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25.宝物

 フレアと別れ、ガシュウは自宅まで走った。  建て付けの悪い玄関ドアを開けるとポフがすぐに出迎えてくれた。手を広げたのは同時で、強く抱きしめ合った。 「ごめん。こんなに遅くなって」 「それがお仕事なんでしょ。ガシュウ、おつかれさま」  ひとりで寂しい思いをさせてしまったポフは、もう泣くことはなく、穏やかに微笑みかけてくれる。  ポフはしっかり者だから、きっと強がっている。  ガシュウは、ポフを存分に甘やかすと決めて、おでこにキスを落とした。  フレアから与えられるお金は、会う度ではなく、ひと月暮らせるだけのお金をまとめて与えられるようになった。  おかげで食事に困らなくなった。  この家に十分な調理器具は揃っていなくて、お弁当を買うことが多い。  この前、ポフとふたりで出かけて、小さなローテーブルを買った。テーブルのなかったこの家の中心に、それは置かれている。  ポフが買っておいてくれたお弁当がテーブルに乗っていて、礼を言い、ふたりで食べるお弁当は何よりもおいしい。 「ガシュウ、何をかけてるの?」  ポフの視線が首元を向いている。首にかけたまま金色のチェーンを指で摘み、鍵を吊るしてみせてあげる。   鍵は古いものだが、重くて、安物には見えない。 「この鍵、きれいでしょう?フレアさまの家の鍵よ」 「…家の鍵?」  ポフは興味深く鍵を覗き込んでいる。 「合鍵を渡すなんて、信頼されてるんだね」 「そ、そうかしら?」 「そうだよ。信頼してない人に、合鍵なんて渡せない。フレアさんは、ガシュウに心許しているんだね。ガシュウに、そう思ってくれる人が現れて、嬉しいな」  ポフが柔らかく笑うので、ガシュウもふにゃりと微笑んだ。 「そうだと、いいな」 「ふふ。特別な贈り物だよ」 「贈り物…。ポフ以外の人から、貰うのは初めて」 「うん、良かった。大切にしなきゃね」 「うん。…宝物」  フレアに信頼されている。  誰かに特別だと思ってもらえる経験の少ないガシュウは、にわかに信じがたい。  でも、この鍵が信頼の証拠だと言っているようだった。  嬉しさが込み上げてきて、それでも胸の奥が痛い。  喜んだところで、望まれる関係は、契約でしかない。  胸の痛みが何か、分からない。  金色のチェーンに揺られた鍵は、ガラスのはまっていない窓から差し込む陽射しに反射して、ゆったりと、鈍く、輝いていた。 「――はどう?…ガシュウ、聞いてる?」 「え?…ごめん。ぼんやりしてた」 「フレアさんを、家に招くのはどうかな?」  ガシュウがぼんやりしているのはいつものことなので、ポフは慣れた様子で言い直す。  …フレアを家に招く? 「どうして…?」 「ガシュウの帰りが不定期な時間でしょ?もし、何かあった時に、フレアさんがこの家の場所を知っているのは、安心できるよ」 「ガシュウは、何かあったりしないよ」 「うん。でも、それだけでもしてくれると、僕は心強いよ」 「ポフが…心強い」  ポフが不安に思うことが少しでも減るなら、フレアを招き入れるべきだろう。  フレアの家は白くて立派で、お金持ちの家に見えた。けれど中は、貧困街でよく見る荒れ方だった。そのせいか、妙に気が楽だった。  それでもフレアは高貴な騎士なのだ。こんな家に招くのは失礼ではないのか。  来てくれるのか。  来てくれるはずが無い。  ううん。ポフのために、連れてこなければならない。  ポフのために。 「フレアさまに、聞いてみる」 「うん。よろしくね」  途中だったお弁当を、ポフが食べ始めた。  ガシュウはフレアにどう声をかけるべきか考えていた。  翌日の、いつもなら路地裏で待つ時間。家で待てと言われているので、フレアの白い家に向かった。  首から下げた鍵を指で摘んで、鍵穴に差し込んだ。  ドアを開き、中に入る。  言われた通りにしているのに、主人のいない家に入るのは、まるで泥棒のようで、落ち着かない。  ゆっくりと玄関ドアを閉じると、重たい音が静かな部屋に響いた。  