派だから、これ使っちゃった」
それは朝日が持っていたびりっとすると言っていた痴漢撃退アイテムの、スタンガンだった。
中島にもそれを押し付け意識を奪う。普通のものより威力が強いのは、きっと佐々木が改造したからだろう。
「怜……」
ほっとしたからか、体中が痛くてその場から動けなかった。それにオレは怜に閉じ込められていたのに、そこから逃げ出したのだ。だからこんな目にあったのだと言われたら立ち直れない。
「高嶺、こんなに傷だらけになって。助けに来るのが遅くなってすまないっ!」
振り向いた怜はオレの元に走ってきて、自分の着ていたコートを肩にかけてくれた。その温もりが肌から伝わって心まで温かくなる。でもオレはもっと温かいものを知っている。
「れー……」
腕を伸ばすと気づいた怜が力強く抱きしめてくれた。
「高嶺、良かった……見つけられて」
「うん、見つけてくれて、ありがと……どうやってここがわかったんだ?」
ぎゅっと抱きしめられると、今までの怖さや痛みが薄れていくようだった。
「どうやってって、高嶺ちゃんが着てる服とか靴とか全部発信機つけてるから、わかったんだよ。番を見つけたアルファって怖っ」
「え?」
「高嶺が無事見つかって良かった。すまない。お前に足枷をつけたこと、そばを離れたこと……全部、俺が悪い。でもお前が家を出るなんて言うから、理性が働かなかった」
家を出ることと、理性が働かなくなったことに何の関係があるのかわからないが、怜がいつもの怜になったみたいで嬉しい。
「えっと、その、怜、お願いがあるんだ」
「なんでも与える。お前は望みを言うだけでいい」
「いや、そうじゃなくて……。えっと、怜が飽きるまでで良いから、そばに置いて欲しい」
勇気を出して怜に伝えたのに、返事は重いため息だった。ああやっぱりオレなんてダメなんだと諦める覚悟をする。
「何か噛み合ってないように思えるが、……俺は家系的に結構な束縛系だ。家政婦の三田さんに聞いただろう? 俺の父と祖父がどんなアルファか。だから、お前が墓に入るまで、⋯⋯入っても手放すつもりはない」
「へ?」
それってどういう意味なのか聞こうとした時、パトカーのサイレンの音が聞こえていた。大勢の警官が倉庫の中に入ってくる。その中の一人が佐々木の元に走ってきて、拳骨をしていた。
「西園寺、先に帰ってろ。後はやっとくから」
誘拐犯の他に、オメガの人身売買まで証拠があり、逃げることは出来ないだろう。
佐々木に言われた怜は、オレを抱え上げる。
「後は頼む。爺さんも使っていい」
「へーい。高嶺ちゃんを休ませてやってくれ。後で事情聴取あると思うけど、まずは怪我の治療だな」
怜は頷いてオレを抱え、倉庫の外に出ていく。怜の車はパトカーに囲まれていて、エンジンは付けっぱなし、ドアは開けっ放しだった。
「怜、これ……」
「一分一秒も惜しかったから。お前が傷ついているのがわかっていたのに……守れなくてすまない」
乗り捨てたような様相の車を前に、怜もバツが悪そうに見えた。
「怜はオレを守ってくれた。ずっと守ってくれてた。あいつに何されても、絶対泣かないって決めてた。絶対怜が助けに来てくれるってわかってた。ありがとう怜」
怜は恭しくオレを車の助手席に乗せると、丁寧な所作でシートベルトを締めてくれた。
それから真剣な眼差しを向けて信じられないことを言ってくる。
「……愛してる」
「え?」
「愛していると言ってるんだ。ああ、ちくしょう。本当はもっとロマンティックな場所でお前に美味いもんでも食わせながら、星空をバッグにプロボーズしてイエスの返事をもらう予定だったんだ。なのにこんな場所で、こんな時に言う羽目になったのは、自業自得だ。……俺はお前にセフレ扱いされている。いや違うな。俺がお前をセフレ扱いしていると誤解されるような態度をとっていたってことだ。飽きるまでそばに置いて欲しい? 俺はお前を期間限定の相手なんて思ってない。死んでも手放すつもりはない」
「え、あ、いや⋯⋯オレ、セフレじゃねーの?」
「お前をセフレだなんて思ったことは一度もない!」
「だって前……、発散したいって」
「あ、あの時はお前に自由に触れられなくて、いつお前の意思を無視して襲ってしまうかと悶々としている時に、触れて良いと言われて嬉しかっただけだ。誰かれ構わずセックスしたいという意味じゃない!」
「そう、なんだ。えっとじゃあ、オレってもしかして恋人? とかになる? あ、でも怜には婚約者が……」
「いない。番がいるのに、そんなもの必要ない。お前に偽りを言ったオメガの家には抗議した。西園寺家のアルファは番が見つかれば一切他に見向きもしなくなる。婚約者なんていても解消だ。それに俺は父と祖父を見ていて、あんな風になることを恐れていた……」
