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21.大人げない

「そろそろ起こそうと思っていた」  ソファの方で布を擦る音がした。  立て鏡で身なりを整えていたフレアは、鏡越しにガシュウが身を起こしたのを確認した。  眠気まなこで辺りを見渡している。無防備に、肌を見せている。 「服を着ろ」  肩口に、昨夜、自分が噛み付いた跡を残していた。目に毒なのは、興奮か、罪悪感か。  鏡から視線を外して、その場から距離をとる。朝から落ち着かない。  昨夜、行為のあとに寝てしまったガシュウを起こさずにいた。いや、気を失ったのかもしれない。  丁寧に毛布まで掛けてやり、その身を気遣ったのは、優しさからではない。細くて壊れそうなその身体を、この家に置いておきたかった。  ガシュウが居るだけで、この家は体温を取り戻すようだった。  この家の中で、もう、ひとりになりたくなかった。  ソファでぼんやりとしていたガシュウが、ふいに立ち上がる。まとっていた毛布が床に落ちて下半身も露出する。朝の木漏れ日に当たり、隅々までよく見える。  フレアは眉をひそめた。 「服を着ろ」  再度忠告してやると、聞いていないのか、何時だと尋ねてくる。時計に目をやる。時刻は六時半を過ぎた頃だ。そう伝えている間にもガシュウは忙しなく服を着ている。相変わらず落ち着きがない。 「任務の集合は七時半だ。まだ余裕がある。慌てるな」  服を着てローブをかぶると、ガシュウは急に、駆け出した。乱雑に散らかった床の物に突っかかりながらも、乗り越えていく。玄関へ向かっていることに気づく。 「おい」  止めようとフレアが動いたと同時にガシュウの手がドアノブに届き、玄関のドアを揺らした。鍵が掛かっているドアは開かない。ガシュウは内鍵に手を伸ばし、鍵を開けた。 「勝手に出ていくな!」  そう叫ぶが、ドアは開かれ、ガシュウはあっさりと出ていった。  視界を失ったように目の前が暗くなる。頭を振り、気を保つ。  息が浅くなり、呼吸が荒くなる。体中の血液が熱くなる。血管が浮き出る。  どす黒い感情が胸から溢れてくる。  怒りが、怒りが湧いてくる。  テーブルの上に置かれた、ガシュウが使っていたカップが目につく。それだけが、ガシュウがこの家にいた証拠のように思えた。  乱暴にカップを掴むと玄関のドアへ向かって投げた。  開かれたままのドアにぶつかり、それは粉々に砕け散った。  うまく動かない足で、玄関に行く。ガシュウの姿はもう見えない。  ゆっくりとドアを閉めた。割れた破片が引きずられて嫌な音を立てる。  震える手で、鍵を閉めた。  ソファまで戻ると、つい先ほどまで居た存在を感じる。気が収まらず、テーブルを蹴飛ばした。重量があるテーブルは鈍い音を立てて、わずかにズレただけだった。  脇に置いてあるキャビネットを掴むと、頭上まで持ち上げて、テーブルに叩きつけた。  耳が壊れるような衝撃音。  キャビネットの中身は飛び出して、書類が花吹雪のように散った。テーブルにはヒビが入った。  何を壊したのか、分かっていない。ただ、ここに残る痕跡が許せない。  静まり返った部屋で、荒い呼吸音がうるさい。  両手で顔を覆い、しゃがみ込んだ。  ここは両親が出ていった家であり、フレアだけが残された家だ。  夕刻。  任務を終えたフレアは、ガシュウと待ち合わせにしている路地裏へ歩いた。風が冷たいが、朝の熱は、まだ冷えない。  路地裏の大きな樹の下に、いつも通りガシュウが立っていた。ガシュウはフレアに気がつくと両手を大きく振って近づいてきた。「おつとめご苦労さまです」といつものようにカラカラと話しかけてくる。  それを無視してガシュウのことを通り過ぎてやると、一拍遅れて、小走りで付いてくる。  フレアは自宅へ、真っ直ぐに向かった。  ずっと走ってきたガシュウは息を上げていた。その呼吸音を聞きながら、フレアは静かに玄関のドアを開けた。  何事もないように振る舞って、平然と中へ入る。  今朝よりも、さらに荒れたこの部屋を、ガシュウはどう思うだろうと、様子を見る。  ガシュウは床の物を足で寄せていた。ソファの上に散乱している書類をはたいて床に落とす。 「おい、勝手に――」  出かけた言葉を飲み込む。  座る場所を作ったガシュウはソファに腰をかけ「何か言いました?」とのんきに聞いてくる。  この家に居場所を作っているなら、感情をぶつけるべきではない。  勝手に出ていかれるよりかは良い。 「いや。…紅茶、飲むだろ?」  言葉を濁した。  ガシュウは「飲む」と嬉しそうに言っている。キッチンへ回り、茶葉を出し、カップは割ってしまったのだと思い出して、奥から新しいものを出した。  自分の分と、ふたつ、トレーに乗せて、ガシュウの前に差し出す。テーブルの上に置いて、ガシュウの隣に座った。 「ありがとうございます!うちで飲んでいるものよりも、随分とおいしいです」 「そうだろうな」  淹れ方は適当だが、上等な茶葉だ。それなりに美味いだろう。ふうふうと、カップに息を吹きかけて冷ましているガシュウを見やる。どうして、こう、のんきな表情をしていられるのだろう。 「……契約を、覚えているか?俺の言うことは、なんでも聞けと、言っただろう」  ガシュウの動きが止まった。 「帰っていいなんて、誰が言った?」  そう言い放って、ソファの背もたれに身を預けた。  ガシュウの瞳が、キョドキョドと左右に揺れている。 「ああ。ね。今朝のこと、ですよね?」 「ああ」 「あたしもね、あとあと考えたら、騎士さまに失礼だったと、思ったんですよ」 「失礼という問題ではない。そういう契約のはずだ。勝手に行動するな」 「……怒ってます?」  小首を傾げて、覗き込んでくる。  一応、怒られることをしたという自覚があるらしい。 「詫びに、今日も泊まっていけ」 「でも、ポフが……」  ガシュウが目を伏せた。  ……そうだ、弟の存在が抜け落ちていた。  自分が随分と、大人げないことをしているようだった。 「あのね、ポフと、少し、話し合ったんです。もしかしたら、これからも、帰らない日があるかもしれない、って。でもガシュウは必ず帰るから、安心して、って。ポフは、待てると、言ってくれました。夜、ひとりでも平気だ、と。でも、あたしは、その……出来るだけ、帰りたい」  段々と声が小さくなる。まつげが僅かに揺れている。 「伝えてあるならいいだろ。泊まっていけ」  弟。確か歳は12と言っていた。次は13になる。留守番も出来る年齢だ。  ……大人げない。  誰と張り合っているのか。自分の言動に羞恥すら感じる。  それでも、今日、ガシュウを返す気になれなかった。 「……そうします」  ゆっくり頷く姿を見て、子供のように、安心してしまう。  本当に、大人げない。

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