8 / 59
08. 暗雲
それから何日が過ぎただろう。
その日数のぶんだけ、ガシュウはフレアに会えずにいた。
路地裏のいつもの場所で占いの店を開く。大きな樹の下は、相変わらず薄暗い。
客を待っているわけではなかった。
待っているのは、ただひとり。
ガシュウは毎日そこに座っていた。明日会えたら、食事のお礼を言おう。そう決めていた。お礼の品を買う金もない。手紙を書ける学もない。ただ直接「ありがとう」と伝えたかった。
会えると信じていた。疑いもしなかった。
けれど、フレアは来ない。
胸の奥に、不安が少しずつ積もっていく。それでも諦めきれず、ガシュウは待ち続けた。
ぼんやり浮かぶのは、あのキスだ。
浮かれていた気持ちはもう引っ込み、代わりに胸がずきずきと痛む。
「お別れ、って意味だったのかしら……」
そう考えると妙に納得がいった。わざわざガシュウなんかにキスをするのだ。お別れの挨拶だったのかもしれない。
そう思うと、目に涙が溜まってしまう。
夕暮れが過ぎ、暗くなっても誰も来ない。何度目かの空振りのあと、ガシュウは店をたたんで家路についた。
きっとフレアは騎士の務めとして、貧乏人に親切にしていただけだ。
ただの義務だ。
それでも、フレアと話すのは楽しかった。
また会いたい。
また喋りたい。
でも、きっともう遅い。
恋をするって、こんな気持ちなのだろうか。
「おかえり、ガシュウ」
「ポフ。ただいま」
力なく帰ってきたガシュウを、ポフは心配そうに迎えた。
「騎士さま、今日も会えなかったの?」
「うん。会えなかった。……でも、初めから約束なんてしてないの。騎士さまが来ないのは当たり前のことなの」
ローブを脱ぎ、そのまま鳥の巣みたいな寝床に潜り込む。
「近頃ずっとそんな調子だね」
「疲れてるだけ。騎士さまは関係ないの」
そう言って毛布の奥へ潜ろうとしたところで、ポフが真面目な声を出した。
「ガシュウ。今、話していいかな?」
その声音に、ガシュウはびくりとした。のそのそと顔を出す。
「……なに、ポフ」
「少し、真面目な話」
ガシュウは巣から這い出て床に座り直した。向かいに座るポフの顔は、妙に大人びて見える。年の離れた弟なのに、こういう時は自分よりよほどしっかりしていた。
「ガシュウ、僕ね。……やっぱり働くことにするよ」
その一言に、ガシュウは慌てた。
「ダ、ダメだよ。ポフはまだ小さいんだから、そんなことしなくていいの。それに、ガシュウと違って勉強ができるんだからね。何度も言ってるじゃない。ポフは勉強に集中してほしい」
「勉強して、良い学校に入って、良い仕事につければ、ガシュウに楽をさせてあげられると思ってた。でも、勉強すればするほど現実が見えてくるんだ」
ポフは静かな声で続けた。
「そもそも学費はどうするの。入学できたとして、その先にかかるお金はどうするの。今日の晩ご飯にも困るような生活をしてるのに」
「ポフ……。あのね、学校が決まれば、お金はガシュウがなんとかするから」
「なんとかするって、どうやって? 借金するの? こんな生活じゃ、どこも貸してくれないよ。だからって、闇金に手を出してほしくない」
「……なんとかするから。ポフは心配しなくて大丈夫だからね」
「ガシュウは現実が見えてないよ」
頭を殴られたみたいな衝撃だった。
ポフの言うことは正しい。
ガシュウはポフを愛している。愛があれば何とかなると、どこかで信じていた。貧乏でも、愛さえあれば二人で楽しく暮らせるのだと。
でも、現実は違う。
それを見つめるのは、怖かった。
「ガシュウ。責めてるわけじゃないんだよ。泣かないで」
ぽろぽろと涙が落ちた。
守ってあげたい弟にこんなことを言わせ、その上自分のほうが慰められているのが情けなかった。
いつまでも、その日暮らしでふわふわ生きてはいられない。自分がしっかりしなくてはいけない。夢の中では生きられない。ポフの未来がかかっている。
――その時が来ていた。
ふと、フレアの顔が浮かぶ。
やわらかく笑った時の顔が、眩しかった。好きだった。
その気持ちを、ガシュウは胸の奥へしまい込む。
「大丈夫。ポフ。大丈夫だから。本当だよ」
ガシュウはポフの頭を抱きしめた。
ガシュウはポフのために生きている。
ポフのためなら何でもしよう。
そう、固く決意した。
ともだちにシェアしよう!

