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19.あの家の中

 二階建ての白い外壁の家は、白のレンガ塀で囲まれている。  背の高い植木で広い庭を隠しているが、剪定されて整った庭木は圧迫感を感じない。  清涼感のある一軒家。  それがフレアの家だった。  門扉のない開けた戸口だ。  広く緩やかな階段を五段ほど上がった先の玄関は、金属製で重厚な見栄えだ。  フレアは慣れた手つきで鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んだ。ガチャリと聞き慣れた重い開錠音が鳴る。  振り返るとガシュウはまだ階段の下にいた。「早く来い」と声をかければ、うなずいて、まるで古い吊り橋を渡るかのように強張った足取りで、ゆっくりと確実に上がってきた。  ガシュウが背後まで来たのを確認すると、フレアは玄関に向き直り、ノブに手をかけた。  この家の扉は、重い。  手のひらに金属の冷たさが張りつく。押し開けると、蝶番が低く鳴った。  玄関を入るとすぐ、広間になっている。天井が高い。中央には高価なテーブルと、深く沈むソファ。飾り棚。壁の装飾。大層な部屋だ。  そして。  その足元は、ぐちゃぐちゃだ。  割れた花瓶の欠片が床に散っている。  踏めば靴底に刺さる大きさの破片もある。  倒れた棚が斜めに突き出し、通路を潰していた。  壁際には口を縛ったごみ袋が積み上がって、山になっている。  外の庭だけは、窓越しに見ても分かるくらい整っている。剪定された枝が、風に揺れている。  外は人目につく。  中は、誰にも見られない。だから放ってある。  そういう理屈を、フレアは自分に言い聞かせていた。  振り返ると、ガシュウが玄関の手前で止まっていた。階段を上がってきたときの強張りが、そのまま体に残っている。視線が床をなぞって、次に置く足場を探していた。  フレアは見ないふりをして、歩ける場所だけを選んで室内へ進んだ。ここではそれが、呼吸のように身についている。 「入れ」  そう言うと、ガシュウは小さく頷いて、ゆっくり入ってきた。欠片を避ける動きが、古い吊り橋の上のようで、苛立ってしまう。  苛立ちの根っこが何か、分かっている。見せたくないものを、見せている。  それでも、ガシュウは声を上げない。  驚きも、嫌悪も、非難も、口から出てこない。  胸の奥が、わずかに緩む。息が一つ、勝手に抜けた。  指摘されない。  それだけで、こんなにも安心するのか。 「そこだ。ソファに座れ」  ガシュウは床の物をそっと寄せて、座れる隙間を作った。  勝手に物に触るな、と腹の底がざらつく。  ガシュウは「汚い」とも「危ない」とも言わずに、淡々と手を動かす。その態度が、また胸を軽くする。  苛立ちと安堵が同じ場所に押し込まれて、息がしづらい。  フレアは背を向けてキッチンへ回った。  湯を沸かす。茶葉を缶から掬う。指先が落ち着かない。  背後で布が擦れる音がする。ガシュウが座り直す音。ソファの感触に体を預けている気配。きょろきょろと見回しているのも分かる。  カップを二つ出した。  白磁で、縁が薄い。  父親が酔って投げたやつと同じ形の欠片が、まだ床にある。片付ければいいだけなのに、手が動かない。  見たくない。触れたくない。  触れたら、ここが自分の生活だと認めてしまうようだった。  トレーに乗せて広間へ戻ると、ガシュウが目を輝かせていた。  この場には似つかわしくない表情だ。 「すごい……。こんな大きなお部屋、ガシュウは初めて見ました。家具も、飾りも、なんて素敵なんでしょう。騎士さまのお家は、とてもとてもご立派でございますね」  胸の奥が、ざっと冷える。  すごい?何が。  床のごみ袋か。倒れた棚か。割れた花瓶か。片付けられない物のことか。  トレーをテーブルに置く。カップをガシュウの前へ滑らせた。  皿が、かすかに鳴った。 「嫌味か」  ガシュウの目が丸くなる。本気で分かっていない顔だ。  分からないふりをされると、余計に腹が立つ。 「いいえ、まさか。いいえ。あたしは本当に、ただ…羨ましくて。ソファは、ふかふかで…」  言葉が続くほど、何かが耐えられなくなる。羨ましい、という無邪気さが、刃のように刺さる。  値踏みされたと決めつければ断罪できる。指摘されなければ安堵できる。どちらでも無いガシュウの反応に、フレアの内側が暴れ出す。  ガシュウの肩を掴んだ。細い体がびくりと跳ねる。  その反応だけで、頭の芯が熱くなる。 「フレ――」  言葉が終わる前に、ソファへ押し倒した。背が沈む。布が鳴る。ガシュウの息が喉の奥で詰まる音がした。  自分の動きを止められない。止めたら、今度は自分が崩れそうだ。 「違うと言うなら、証明しろ」  何を、どう証明させたいのか。  それすら曖昧なまま、フレアはガシュウの上に覆いかぶさった。テーブルの上で、カップが小さく揺れて、また乾いた音を立てた。  ガシュウが次の言葉をつむぐ前に口付けて、その口を塞ぐ。  生地の薄いローブをまくり、無遠慮に身体に手を這わせる。反応に弱い身体は、刺激から逃れようとびくびくと跳ねる。逃げ場のないように体重をかけてやった。  ガシュウの触れられたくない場所を暴いてやれば、納得できるのか。  内側から、奥まで、じっくりと。  フレアはその場所を探し求めた。

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