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23.ほろ酔い気分

 フレアは最後の一切れを食べ終わった。  ナフキンで口を拭きながら視線を上げる。  ガシュウはまだ食べている最中だ。ステーキを口に運びながら、店内を見渡す様に目玉を動かしている。 「キョロキョロするな」 「ひへはへん」 「飲み込んでから話せ」  もぐもぐとしていた頬の動きが止まると、喉仏が上下する。 「してません。キョロキョロなんて」  言った先から、視線は隣の席に向いている。 「しているだろ」  つられてガシュウの視線の先を追った。  中年の男がふたり、ビールを飲みながら談笑している。いったい何が珍しいのか。 「あまり他人を見るものじゃない。失礼だろう」  視線をガシュウに戻すと、目が合った。  ガシュウは片手を口に寄せて、ささやくように言った。 「あの方たち、何を飲んでいるのでしょうか」 「ビールだろ」 「ビール?」 「知らないのか?」 「知っております」 「じゃあ、なんだ」 「ビールを瓶で飲んでいるおじさんは、よく見かけますよ。ガシュウの家の近くでは、道ばたに座り込んで飲んでいる酔っぱらいが結構いるもんです」 「そ……そうか」 「でもね、泡がもこもこなのは、初めて見ました」  隣の席の、ビールを見た。  確かに、店で出されるビールでなければ泡を作るのは難しいだろう。ガシュウは「泡、いいですね、泡」と興味津々の様子だ。 「だから、あまり他人を見るな」  息をふっと吐いた。ため息だ。  酒は、避けてきた。  だが、ガシュウの目が泡に吸い寄せられているのを見て、指が動く。  片手を上げ、店員を呼ぶとビールをふたつ頼んだ。 「泡々、頼んでくださるの?」 「アルコールは飲めるか?」 「これが、飲んだことありませんでしてね」 「俺もだ」 「あら、騎士さまが。意外」  酒に酔った父親を嫌悪して、アルコールは避けていた。父親はブランデーを好んでいた。  ビールに悪いイメージはあまりない。泡を目の前にしたガシュウが喜ぶ顔が浮かび、つい頼んでしまった。  ふっと息を吐いた。これは、ため息だ。  程なく運ばれてきたビールが置かれる。ガシュウは目を輝かせて「泡々です。こんもりとしています。もこもこ」と身をかがめて泡を観察していた。  ジョッキを手に取った。 「乾杯は分かるか?」 「わかります!」  ガシュウもジョッキを持ち上げた。  合わせたガラスがコツンと音を鳴らす。    そうして、一口を飲む。  お互い、初めてのアルコールだ。  口を離すと、ジョッキを静かに置いた。 「……想像してたより、まずいな」 「……そうですね」  ガシュウは視線を逸らして、気まずそうにしている。 「泡も、もこもこ食べられませんし……」  そう言って、泡を食べようとちびちびと飲んでいる。  フレアももう一口を飲む。  こんな不味いもののために、父親は狂ったように暴れていたのか。愚かしい。  頭を振って、思考を散らす。  ガシュウを見ると、頬を赤く染めて、にこにことしている。ガシュウはもう酔っているようだ。  ガシュウの飲む姿に誘われて、もう一口を飲んだ。  胃の奥がじんわり熱くなり、肩の力が抜ける。  酔うことに、不安もあった。父親のようになってしまわないか。  杞憂のようだ。  張り詰めた気持ちは緩み、リラックスした気分だ。 「泡々、いなくなっちゃいました……」 「泡ばかり先に飲むからだろう」 「フレアさまのには、まだ泡々います……」 「そうだな」  酔うのは、思いのほか、楽しい。ガシュウと飲んでいるからだろうか。  ガシュウの瞳がとろんと溶けている。いつもより大きく見える黒の瞳が、可愛らしい。  酔いで舌足らずになった口調も可愛らしい。可愛らしいとはなんだ、馬鹿らしい。  笑いがこみ上げ、ふっと息を吐く。 「へへ~騎士さま、笑ってる。うふふ。ガシュウも、楽しいです」  こんな楽しい時間なら、アルコールも悪くないだろう。  いつも側にある幼い頃の記憶が、遠くに感じた。今が楽しいのだ。そう、楽しいのだ。 「ああ。楽しいな」  今、目の前にいる存在が、そうさせているのか。  酔いの回った頭では、分からない。  帰り道。  ほどよく酔った体に夜風の冷たさが心地よかった。ガシュウもそうだろうかと思っていると、腕にガシュウの手が絡みついてきた。心臓が跳ねたが、顔に出る性格ではない。 「すごく、眠いです……」  ふらふらと、おぼつかない足取りで、身を支えるようにフレアの腕に掴まっている。 「吐きそうか?」 「いいえ……ふあふあします……」 「なら、掴まっていろ」 「ふぁい……」  ガシュウに歩幅を合わせてゆっくりと歩いた。  家に着くとガシュウは「もうダメ」と言い、床の物を乗り越えてソファに倒れ込んだ。  フレアはキッチンへ向かい、グラスに水を汲むとガシュウのもとへ戻った。 「寝るな。ほら、水を飲め」  肩を抱き寄せ自身に寄りかからせると、口元にグラスを付けた。うながされるまま、ガシュウは水を飲んだが、目は閉じたままだ。  グラスをテーブルに置いた。 「一度、起きろ」 「……むり」 「おい」  肩を揺すっても、だらんと体の力は抜けている。  フレアは軽く息を吐くと、ガシュウの背中を支え、両足をすくって抱き上げた。腕の中のガシュウは全体重をフレアに預けていて、起きる様子はない。  そのまま階段を上がった。二階は、フレアの寝室がある。  ガシュウを落とさないように寝室のドアを開けた。  下の階の荒れた部屋とは違い、この部屋は整頓されている。持ち物が少ないせいかもしれない。  ゆっくりとガシュウをベッドへ降ろす。眠って動かないガシュウからローブを脱がせてやる。ボロボロのローブの下はまだ新しい服で、以前、買ったと話していたことを思い出す。  フレアは寝巻きに着替えるとガシュウの横に寝転び、毛布を掛けた。 「ん……フレアさま……セックス、する……?」  眠い体を起こそうとするから、腕を回して閉じ込めた。 「いいや。寝る。今日はもう、契約の……時間外だ」 「うん……」  聞こえる呼吸が穏やかだ。このまま眠るのだろうと思っていたら、ガシュウの手が背中に回された。不意なことで、体が跳ねてしまった。  胸の鼓動が早くなる。 「ガシュウは、いつも……こうして、寝てる……の」  ……誰と。  無粋な疑問が湧いてしまう。  弟だろう。それ以外にない。  今は、それでいい。  抱き合った身体は暖かく、安心できるのだから。  手の体温を背中に感じながら、フレアは眠りに落ちていった。

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