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24.鍵
「騎士さま、まだ支度、終わらないですか」
「ああ」
「まだかしら」
「ああ」
「もう出来たでしょう」
「しつこい」
時刻は朝の七時。フレアは任務に行く支度をしていた。
弟の元へ早く帰りたいガシュウがせっついてくる。ソファの上で膝を立て、背もたれに寄りかかりながら落ち着きなく体を揺らしている。
任務の集合時間は七時半だ。ガシュウのために早く出てやる義理はない。
支度は終わっているが、今必要のない鞄の整理をしている。
ガシュウの態度に、苛々してしまう。
そんなにこの家から出て行きたいのか。
昨晩の甘さは消え、夢だったのかさえ思う。
そう、夢だ。酔っていた。それこそ夢心地だ。
「まだですか?」
何度目か分からないその言葉に、丁寧に「まだだ」と返してやる。
いつも待ち合わせ場所にしている路地裏の、大きな樹の下まで来た。
密度の濃い葉が、さわやかな朝陽をさえぎり、薄暗い。
「ここまででいい」
「わかりました。では、また、夕刻にここでお会いしましょう」
今日は気温が低い。ガシュウは寒そうに腕で体を抱えている。夕刻は、さらに気温が下がるだろう。
「俺が帰ってくるのを待っていろ」
そう言って、家の鍵を投げ渡した。
外で待たせて風邪でも引かれたら面倒だ。もう家を知られているなら、待ち合わせる必要もない。あの家の中で待たせておけばよい。
ガシュウは「わわっ」と大袈裟に腕を振り上げて鍵をキャッチした。
「これは、責任重大ですね」
両手を強く握り、大事そうに鍵を閉じ込めた。
「でも、ポフが……。いや……はい。待つ、です」
「ああ」
これで、家で待つだろう。
弟が心配か。
任務が終わる時刻まで、せいぜい一緒に過ごせばいい。
……家で待つ、か。
本当に、愚かだ。家で何をされるか、わかっているだろうに、待つのか。
フレアは目を細め、鍵を胸に当てるガシュウを見下ろした。
たかが鍵ひとつ。なのに、胸の奥が騒いだ。
ガシュウと別れ、王宮に入った。
更衣室で私服を脱ぎ、騎士の制服を身にまとう。装飾だけは立派で、着替えにくい。
今日は外の見回りではなく、定期的に行われる剣術の訓練の日だ。訓練は好きだ。集中すれば、何も考えずに済む。
終われば、いつものようにさっさと帰り支度をする。訓練日は帰りの時間が重なるので、更衣室はいつもより混む。
フレアは人を寄せ付けぬように気を張って、挨拶もろくせずに更衣室を出た。いつもの事なので誰にも何も言われない。裏で悪く言われているのかもしれないが、フレアにとってはどうでもいい事だった。
帰り道を早足で歩く。
人混みにまぎれて、その他大勢のひとりになると、やっと息がつけるような気がした。
ふと、路地裏への道に、足を進めていることに気がついた。
無意識の、いつもの癖だ。
今朝ガシュウに鍵を渡し、家で待つように言っていたのだった。
家にまっすぐ帰るなら、路地裏まで来る必要はない。
無駄な行動に、フレアは息を吐いた。
ここまで来てしまったのなら、路地裏を抜けて家に向かう方が早い。
歩き慣れてしまった道を進み、路地裏に入ったところで、足が止まった。
ガシュウが、いつもの場所で立ってた。
フレアはギョッとした。
「あっ、騎士さま!ご苦労様です!」
フレアの姿に気が付き、大きく手を振って駆け寄ってくる。いつもの光景だ。
「なぜ、ここにいる?」
「そりゃあ、騎士さまが『待ってろ』って言ったからですよ」
「今朝のことか?」
「ええ」
「まさか、ずっとここに?」
「約束通り、一歩も動いてません!命令は、守る約束ですからね」
「そんな命令はしていない。……おまえは、本当に馬鹿だ」
「んん?……たしかに。よくよく思い返すと、騎士さまはそんな命令していなかったような気がします。一歩くらい、動いてもよかったかも。ガシュウの馬鹿!」
「違う、そこじゃない。『待ってろ』と言ったのは『俺の家で待ってろ』という意味だ」
ガシュウは目をパチパチさせて、ずっと握っていたであろう拳を緩めて、鍵を見つめた。
「ああ、鍵ってそういうこと」
鍵の意味を理解して、まるで謎解きができた子供のように、ガシュウは嬉しそうにしている。
フレアはドッと脱力感に襲われた。
「ついてこい」
来た道を戻ると、ガシュウはキョトンとしてから、慌ててついてきた。
王宮の前の噴水広場は夕暮れでも賑わっている。
露店をいくつか覗いて、アクセサリーを扱っている店の前で足を止めた。ガシュウはフレアの後ろに隠れながらも、アクセサリーを興味深げに見ていた。
金色のチェーンネックレスをひとつ買った。
近場のべンチに腰掛ける。ガシュウもついてきて、フレアの前に立っているので、座れと命じると、ちょこんと隣に座った。
「綺麗なネックレスですね。騎士さまに、よくお似合いです」
「そうか」
褒め言葉を適当に受け流す。
ネックレスの留め具を外し、チェーンを鍵に通す。それをガシュウの首に回して引き輪を繋いだ。
冷たい金属が喉元に落ちる。
「失くすなよ」
失くしそうだと思った。
防犯の観点から失くされては困るのだろうが、失くしたなら失くしたで、別にそれでよかった。
この家の鍵に、大した価値を求めていない。
そう、価値はない。ないはずだ。
ガシュウはチェーンの先を指でつまんで、瞳の前で鍵を揺らしている。
その瞳がギョロリと動くと目が合った。
ガシュウの瞳に、光が乗っている。
「失くしませんとも、絶対に。肌身離さず持っていましょう。今日から、今から。もう、首から外すことも致しません。寝ている時も、ずっと、ずっと付けていましょう。大切な鍵です。大切にお預かりいたします」
熱意だけは伝わった。
それでもガシュウのことだから、明日失くしても驚かない。
想像すると愉快な光景だ。
フレアは、ふっと息を吐いて薄く笑った。
ささやかな笑顔をどう受けとったかは分からないが、ガシュウは表情筋を大きく動かして、ニコッと笑い返してきた。
鍵が小さく鳴った。
「ずっと付けている、か」
「ええ!」
「首輪だな、まるで」
「ええ!?」
「飼い主は、俺だ」
「ガシュウはペットじゃありません」
不満そうに言ってから、視線を落とすと「売られてるペットの方が、価値がありますよ、きっと」と小声で言っている。
その言葉に興が醒める。
「もう帰れ」
そう言ってべンチから立ち上がる。
「でも、これからが契約のお時間でしょう」
ガシュウも立ち上がると、困惑の表情を浮かべている。
「今日は一日中、俺を待っていたんだろう?」
「そうです」
「なら、それでいい」
弟を待たせすぎていると伝えると、ガシュウは喜び、礼を何度も言って去っていった。
大袈裟なガシュウの動きに合わせて胸元の鍵が鳴った。
ガシュウは今日一日の大半をフレアのために費やした。
その事実に、胸の奥が、静かに満ちる。
それが何の感情なのか、名前を付けなかった。
飛び跳ねるように駆けていくガシュウの後ろ姿は、だんだんと遠くなり、人混みに隠れて見えなくなった。
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