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11.はじめての嘘
ガシュウはひとり、部屋に残された。
何が起きたのか頭が追いつかない。呆然としていた。
意味もなく視線を動かした時に置き時計の時刻が目に入った。普段ならとっくに寝ている時間だ。
「ポフが待ってる……」
誰に聞かせるでもなく声に出す。
その声はかすれていた。
のろのろとベッドからおりると、乱れたシャツを下に引っ張り整えた。ベッドの脇にズボンが落ちていたので拾い上げて、ゆっくりと履き直した。隣に落ちていたローブも拾い、体に纏うといつものガシュウの姿になった。
服を身につけたことで、少しだけ安心する。
扉の前にはフレアがばらまいたお金が散らばっている。
それを一枚一枚丁寧に拾い集めて、懐にしまった。
扉を開けて部屋を出た。宿屋の出口へ向かう。
そういえば宿屋の支払いはどうすればいいのだろうかと思い至る。
フレアがくれた金で足りるのだろうか。
不安ながらに受付に尋ねると「すでに支払いは済んでいる」と返事が来た。
フレアが支払っていた。
宿代を払っていてくれるなんて、やはり親切な人だ。
うまく回らない頭で、そんなことを考えながら宿屋をあとにした。
家路を急いだが、途中で川に寄った。
街灯は遠く、暗い川辺は危ないが、それでも寄ったのは口をゆすぎたかったからだ。
フレアが出したものが口の中に残っている。それが気になった。
自分のためだけではなく、ポフのためにもいいだろう。
ガシュウは先程の出来事を、ポフにバレたくなかった。なぜそう感じたかは分からない。
ガシュウは、今日の夕刻の出来事を思い出していた。
貧困街の路地で、顔なじみのおじさんが泥酔状態でガシュウに絡んできた。
不健康な脂肪をため込んだおじさんに肩を抱かれれば、不健康なほど細いガシュウは逃げることが出来なかった。
しばらく酔っぱらいの相手をすることになった。会話の途中で「ポフのためにお金が必要だ」とぽろりとこぼすとおじさんは教えてくれた。
「西の歓楽街に行きゃ頭の足りないお前にだって簡単に金が稼げる。わははは」
豪快な笑い声に強いアルコールの匂いが乗った。苦手な匂いだったので遠慮せずに両手で鼻を隠した。
この街の西側は貴族や裕福層の居住区になっている。しかしそこから丘を下ると途端に治安が悪くなる。貧困街とはまた別の治安の悪さがある歓楽街。
どちらにせよ、ガシュウは西側の地区に近寄りがたい雰囲気を持っていた。
……簡単に金が稼げる。
その一言だけで歓楽街に興味を持った。「何をすればいいのか」と尋ねれば「一晩ご一緒にどう?と男に声をかけて足を開くだけだ。おめえは女にゃ相手にされないだろうから、そっちの方がいいだろう」と楽しげに答えて酒瓶をあおった。
その隙にガシュウはさっと身を屈めて肩組みから抜け出すことに成功した。
その足で歓楽街へと向かった。
「そういえば、足は開かなかったなあ。これで合ってたのかしら……」
ガシュウは川の水をすくって口に含むと、ガラガラと愉快な音をたてた。そして丁寧に吐き出した。
「おかえり、ガシュウ」
遅かったね、と寝床から顔を出したポフが出迎えてくれた。ひしゃげたランタンの中で小さな火が揺れている。
部屋の中はいつも通り。柔らかな光で照らされている。
急に疲れがどっと押し寄せた。
足の力が抜けて、ガシュウはその場にへたり込んだ。
「どうしたの?」
慌てたポフが寝床から這い出て駆け寄ってきた。
「……ただいま」
帰宅の挨拶がまだだったと、弟に笑顔を向ける。うまく笑えているのだろうか。
ポフが心配そうにガシュウの肩に手をかけようとするから、反射的に身を引いてしまった。
「ガシュウ?」
「ごめん。ごめんね、ポフ。ガシュウは、その。疲れてしまった……今日は、……掃除のお仕事が大変だったの」
嘘をついた。
実際に不定期だが清掃の仕事をしていた。インチキ占いだけではもちろん食べてはいけない。
だからポフは疑いもせずにガシュウの言葉を信じた。
ポフに嘘をついてしまった。
「お疲れさまガシュウ。お腹減ってない?」
「……大丈夫。ポフは?」
「大丈夫。食べたよ」
他愛のない会話を続けながら、胸の奥底が重くなるのを感じた。
胸に手を当てると、懐にしまっていた数枚のお札の存在を感じた。ローブの上から札を握りしめて立ち上がる。
鳥の巣上の寝床から毛布を一枚引き抜いて、ポフから離れた場所で包まり横になった。
何も知らないポフはただ静かに見守っていた。
「お仕事、ほんとうにお疲れさま。とても忙しかったんだね。ゆっくり休んでね。ガシュウ、おやすみ」
ふっと息を吹く音がすると蝋燭の火が消えた。部屋の中は光を失い闇になる。鳥の巣へポフが潜り込み眠る気配を感じた。
おやすみ、と返事を返そうとしたが、口を開けても声がうまく出なかった。
フレアが投げ捨てたお札を握りしめた手が痛い。
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