部屋の中は暗く、照明はどう付けるのか分からない。  薄暗い部屋を彷徨う。  床の乱雑さに足を取られて、何度か転んだ。床には白い破片が散っていて、食器だと分かった。踏めば、痛い。  照明の紐を探した。  けれど、ない。  そういえば、フレアがこの辺りを触った時に明かりがついたと記憶を辿り、壁のスイッチを見つけた。  押すと無事に明かりが灯り、ほっとする。  ソファに戻り、腰を下ろして一息つこうと思った矢先に、玄関ドアが開く音がして飛び上がった。  振り向くと、フレアが立っていた。 「おつとめごくろうさまです、フレアさま!」  両手を広げて出迎えると、フレアは鋭い瞳をさらに細くして眉を寄せた。不機嫌な表情にみえた。ポフを出迎えるように手を広げたのは、馴れ馴れしかっただろうか。  手を下げる前に、フレアの腕が伸びて、背中に回され、その胸に閉じ込められた。厚い胸板が目の前にあり、心拍数が上がる。自分とは腕の太さが全然違う。加減されていると分かる強い力に、痺れてしまう。 「…ただいま」  フレアの囁くようなその言葉に、お迎えのハグのつもりで手を広げたのは自分の方だったと思い出す。 「おかえりなさいませ」  家族を出迎えるように、やさしくハグを返した。  人を出迎えるのは、いつだって心地良い。  すぐに身を離すフレアに、名残惜しさを感じながら、ガシュウも手を下ろした。 「鍵をかけておけ」  フレアはガシュウを通り過ぎて、ソファへと座る。その言葉は今の命令なのか、フレアの帰宅時に鍵をかけてなかったことへの注意なのか、分からない。  とりあえず、今、玄関の内鍵を回す。  カチャリと冷たい金属音が鳴る。 「座れ」  フレアに呼ばれ、足の踏み場に気をつけながら、ソファまで向かう。すっかり定位置となったフレアの隣に腰掛ける。ふかふかした座り心地がお気に入りだ。 「…弟は、ひとりで平気だったか?」  ポフ。フレアの顔を見あげるが、窓の外を見ていて視線は合わない。 「そう、ポフがね。フレアさま」 「何かあったか?」  心配する声だった。そこでようやく目が合った。 「いえね、ポフとね、フレアさまの話をしましてね。信頼できるお方だとね、話していましてね」 「…そうか」  また、視線が窓の方へ戻ってしまう。 「ポフがね、ひとりの時間、増えたでしょう?それでね、ポフが、あたしのこと心配しましてね。それで、フレアさまに、ご相談がありますの」 「なんだ?」  伝えるのは、緊張する。 「ガシュウの家に、ぜひ、来てくださいな。歓迎いたしますよ。ポフも、フレアさまに会いたがっています」 「分かった」 「…ええ!?」  あまりにもあっさり答えるものだから、理解が追いつかず、声を上げてしまった。フレアは「なんだ」と不服そうにしている。 「き、来てくださるの?」 「おまえが誘ったんだろう」 「だって、うち、ボロ家…ですよ」 「だろうな」 「ゆ、床に座るんですよ」 「平気だ」 「動力も通ってませんよ」 「ああ」 「窓ガラスもありません」 「ああ」 「少し、臭いますよ」 「なんだ、断らせたいのか?」 「い、いいえ。いいえ!」  慌てて手を振って否定する。来てくれないとばかり思っていたから、フレアの返事をうまく飲み込めないでいる。  フレアは手帳を取り出すと、都合の良い日にちを伝えてくる。その日で大丈夫だと、コクコクと頷いて了承する。さくさくと話が進む。  フレアが家に来てくれる。信じられない。  ふんわりと暖かいものがこみ上げて、表情が緩んでしまう。 「歓迎いたします」  そう告げると、フレアと瞳が重なって、見つめられる。  ずっと、見つめられる。  そらしたらいけないような気がして、まばたきもできない。  顔が近づいてきて、唇が触れ合う。触れた部分が、熱い。  舌が侵入してくると、どうしていいか、いつも分からない。  それでも、拒む気持ちは起きなかった。  ガシュウは目を閉じて、フレアに身を預けた。

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