「恐れて?」
「……番至上主義なんだ。祖父の番、祖母には片手で足りる回数しか会ったことがない。母にもろくに会ったことが無い。俺を育てたのは祖父と三田さんだ。西園寺家のアルファは番を人に見せたくないんだ。閉じ込めておかないと、安心できない。……怖くなったか?」
怜はオレを見つめてそう問いかける。
「怖くない。怜ならオレを閉じ込めてもいいよ。でも、オレ薬で体がボロボロなんだろ? ヒートだってちゃんと来るかわからないし、子どもとか、産むの怖い……」
西園寺家がどんな家かわからないが、代々アルファが生まれる家ならかなり良い家だと思う。施設育ちの自分が番だと言っても、迎え入れて貰えるだろうか。怜の迷惑にだけはなりたくない。
「子どもなんてどうでもいい。出来れば番契約と結婚を前提のお付き合いをしている恋人にして欲しい。ダメか?」
「いいよ!」
シートベルトを外して抱きつけば、怜も抱き返してくれる。そのまま車の外に出されてくるくると回された。
「何やってんのお前ら……高嶺ちゃんは病院連れてけって言っただろうが!」
佐々木が倉庫から出てきて、車の前で抱き合っているオレたちに呆れた視線を向ける。
「……先輩のところに行こう」
「もう痛くないし、怜の家に帰りたい。オレ達の家に帰りたい」
なんだか腹の底が熱くて、なにかを欲しがってる気がする。ヒートの兆候だ。
「……番にしてくれるだろ?」
「もちろんだ。だが、先輩に聞かないと……」
「オレ、今日、今、お前と番になりたい。他の誰かに取られたくない。あんな気持ちになるももう嫌だ。誰かが怜を婚約者なんて呼ぶの、聞きたくない。それから、その……オレは」
勇気を出せ、オレ。後悔しないように、言わないと!
「……怜が好きだ」
「わかった。急いで帰ろう」
怜はポケットから錠剤を取り出し口に放り込む。
「それなに?」
「緊急抑制剤だ。外で高嶺に襲いかかるわけにはいかないからな。ちゃんと家の中で、大切に番にする」
「うん」
もう一度車に乗せられて、シートベルトを締められる。それから怜は運転席に回ってから、家政婦の三田と村田に電話して色々準備をして貰った。
◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎
初めて怜の部屋に入った時は怖かった。でも今はいい匂いに包まれて幸せでいっぱいだ。
「れー……いい匂いがする」
「ん? アルファは不快な金属臭がするんじゃなかったのか?」
「ううん、れーだけは違う。いい匂い、好きな匂い、ずーっとここにいたい」
「ああ、ずっとここにいたらいい。でも外に出たくなったら言ってくれ。出来るだけ譲歩する。お前を閉じ込めたくない。高校も行っていいし、望むならその先もある。働きたいなら……就職先を探す。自由に幸せに生きて欲しい」
「……高校は通いたい。その後はみーちゃんのところで雇って貰えたら、絵付けやりたい。朝日とたまにカフェに行きたい。れーと一緒に、ご飯が食べたい……海にも行きたい。ずっと一緒にいたい」
「全部叶える。全部だ。お前の望みは全部、叶うから」
「うん。ねえ、れー……れーの好きな物はなに?」
怜はちょっと考えたあと、恥ずかしいのか照れながら答えた。
「前、高嶺に言われて考えたんだ。何が好きなのか……。お前が好きなものが好きだ。一緒に好きだと言えるから。美味しいと嬉しそうに食べているのを見るだけで、俺は幸せなんだと感じた」
「そっかあ。……これ、外して」
項を守るネックガードを指せば、怜は優しく外してくれた。それから愛を交わして、項を噛んでくれた。オメガの機能が鈍っていた時はわからなかったが、怜は運命だった。これでもう怜以外にフェロモンが効かなくなる。嬉しくてたまらない。
でも手当を後回しにしたことで、村田に散々怒られたし、学校を休んだことで朝日にも心配をかけてしまったが、それでもオレは幸せだった。
怜が時折ハッとしたように素っ気ない態度を取っていたことの理由も聞けた。
気を抜くと溺愛しそうになっていたが、まだ運命だと認識出来ないオレが怯えるのを防ぐためにわざと素っ気ない態度を取っていたらしい。でも今はもうそんなことを気にする事はない。
「おかえり、怜」
「ただいま、俺の最愛」
帰ってきた怜は鞄を放り投げ、オレを抱きしめるとキスをする。ダイニングのテーブルにはオレが絵付けした新しいテーブルセットが揃っていて、夕食が準備されている。
素っ気ない態度で擬態した、アルファなんてもうどこにもいなかった。溺愛するアルファとそれを幸せそうに受けている運命のオメガがいるだけだった。
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