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08. 暗雲

 それから何日が過ぎただろう。  その日数のぶんだけ、ガシュウはフレアに会えずにいた。  路地裏のいつもの場所で占いの店を開く。大きな樹の下は、相変わらず薄暗い。  客を待っているわけではなかった。  待っているのは、ただひとり。  ガシュウは毎日そこに座っていた。明日会えたら、食事のお礼を言おう。そう決めていた。お礼の品を買う金もない。手紙を書ける学もない。ただ直接「ありがとう」と伝えたかった。  会えると信じていた。疑いもしなかった。  けれど、フレアは来ない。  胸の奥に、不安が少しずつ積もっていく。それでも諦めきれず、ガシュウは待ち続けた。  ぼんやり浮かぶのは、あのキスだ。  浮かれていた気持ちはもう引っ込み、代わりに胸がずきずきと痛む。 「お別れ、って意味だったのかしら……」  そう考えると妙に納得がいった。わざわざガシュウなんかにキスをするのだ。お別れの挨拶だったのかもしれない。  そう思うと、目に涙が溜まってしまう。  夕暮れが過ぎ、暗くなっても誰も来ない。何度目かの空振りのあと、ガシュウは店をたたんで家路についた。  きっとフレアは騎士の務めとして、貧乏人に親切にしていただけだ。  ただの義務だ。  それでも、フレアと話すのは楽しかった。  また会いたい。  また喋りたい。  でも、きっともう遅い。  恋をするって、こんな気持ちなのだろうか。 「おかえり、ガシュウ」 「ポフ。ただいま」  力なく帰ってきたガシュウを、ポフは心配そうに迎えた。 「騎士さま、今日も会えなかったの?」 「うん。会えなかった。……でも、初めから約束なんてしてないの。騎士さまが来ないのは当たり前のことなの」  ローブを脱ぎ、そのまま鳥の巣みたいな寝床に潜り込む。 「近頃ずっとそんな調子だね」 「疲れてるだけ。騎士さまは関係ないの」  そう言って毛布の奥へ潜ろうとしたところで、ポフが真面目な声を出した。 「ガシュウ。今、話していいかな?」  その声音に、ガシュウはびくりとした。のそのそと顔を出す。 「……なに、ポフ」 「少し、真面目な話」  ガシュウは巣から這い出て床に座り直した。向かいに座るポフの顔は、妙に大人びて見える。年の離れた弟なのに、こういう時は自分よりよほどしっかりしていた。 「ガシュウ、僕ね。……やっぱり働くことにするよ」  その一言に、ガシュウは慌てた。 「ダ、ダメだよ。ポフはまだ小さいんだから、そんなことしなくていいの。それに、ガシュウと違って勉強ができるんだからね。何度も言ってるじゃない。ポフは勉強に集中してほしい」 「勉強して、良い学校に入って、良い仕事につければ、ガシュウに楽をさせてあげられると思ってた。でも、勉強すればするほど現実が見えてくるんだ」  ポフは静かな声で続けた。 「そもそも学費はどうするの。入学できたとして、その先にかかるお金はどうするの。今日の晩ご飯にも困るような生活をしてるのに」 「ポフ……。あのね、学校が決まれば、お金はガシュウがなんとかするから」 「なんとかするって、どうやって? 借金するの? こんな生活じゃ、どこも貸してくれないよ。だからって、闇金に手を出してほしくない」 「……なんとかするから。ポフは心配しなくて大丈夫だからね」 「ガシュウは現実が見えてないよ」  頭を殴られたみたいな衝撃だった。  ポフの言うことは正しい。  ガシュウはポフを愛している。愛があれば何とかなると、どこかで信じていた。貧乏でも、愛さえあれば二人で楽しく暮らせるのだと。  でも、現実は違う。  それを見つめるのは、怖かった。 「ガシュウ。責めてるわけじゃないんだよ。泣かないで」  ぽろぽろと涙が落ちた。  守ってあげたい弟にこんなことを言わせ、その上自分のほうが慰められているのが情けなかった。  いつまでも、その日暮らしでふわふわ生きてはいられない。自分がしっかりしなくてはいけない。夢の中では生きられない。ポフの未来がかかっている。  ――その時が来ていた。  ふと、フレアの顔が浮かぶ。  やわらかく笑った時の顔が、眩しかった。好きだった。  その気持ちを、ガシュウは胸の奥へしまい込む。 「大丈夫。ポフ。大丈夫だから。本当だよ」  ガシュウはポフの頭を抱きしめた。  ガシュウはポフのために生きている。  ポフのためなら何でもしよう。  そう、固く決意した。

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