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18.居場所
任務終了時刻になり、フレアは騎士の制服を脱ぎ捨てた。
麻地のラフな私服に着替えると、さっさと王宮を出た。
今日は風が冷たい。
季節の変わり目を感じる風だ。
薄手のコートを羽織る人々が目立つが、体温が高いフレアは七分丈のシャツだけで十分だった。
ガシュウとの待ち合わせにしている路地裏に足を踏み入れた。いつもと同じ樹の下でガシュウが待っている。こちらに気づくと、ぱたぱたと楽しげな足音を鳴らして駆け寄ってきた。
「騎士さま、おつとめごくろうさまです。今日は寒いですね。急に寒くなりましたね。あたしね、ちょっと、じっとしていられなくて、ぴょんぴょんして、体あっためていたんですよ。騎士さま、早く来ないかしらって、ぴょんぴょんしながら、待っていましたよ。ぴょんぴょんした分だけ、遠くが見えますからね」
ガシュウは両足をそろえて、跳ねるのを繰り返している。
ガシュウのローブの生地では寒さを防ぐには心許ないだろう。
ズボンの丈は、ふくらはぎを隠すまでしかない。ファッションではなく、サイズの合っていない物を着用しているのだろう。
「コートでも買ったらどうだ。金は与えているだろう」
突き放すように言った。
ガシュウとは毎日のように会っている。毎日のように身体を酷く扱っては、泣かせている。
乱暴にして傷付く様が見たいのか。意図しているのか、抑えが効かないのか。
それはフレア自身にも分からなかった。
それでもガシュウは、翌日にはこうしてカラカラとした態度で接してくる。
フレアは、それがどうにも居心地が悪かった。
「コートが買えるなんて、思い付きもしなかったです。そういえば、最近ね、ポフが服をいくつか買ってきてくれました。優しい弟です。あったかくしてね、と言われていましたが、いつもの癖でいつもの格好で出かけてしまいましてね。うっかりです。もちろん騎士さまからいただいたお金で買った服ですよ。騎士さまのおかげで、あたしは暖かい服を着れています」
「着れてないだろう」
「だから、うっかりしたと言っています」
「一度でも着たのか」
「着てないです」
「だから、着れてないと言ったんだ」
「たしかに!」
立ち話するほどの内容でもなく、フレアは歩みを進めるとガシュウも一歩遅れて付いてきた。「寒い寒い」と言いながら、大袈裟に足を上げて、ぱたぱたと足音を鳴らしている。
「冬は毎年来るだろう。どうしているんだ」
この街に雪は降らない。それでも薄い布地で耐えられる気温でもない。
「あたしは黒のローブを3着持ってるので、重ねて着ていますよ。丈がちょっとずつ違うので、三段フリルみたいになって、いつものガシュウより、ちょっと高貴に見えます。いつかお見せできることでしょう。お楽しみに」
「そうだな」
全く高貴に見えないガシュウの姿が容易に想像できた。おかしく思い、ふっと息を吐いて笑ってしまう。
「ほんと、今日は寒いですねえ」
一歩後ろを歩くガシュウからは、寒さで息を吐いたように見えたのだろうか。ガシュウは共感するように、ほっと息を吐いていた。
フレアは歩みを止めた。
「どうしました?」
ガシュウも立ち止まると、寒さをしのぐ為にその場で跳ねだした。元気が良さそうに見える動きとは裏腹に、唇の血色は悪く、うっすら紫に染まり震えている。
触れたらきっと冷たいのだろう。
フレアは手を伸ばしかけて、やめた。
どうにも居心地が悪い。
ガシュウとの会話を、どうしても楽しんでしまう自分がいる。
見ないふりをしても、自然と湧き上がる感情は、フレアの胸の奥を温めてくる。
……居心地が悪い。
もう、とっくに、そんな関係ではないというのに。
今更どんな関係を望むというのか。
今更どうしようというのか。
それでも、フレアは、ガシュウに一つの提案があった。
なぜ、そうしようとするのか、自分の行動原理が理解できないまま、会話を切り出す。
「これから段々と寒くなってくるだろう」
「そうですねえ」
「外にいる時間は極力減らしたい」
「そうですねえ」
「歓楽街に行くより俺の家の方が近い」
「そうなんですかあ」
「行くぞ」
言った時には歩き出していた。
歓楽街へ続く下り坂ではなく、ゆるやかな上がり坂の向こうの、閑静な住宅街へ向かう。
フレアの自宅に続く道のりだ。
置いて行かれたガシュウが「どこへ行くんですかあ?」と慌てて付いてきた。
進行方向を変えても迷わずに付いてくる存在に、安心してしまう。
両親が出ていってから、あの家に人を招いたことは一度もない。
どうして今、招き入れようとしているのか。
なぜ、内側を見せようとしているのか。
考えるのは、もう止そう。
自分が壊したものが何か、気づいてしまいそうだ。
土を固めた道から、次第にレンガの道に変わる。住宅街周辺まで来れば、白くツヤのある石材を用いた石畳になる。まばらに赤い石材が使われているのがアクセントだ。
計算されて埋められた街路樹は、この街全体で統一されている。広い庭を持つ家が多いこの辺りは、手入れの行き届いた作り物のような植物も楽しめる。
土道では気にならなかったフレアの靴音が石畳に反響してコツコツと音を鳴らす。反対に、先ほどまでぱたぱたと楽しげな音をたてていたガシュウの足音は段々と小さくなっていた。
フレアは軽く振り返りガシュウを見た。
ガシュウは身を小さくしてすっかり元気をなくしていた。陽も落ちて空はすっかり暗くなったが、街灯が眩しいくらいの光を放ち、ガシュウの表情はちゃんと見えている。
肩が上がり、胸元で両手の指を絡ませていた。
「そう緊張するな」
それは自分に言い聞かせているのだろうか。
「いいえ、あの。あのですね。ここは、この場所は、白いですね」
「白?」
「道も壁も家も灯りも、みんな白い。汚れてなくて、汚しちゃいけないって思ってね。あたしが居ていい場所じゃないみたい」
「誰の許可もいらない公道だ」
「いいえ、いいえ。こんな高貴な場所で、あたしの居場所はきっと許可が必要でしょう。先ほどからすれ違う、身なりの立派な方々は、皆、あたしのことを嫌な目で見ているようです。あたしは目立たないようにしておきましょう」
そう言うとガシュウはフードを深くかぶった。黒のローブに身を包み、白い髪もすっかり隠れてしまった。
その姿の方がよほど目立ち、不審者の様に思えた。
フレアは呆れたが、肩の力が抜けたように感じた。
どうやら自分も随分と気を張っていたようだ。
フレアはふっと息を吐いた。背筋を伸ばすと自宅の屋根が視界に入る。軽くなったはずの息が戻らなかった。
胸の奥が冷えていく。
「もう着くぞ」
自分の居場所に許可が必要だなんて言い始めたら、自分が許可された場所はこの家しかない。
両親に、居ることが許可された家。
理想の息子だけが存在を許されている。
フレアは深く息を吐いてから、自宅の前で立ち止まった。
見上げた自分の家は、この場所に相応しく、白かった。
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